地下の隠された道を進んでいく。そこには目的の肖像画が鎮座していた。
サラザール・スリザリン。ホグワーツの創設者の一人にして、ハリーが継承した秘密の部屋とエグレの生みの親。
「……サラザール・スリザリン」
意を決して話しかけてみる。絵画は基本的に一方通行だ。向こうから話しかけてくる事はあっても、此方から話し掛ける事は出来ない。向こうから話しかけてきた場合でも、大抵は会話が成立しない。此方の言葉に聞き耳を持たないからだ。グリフィンドール寮の出入り口を守っている《太った婦人》などは例外的な存在なのだ。
そもそも、絵画は動いていても、生きているわけではない。モデルとなった人物の生前の行動や発言を模倣しているだけだ。本人のように思考出来るわけでも、本人の記憶があるわけでもない。
『来たか、ドラコ・マルフォイ』
それなのに、彼は話しかけてきた。教えてもいない名前まで呼んで。
『貴様はダフネ・グリーングラス。貴様はコリン・クリービーだね?』
「は、はい!」
「そ、そうです!」
ダフネとコリンの事まで知っている。やはり、ただの絵画ではない。
『……思考を重ねてみた』
「思考?」
思考など出来ない筈の絵画が思考した。それだけでも異常だ。
『前にハリー・ポッターがわしのところへ来た。そこで、わしは過去の記録を彼に見せた。教えておかねばならないと判断した為だ。だが、どうして、そう判断したのか分からなかった』
「どういう意味だ?」
『わしは肖像画だ。本人ではない。だが、こうして思考する事が出来る。本人の記憶も保持している。これは異常な事だ。そこで考えてみた。わし自身の正体について』
ロウェナ・レイブンクローを元に戻す方法を聞きに来たのに、妙な事になった。
ダフネやコリンもサラザールの独白に困惑している。
『わしは分霊箱だ』
「分霊箱!?」
ロウェナ・レイブンクローが開発した邪法。ヴォルデモートが不死の為に利用した魔術。
サラザール自身が不死の術としては欠陥品であり、他者に使う為のものだと語っていた筈だ。
『わし自身の意図によるものなのかは分からない。だが、出会った事もないハリー・ポッターに対して知識を授ける必要性を感じたり、君達の事を識っていた理由は一つだ。オリジナルがわしに知識や使命感を送りつけたのだろう』
「オリジナル!? つまり、それはサラザール・スリザリン本人か!?」
『その通りだ。オリジナルは生きている。故に、貴様らはわしではなく、オリジナルに話を聞くべきだろう』
「オリジナルにって……。でも、どこにいるんだ!?」
『少し待っているがいい。思考を重ねたとはいえ、この情報を君達に伝える事が出来た時点でオリジナルが君達と接触しようとしている事は分かる。向こうから来る筈だ』
僕はダフネ達と顔を見合わせた。
そして、少しすると秘密の通路に次々と気配が増えていった。
暗くてよく見えない。
「ルーモス」
杖で光を生み出すと、僕は目を見開いた。
暗闇の向こうから最初に姿を現したのは、僕が殺した筈の相手だった。
第百二十八話『再会』
「ハ、ハリー!?」
あまりの言葉に頭が真っ白になった。
生き返る筈だと分かっていた。けれど、確証があったわけではない。
偽物かもしれない。幻かもしれない。そんな考えが過る。
「……ほ、本当に」
だけど、そんな思考はすぐに溶けて消えた。だって、ハリーだ。親友が本物なのか偽物なのかくらい分かる。このハリーは正真正銘のハリー・ポッターだ。
涙が溢れて来た。
「本当に……、君なのかい?」
「ああ、僕だ。待たせたな、ドラコ」
いろんな感情がこみ上げてきた。
いろんな言葉が喉元までせり上がってきた。
いろんな思考が脳裏を駆け巡り始めた。
だけど、最後は一つの感情に支配された。
「ハリー!」
僕はハリーを抱きしめた。その存在を確かめた。
ぬくもりを感じる。たしかに生きている。
「……待たせ過ぎだ。おかえり、ハリー」
嬉しい。ハリーが生きている事が嬉しい。それ以外の事などどうでもいい。
「ああ、ただいま」
◆
ドラコがハリーに抱きついたまま肩を震わせ続ける姿に鼻を啜っていると、光の中に新たな人物が現れた。
