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14年と344日の逃亡 整形、偽名で7つの顔を持つと言われた殺人犯 福田和子の衝撃の逃亡・逮捕劇と獄中で語った素顔とは

2023.01.31 公開

美容整形手術で顔を変え、何度も名前を変え、日本中を逃げ回った殺人犯・福田和子。時効寸前まで15年近く逃げ続け、日本中が大騒ぎした福田の逃亡を再現ドラマで放送した。
 
1982年8月、福田和子は当時同僚だったナンバー1ホステスを殺害した。事件の1年ほど前、愛媛県松山市で和子は人気のホステスだった。深夜まで働き始発電車で大洲市の自宅に帰っていた。家には夫と子どもが4人いた。

しかし彼女には愛人がおり、「高井はつ美」という偽名を使い良家の娘だと偽り、愛人に入れこみ、貢ぐためか借金を重ねるように…。給与の良い店に移るが思うように借金は減らず、そして借金は200万円にもなっていた。

事件の12日前、松山市内に部屋を借りていた和子。ナンバー1ホステスが贅沢な暮らしをしていたことを知っていた和子は同僚ホステスを殺害。遺体をタオルケットでくるみ非常階段の踊り場へと移動し、預金通帳2冊と印鑑、現金、部屋と車の鍵を持ち出した。

そして親戚に、友達がパトロンから逃げるため、すぐ引越ししたいと電話をし、夫にも今から夜逃げで引越しすると言うため、来てくれないかと電話をした。

踊り場で待っていると、予想外の出来事が。殺害したホステスの恋人がやってきたのだ。恋人はマンションの管理人から合鍵を借り、部屋の中へ。そこで和子は大胆にも、その部屋を訪ね、最近引っ越してきた者だと偽り、彼女から頼まれたと車のキーを渡し、嘘の待ち合わせの伝言を伝えた。その恋人が出て行ったのを見ると、和子は到着した夫と部屋の中に入り夫に殺害を告白、遺体を車で運ぶよう指示した。

そして後から来た親戚に頼み、ホステスのほとんどの家財道具などを運び出し、和子が松山市内に借りたマンションへ運ばせた。その後親戚を帰らせ、和子と夫は松山市の中心地から18kmほど離れた山の中に遺体を埋めた。
一方、殺害されたホステスの恋人が戻ってくると、部屋はもぬけの殻だった。

翌日、福田は親戚の妻に通帳を渡し、盗んだ預金通帳から現金76万4000円を引き出した。

ホステスの殺害から数日後、娘の口座から金をごっそり引き出され連絡も取れないとホステスの父親が捜索願を出し、ホステスの恋人からも彼女と部屋のものが消えたから捜してくれと依頼が。

当初警察は夜逃げと疑ったが、管理人の「家具をレンタカーのトラックに積み込んでいる男女3人を見た」という証言と、車のナンバー情報からレンタカー会社を特定、和子の親戚のもとへ警察が訪れ事情聴取のため連行されていた。

夜、警察から和子の自宅へ電話が。家を出て偽名で呼んだタクシーに乗った和子はここから逃亡生活へ。

その後、夫は警察から事情聴取を受けていた。一方、和子が行き着いたのは石川県金沢市。「小野寺忍」と偽名を名乗り、スナックでホステスとして働くことに。

夫は事情聴取で「死体を山に埋めた」と自供。松山東警察署には捜査本部が設置され警察は福田和子を殺人・死体遺棄の容疑で全国に指名手配。顔写真も公開されたが、その頃和子は東京の病院で美容整形手術を受け、手術を終えると再び金沢の店に戻り働いていた。

逃亡を始めてから39日目、和子は愛人へと電話をかけていた。だが、そこには警察が張っており録音されていた。逆探知を警戒した和子は、電話や郵便物はすべて関西から出していた。警察は関西に福田和子は潜伏していると思い、金沢まで捜査は及ばなかったという。

