山本 哲也 Yamamoto Tetsuya
2006年入社
工学府 社会空間システム学専攻修了
京阪ホールディングス株式会社 経営統括室 経理部(資金) 課長
学生のときに建築学を専攻していたこともあり、個人としては、デザインというキーワードにとても関心を持っています。デザインという言葉には、物事の事象を整理・整頓し、アウトプットの方向性を取りまとめるという意味があると聞いたことがありますが、学生時代に学んだ「都市のあり方を俯瞰したうえで都市の課題を整理し、理想のアウトプットを描く」という考え方は、今でも参考にすることが多いです。
入社1年目~4年目
もともと「まちづくり」に関して、総合的にものごとを考えたいという想いがあり、不動産関係やインフラ関係の企業などに目を向けていたのですが、京阪なら鉄道という都市インフラを生かして、「点」ではなく「面」で「まちづくり」を展開できるのではと考えました。それと、これは今も変わらない想いとして大切にしていますが、自分が生まれ育った京阪沿線を自らの手で魅力的なまちに変えたいというのも志望動機でした。
はい、賃貸経営部という部署に配属されました。京阪の持つ駅ビルなどにテナントさんに入ってもらい、その運営などを行う部署です。まずはそうした業務を行うなかで不動産賃貸事業の基礎を身につけることができました。それと、その一方で、今後の成長戦略に向けた業務も手がけることになりました。
不動産賃貸というビジネスでは、ビルが満室になるとそれ以上の成長を期待することが難しくなってしまいます。でもそこで終わってしまうと発展がないので、当時の上司、といっても私より20年近く年次が上の上司で私の尊敬する先輩でもあるのですが、その人とのコミュニケーションの中で「新しく賃貸ビルを取得して事業を拡大しよう」という言葉が出たことをきっかけに、不動産の取得・開発といった事業を積極的に進めることになりました。
そうです。とはいえ、たとえば不動産を取得するといってもその価格の決め方すらわからなかったので、最初は本当にたいへんでした。
投資金額が百億円を超えることもあるのですから、責任重大です。担当者としてやりがいと不安の両方を感じていました。でもこの4年間の経験のおかげで、価格を含めた不動産の査定や事業収支の作成、ファイナンス等の知識を得ることができました。
ですかね。思えば、ゼロから何かをつくりあげるような新しい仕事を、この頃からたくさん経験させてもらっている気がします。
入社5年目~11年目
京阪電鉄不動産に異動したのですが、別の上司と2人で新たにアセットマネジメント事業部という組織をつくり、京阪では初めての取り組みとなる不動産流動化事業の立ち上げを行いました。
これまでの経験の延長線上にあるビジネスだと捉えていましたが、結果的にはいろいろと新しいチャレンジがありましたね。会社として新ビジネスを立ち上げる大変さも当然ありましたが、そもそも私自身、これまでの不動産分野に加えて、金融関連の知識を新たに身につける必要がありました。専門的な資格の取得も求められましたし。
そう、新ビジネスを成功させることも当然難しいのですが、不動産流動化事業では金融商品を取り扱うことになるので、書類やメールといった情報の管理方法を見直す必要があり、それをふまえた規程などをゼロからつくることもたいへんでした。
自分自身がカバーできる業務領域の幅を広げられたことが大きかったですね。スキル面だけでなく、投資家はもとより、金融機関、不動産関係の会社など、さまざまなステークホルダーとかかわることで、360度視野が広がりました。また人脈形成という点では、現在につながる財産がたくさんできたと思っています。
はい、次は京阪カインドという会社のPM事業部に異動し、プロパティマネジメント業務を担当しました。簡単に言うと、賃貸ビルなどの不動産管理業務です。これまでは主に不動産賃貸の上流の仕事に携わっていたので、下流のエンドユーザーとつながる現場の仕事も経験すべきという意図の異動だったと理解しています。
5年在籍していましたが、異動して2年目で課長職に就き、スキルや年齢を含め幅広いキャリアの社員を部下に持つことになりました。
当時、「プレイングマネジャー」という言葉がありましたが、私は自分の言葉で「プレイヤーとマネジャーの両方の視点で仕事をやりたい」と主張していた記憶があります。