「……先生?」
気まずそうな表情で彼はそこに居た。顔立ちは違っている。わたしが識っているよりもずっと整っている。だけど、彼の事をわたしが間違える筈がない。
誤魔化す時に視線を逸らしながら咳払いをする癖も彼のものだ。
ニコラス・ミラー。妹を助ける為に《ダリアの水薬》を共に研究してくれた人。わたしを護る為に不得手な筈の護りの魔法を施してくれた人。
誰よりも賢くて、誰よりも邪悪な人。
「ニコラス……、先生!」
彼は死んだ筈だ。だけど、ハリーが生き返るのなら、もしかしたらと心のどこかで思っていた。
涙が溢れ出して来る。鼻水まで出てきた。汚い顔を彼に見られたくない。だけど、顔を逸らせない。
「……わたしはニコラスではない」
彼は言った。そして、すまなそうに表情を歪めながらハンカチでわたしの涙を拭ってくれた。
「わたしの名はトム・リドル。嘗て、闇の帝王、あるいはヴォルデモート卿と呼ばれていた男だ。ニコラス・ミラーがわたしの分霊であった事は事実だが、彼とわたしは起源を同一とするだけの別人だ」
丁寧な説明はわたしに対して真摯に接したいと考えているからだろう。
その態度が彼の言葉を真実だと証明している。
「すまない、ダフネ・グリーングラス。君を苦しませる事は本意ではないのだ。だから、君が望むならわたしの存在とニコラスの存在を記憶から……」
「望まないって、分かってますよね?」
彼が一瞬浮かべた苦痛の表情にわたしは思わず微笑んでいた。
「……分かっている。だが、君が苦痛を味わう事はない。誰よりも幸福であるべきなのだ。我らの存在は君の人生の障害にしかならない。だから、出来れば記憶を消して欲しい」
「嫌です」
わたしは笑顔で言い切った。トムと名乗った彼は愕然とした表情を浮かべている。
「わたし、先生が好きです」
「……わたしはニコラスではない」
「知ってます」
わたしが言うと、あからさまに悲しそうな表情を浮かべた。分かりやすい。きっと、彼はこういう感情に不慣れなのだ。
「先生は分霊。だから、あなたは先生じゃない。でも……、先生ですよね?」
「いや……、だから……、それは……」
「先生」
一度離れていった手。もう、二度と離さない。
「わたしが苦しむ事は本意ではない。そうですよね?」
「あ、あの……」
「わたし、先生がいないと苦しいんです」
その顔を両手で包み込む。
「わたしを苦しめないで……」
凍りついた表情を浮かべる彼に顔を近づけていく。
◆
「……えっと」
コリンは困惑していた。
ドラコのようにハリーに飛びつきたかったけれど、ドラコを押し退けるのは気が引ける。だから、一人で喜びを噛み締めていた。すると、ハリーの他にも人がいる事に気付いた。一人はダフネの反応からヴォルデモートである事が察せられる。ただ、ハリーと一緒に現れた事やダフネの反応から察するに敵として現れたわけでは無いようだ。
問題は二人目だ。どこか見覚えがある。だけど、誰だか分からない。
「やあ、コリン」
その人物はコリンに優しげな笑みを向けた。その温かみのある表情にコリンは飛び上がった。
「ダ、ダンブルドア先生!?」
「然様。容姿が少し変わってしまったが、気付いてくれて嬉しいよ」
若々しいけれど、やはり彼はダンブルドアだった。
「先生も生き返ったんですね!」
「恥ずかしながらのう。さて……」
ダンブルドアはハリーとトムの方を見た。ハリーはドラコの頭を撫でながら慰めている。トムはダフネに唇を奪われている。ダンブルドアはコリンの方に顔を戻した。
「……少し待っていようかのう」
「そ、そうですね……」
言いながらコリンは持っていたカメラでそれぞれを撮影しておいた。
決定的瞬間を逃さないカメラマンの鑑だとダンブルドアは感心した。
◆
しばらくして、それぞれがそれぞれの世界から帰ってきた。
「……さて、再会を喜びあったところで本題に移るとしよう」
「そ、そうだな!」
トムはちょっと声が裏返っていた。
今の彼の姿を見たら死喰い人達が見たらどう思うか、ダンブルドアは想像しかけて止めた。
彼をここまで骨抜きにしたダフネの愛が凄かった。それでいいと思った。彼女がいる限り、彼が悪逆の道に戻ることは無いだろう。