福田和子のこの執念のわけには、彼女の生い立ちにあった。愛媛県今治市で育った和子は友達の前ではお嬢様ぶっていたというが、実際は良い生活環境とは言えなかった。そんな過酷な家庭環境から逃げるように家を出た和子は18歳の時、強盗で逮捕。収容所では暴力団関係者による看守の買収・暴行事件の被害者に。看守と共に入ってきた数名の囚人に暴行されていた。

逃亡を始めてからおよそ1年。金沢では和子には新たな出会いが。スナックに客として訪れた和菓子店の若旦那に目をつけた。若旦那は離婚し和子と暮らすことに。福田和子は内妻として和菓子店を手伝い、息子を金沢まで呼び寄せ若旦那の家族へ「親戚の子なんです」「お菓子作りを仕込んでやってくれませんか?」と紹介。長男を和菓子店で見習いとして働かせた。

若旦那と和子は籍を入れずに暮らしていたが、ある日、 若旦那は「福田和子」の指名手配のポスターを見つけ「福田和子なんか?」と問いただした。その場はなんとか誤魔化した和子だったが、後日家族の通報を受けた警察が和菓子店に。警察に気づいた和子は自転車を盗み漕ぎ続け、5年半潜伏した石川県を離れた。

その後の捜査で福田和子が美容整形していたことが判明。美容整形手術を受ける人はそれほど多くなかった時代に顔を変えてまで逃げ続ける福田和子に日本中が驚いた。その後、和子は「倉本かおる」という名で名古屋のホテルの清掃員として働いていた。 

しかし、福田和子のニュースは頻繁に流れたため危険を察知すると逃走。

1988年から1996年の8年間で北海道から山口まで、名前を変え、職を変え、全国15箇所以上を転々としていた福田和子は、時効まであと1年となった頃、福井に現れた。

その頃、時効まで1年となったことで、愛媛県警は100万円の懸賞金をかけ、マスコミもこぞって福田和子を取り上げた。

そんな状況の中、和子は福井のおでん屋で「中村麗子」と名乗り頻繁に通うようになっていた。店での和子は、人懐っこくて明るい女性。カラオケで店内を盛り上げる。

時効まで1か月、懸賞金は美容整形を施した病院から400万円が贈呈され総額500万円となっていた。テレビで福田和子の生声が放送されると、おでん屋の女将や常連客は「麗子ちゃんそっくりや」と警察に通報。

警察は女将に、瓶ビールとカラオケの時に持つマラカスから指紋を採取してほしいと依頼。すると、福田和子は店に訪れなくなった。

しかし時効成立まであと23日という時、和子は街に現れた。そして偶然出会ったおでん屋の女将が「久しぶりにお店に来て欲しい」と伝えると、翌日、時効成立まで22日、福田和子は再びお店に訪れた。そこでビールから指紋を採取することに成功。

指紋がついたビール瓶、グラス、マラカスは警察に届けられた。そして警察から女将に電話が。

指紋が一致したため今から向かうという。そして店を出た福田和子を警察が囲み連行。14年と344日の逃亡劇はこうして幕を下ろした。

その後、福田和子は松山へと移送され2003年11月に無期懲役刑が確定。収監された刑務所で、とあるジャーナリストが彼女に「おでん屋の女将さん、懸賞金もらった後全て寄付したんだよ」と伝えると「知らんかった…」と涙を流したという。

そして、福田和子と何度も獄中で接見した元編集長の平田静子さんは、なぜ捕まるかもしれない店に行ったのかと聞くと「あなたみたいに日の当たる道しか知らない人には到底分かりようがない、私みたいに “そかい(租界)”でずっと生きてきた人間(のこと)はあなたにはわからないでしょうね」と言ったという。

福田和子からの手紙には「あと、21日なのに、どうして自分から身を投げたのか、色々あるけど私は福田和子に戻りたかったんですよ、きっと!きれいになりたかったんですよ、きっと。」と綴られていた。その後福田和子は2005年3月、収監された刑務所内で、くも膜下出血で倒れ、57歳で息を引き取った。

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