自分ができないことを部下に押しつけたり、自分ばかりが業務を抱え込んだりすると、部下も組織も成長できません。賃貸管理の業務は、オーナーのニーズをいかに実現するか。であれば、オーナーとの調整はマネジャーである自分がある程度引き受け、ニーズをどう実現するかは自らプレイヤーとしてやって見せた後、部下にしっかり任せる。
そうしてていねいにコミュニケーションをとりながら、チーム一丸となって、新たに掲げた組織の目標を達成することにやりがいや充実感を見出していました。実際、売上や利益も上げることができたので、一つの成果は出せたかなと思っています。
加えて業務スキル面でも、アセットマネジメントとプロパティマネジメントの両方の業務を経験したことで、不動産賃貸事業の全体を俯瞰的に見通すかたちで理解できたのはよかったですね。
入社12年目~13年目
それが、まったく経験のないホテル事業部門へ異動となりまして。そこで新業態の宿泊施設の立ち上げを担当しました。
当時から、京都や大阪ではインバウンド需要が拡大していまして、それに応えるべくホテルの客室を増やそうというのが経営ミッションの一つでした。一方で、ホテルという業態は、すでに京阪もチェーン展開していましたので、インバウンド需要も含めて少し年齢の若いターゲットをつかむために簡易宿所を新たに手がけようという話になったのです。
異動時、決まっていたことといえば、「京都・三条に築30年のビルがあるので、それをリノベーションして女性専用の簡易宿所をつくる」ということまで。あとは、京阪が手がけるホテルとはスペックも、ターゲットも、法規制も、単価も異なる新業態なので、ノウハウがまったくないゼロからのスタートです。
異動してきたのが2017年7月で、その翌年春が開業目標でした。
社内公募で集まった若手社員5人と私です。5人はいずれもホテル業務の経験はあるものの、新店開発業務は未経験。私は不動産開発の経験はあるものの、ホテル業務は未経験。なので、フロント業務など彼らの方が心得ている部分は任せて、私の方がノウハウを持っている部分は教えて、というかたちで奔走…、というか疾走していました。
旅館業の営業許可の手続きの関係で7月にずれ込みましたが、周囲の人たちにも助けていただき、なんとか開業できました。開業後は、お客さまに直接訴求するSNSなどを用いたマーケティング手法も展開したので、それも含めてまた新たな領域の知識と経験を得ることができたと思っています。
入社14年目~未来
不動産と言いたいところですが、今度は京阪ホールディングス 経理部に異動し、現在、課長として財務に関する業務を担当しています。
あまり聞いたことはありません。ですが、事業部門でキャリアを積んできた人間が担当することで、何か化学反応を起こすことが期待されているのだと思っています。経理部の仕事は、毎年、毎月、毎日、必ずやらなければならない仕事がたくさんあります。でも、それをこなすだけではなく、そこに新しい課題を見出して、なんとか「+α」を生み出そうとチャレンジしているところです。
そんなことはおこがましくてとても言えませんが、私が経理以外のフィールドで培ってきたものを、経理を通して還元するような試みはできるんじゃないかと模索しています。たとえば、金融機関とのつながりを活かして、グループ会社の事業支援に役立てるとか…。まだまだ手探り状態ですが。
経営ビジョンの基本方針にある「安全とチャレンジ」に集約されていると思っています。様々な経営環境の変化に対して、守るべき普遍の価値を大切にしつつ、そのうえで新しいことにチャレンジする、それが京阪の魅力。私自身、そこにやりがいや誇りを感じています。
キャリアを振り返ると、いろいろと経験しているように見えますが、実は自分の中では、「まちづくり」というキーワードでつながっています。冒頭、志望動機として挙げた「京阪沿線を自らの手で魅力的なまちに変えたい」という想いは、今もブレてはいません。現在の経理部でいえば、その後方支援をしている立場。その時々のポジションによって、また自身の成長によって、自分にできることを全力で誠実に行い、理想のまち、会社、組織、そして自分を創造し、少しずつでも近づいていきたいと思っています。