「これよりロウェナ・レイブンクローを止める。その為の方法を識る為に我々はここに来た」
「……えっと、僕達も同じだけど、サラザールは自分が分霊箱だからオリジナルが来るのを待てって言っていたんだ。オリジナルが来たのかと思ったけど、現れたのは君達だったし、もう少し待つ必要があるのかも……」
「ああ、オリジナルならここに居る」
その言葉はハリーの背後から響いてきた。
「え?」
コツコツと足音を立てて現れたのはエグレだった。
彼女はサラザールの肖像画を見つめながら言った。
「父上よ。あなたは常に我を見守って下さっていたのだな」
嬉しそうに彼女は微笑みながら言った。対するサラザールはすまなそうな表情を浮かべている。
『そうか、オリジナルはお前の中に……』
「そんな表情を浮かべないでくれ、父上。我はあなたに感謝の念しか抱いてはいない。さあ、再び舞い戻ってくれ、この世界に。わたしがあなたを認識出来たのも、そういう事なのだろう?」
エグレの言葉に呼応するように肖像画は光を帯び始めた。
そして、同時にエグレの体からも光が溢れ出した。
光が一所に集まっていく。
やがて、光は人の形を象り始めた。
「……寂しい想いをさせた。お前に秘め事をして、利用した。こんな罪深いボクを責めないのかい?」
そこには肖像画よりも若々しい姿のサラザール・スリザリンの姿があった。
「無論だ。言っただろう。我はあなたに感謝の念しか抱いていない。あなたに生み出されたおかげでマスターと出会う事が出来た。ゴスペルやマーキュリーという友を得られた。だから、我があなたに捧げる言葉は一つだ。ありがとう、父上」
エグレの言葉にサラザールは涙を流した。
「ありがとう、エグレ。名すら付けてやれなかったボクを父と呼んでくれて……」
サラザールはエグレを抱きしめた。至福の表情を浮かべるエグレにハリーは複雑な思いを抱いた。
正直に言えば、サラザールがエグレにした仕打ちの数々は許せる度合いを超えている。孤独な地下に縛り付けておきながら、自らの魂を忍ばせていた。いずれ復活する時まで、己の存在を隠す為に……。
エグレはホグワーツの生徒や教師の噂話を真に受けて、自分の存在価値をいずれ現れる継承者に忠誠を誓う為だと信じていた。それは孤独を慰める為だった。
彼女は苦しんだ。その苦しみを知っていながら、ずっと存在を隠していた。
その事を識った時、怒りで頭がおかしくなりそうだった。
だけど、エグレは嬉しそうだ。
父親と再会出来た事を心から喜んでいる。そんな彼女の表情を曇らせるような真似は出来ない。
ハリーは必死に怒りを押し殺した。
「さあ、父上。ロウェナ・レイブンクローを止める方法を教えてくれ。識っているのだろう?」
「ああ、識っている。彼女の変心の理由を識れば、君達ならば容易に想像がつくだろう」
「変心の理由? それは識っているぞ。彼女の生徒達の死が引き金だろう?」
トムの言葉にサラザールは頷いた。
「その通りだ。ただ、事は額面通りの単純なものではない」
サラザールは言った。
「ロウェナの変心は彼女が望んだ事では無かったのだ」
「なに?」
「どういう事だ!?」
驚く面々に対して、サラザールは語った。
「彼女は生徒達を心から愛していた。それこそ、実の娘や息子のように」
サラザールは肖像画がかけられていた壁に手を向けた。すると、まるで映画のスクリーンのように壁に映像が映し出された。
それは影絵のようだった。女性の影が子供の死体の山を前に血の涙を流している。
「レベッカ。アビゲイル。フレンダ。アレン。オリマー。ヒルデ。サニー。アルベルト。クルス。フィオレ。トリマー。エカテリーナ。オルソー。ライオネル。ケビン。サリエル。ウーリエ。ミリア。シンジロウ。ガイ。ロドニー。ヘリオステス。マーカス。ミッケラン。アブサラス。レン。ルドルフ。ホークス。ベガ。ウグノーア。エル。イリス。レオン。サハクティーア。イスアンジェラ。エドワード。シアン。ジャスパー。レミリア。エヴァン。トルソー。シシー。クリス。イヴ。メアリー。ジン。ケイト。シン。クルス。コバルト。タカマル。エマ。スンニ。ハルマン。エトナ。リリム。エスメラルダ。ブロッケン。キース。ビビアン。ストーン。キキ。レオンハルト。アーシー。ロゼリア。マリオ。ジーン。ジェナス。ロット。グスタフ。ジョン。アブルッチ。アリス。ホーマー。プロトニクス。クイーン。ショーン」
