こんばんは、またピン芸人になりました
何から話そうかと思ったけど最近の102歳の姑の話をします
母は100歳の時に脳梗塞を起こして体にマヒがないのに失明だけしてしまいました
血液サラサラの薬は副作用が強いので服用させないことを医者と話し合って決めました
先生から「このままだと2か月で再発するし、その時は無理かもしれません」と心の準備をしましょうと言われて2年
おい!違うじゃあないか!wwwww
目が見えないけどよく食べるし、よくしゃべる
もう歩くのも自立は無理で、でも簡易トイレを使うのでまあ、何とか排便も排尿もできている
(食事中の人ゴメンナサイ)
朝ごはんは抜きにしました。3食出すとどれかはおなか一杯といって食べないので
ところがこれがよかった。夕飯6時からほぼ18時間食べないのでおなかがすいてなんでも「おいしい、おいしい」といって食べる
もともと嫌味を言う人ではないのでそこがありがたい
最近はラーメンを1玉半食べる。私より食べているのだ
まあ、食べる限り生きるわな
気学を見てもらった時「長生きするわよ」って、占い師が行ってはいけない言葉「昨年が一番人生で最高の年でした」と100歳過ぎて家庭介護しているうちにこの言葉は使ってはいけないなとおもった瞬間
とにかくいつまで続くかわからない迷路に入った気分だ。
ところで昨年までは認知症で「うちに帰る」と夜中に大騒ぎをしたことがあった
ところがある時を境に外国の施設に入れられたバージョンになってしまった
「この国の料理はおいしいね」wwwwww
どこの国だと思っているのか?
今日は薬を飲むときに「性根の曲がった根性をまっすぐにする薬はないのかね?」
というので
「不治の病なので治療ができません」
と言ったら笑っていたwww
そしてここ3日ほど面白いことに彼女は前世尼さんだったのだがその記憶を言い出した
托鉢でもらったお米を他の坊主に食べられた話とか
お経を唱えて大変だった話
彼女の実家は神道でもちろんそんな知識はない
なぜ前世尼さんだったかって、実はこのころの母に出会っている
転びキリシタンといって江戸時代前にキリシタンだった人が改宗した人をそういっていたが、その時の身元保証人みたいなことをしてくれた。
なぜキリシタンになったかって医者になりたくて、スペインの医者と通じて改宗したのが始まりだ
お陰でいろんな治療を学んだが
30年前静岡県の御殿場市の市史にまさしくその人物の記録を見つけた。
死んだ年代も年齢もそして医者だったことも書いていた
これだ
当時江戸幕府は転びキリシタンに対して徹底的に調べていたので死んだときも小田原藩の殿様に私の死体を塩漬けにして死亡を確認させていた。そこは死んだ後だったので知らなかったが
もちろん母の実家がまさしく御殿場で初めて行ったときは懐かしさでうれしかった
娘がいた。その後小田原藩の藩医に嫁ぎ子供はできなかったらしい
苦労させたなあ
まあ、そんなキリシタンだった男の身元保証人になってくれた恩義は今でもある
だから嫁姑問題はうちでは皆無だった
私が戦う気がなかったし、嫌味を言う人ではなかったし懐の広い人だったので人間としても尊敬していた
むしろ亭主より好きなのだ
だから今でも介護ができるのかもしれない
前世をこの100歳超えた時から思い出すなんてすごいな
もっと聞いておこう