サラザールは死体の一つ一つを指でなぞりながら名前を呟いた。
「みんな、ロウェナの理想に殉じた。それは彼女の心に大きな傷をつけた。彼女は思ったのだ。彼らを殺したのは己の理想だと。彼らを殺したのはわたしだと。彼女の心は引き裂かれた」
「……まさか、彼女の変心の理由とは!」
真っ先に気付いたのはトムだった。
サラザールは頷いた。
「それこそが分霊箱という魔法誕生の瞬間だ。もっとも、実際に分霊箱が発動したのは少し後の事だがね。発動した分霊箱には彼女の良心や罪悪感が封じられていた。彼女は悪魔が囁くままに人では無いものに生まれ変わってしまった。人類を救済したいという尊い願いの為に……」
「……《偉大なる人でなし》。そういう意味だったのか」
嘗て、エグレからサラザールがロウェナに対して使っていた呼び名を聞いた。
偉大なる人でなし。それは人類救済という尊い願いの為に自らを人ではないものに変えてしまった彼女を嘆いての呼び名だったのだ。
「……なるほど、納得がいくな。たしかに、わたしも日記の分霊箱に童心や友情に対する渇望を封じ込めていた。指輪やロケットにも人間性の一部を封じ込めていた。だからこそ、わたしはどこまでも悪に堕ちる事が出来た」
「……先生」
ダフネはトムの手を強く握りしめた。その手をトムは振り払う事が出来なかった。
「つまり、ロウェナを元に戻す方法とは……」
ハリーは言った。
「ロウェナに自らの行いを悔い改めさせる事だな? 分霊箱によって分かたれた魂は心から悔いる事で再び一つに戻る」
その言葉にサラザールは頷いた。
「簡単な事ではない。だが、それ以外に方法はない」
「……待ってよ」
コリンは慄くように言った。
「世界をメチャクチャにした相手だよ!? 今更、後悔させるなんて出来るの!? 何もかも犠牲にする覚悟を決めた相手なんだよ!?」
「難しい事だが、やるしかない。それに、犠牲という点については一つ訂正するべきだ」
「え?」
ハリーは言った。
「状況は識っている。既に全人口の半数以上が死滅しているとな。だが、それは彼女の目的からはかけ離れたものだ。いくら変心していてもな」
「で、でも……、実際に死者が……」
「恐らく、死者はすべて蘇る事になっている筈だ。その為の救世主なのだろう」
トムの言葉にコリンは困惑した。
「ど、どういう事?」
「実際に完全なる死から蘇った事で分かった。蘇生術は難しい魔法ではない。必要なプロセスは二つだ。一つは現世と冥界の狭間に道を開く事。そして、もう一つは現世から冥界へ響く声。死者を強く求める生者の意志が必要となる」
「……ぜ、全然難しくないって思えないんだけど」
「道を開く方法は理解した。そして、死者に呼びかける声は救世主が担う筈だ」
「救世主……? それって、ハリーの事だよね?」
「そうだ。生き残っている者達はとくに救世主を求めている。その意志は冥界にも届いていた。死者達も救世主を求めている。故に、救世主となった者の声はすべての死者に届く筈だ」
トムは言った。
「黄泉帰り。そして、死者の蘇生。二つの奇跡によって、ハリーは世界の王となる。文明が壊滅状態である以上、蘇った者達は縋るしか無いからな。自分達を蘇生した超常の存在に。それこそ、第一の救世主たるイエス・キリストの如く」
ハリーは肩を竦めた。
「彼女の目的はあくまでも人類の救済だ。その手段が冷酷過ぎるだけで、本質は変わっていない。そこに活路はある筈だ」
コリンは息をするのも忘れてハリーを見つめた。
これまで絶望しかなかった状況に一気に希望の光が輝き始めた。
ハリー・ポッター。まさに彼は救世主だ。
「僕は救世主になどなる気はない」
けれど、彼はそう言った。
「ロウェナの望みは叶わない。人類の蘇生については若干手間だが策がある。そうだな?」
ハリーはトムを見た。
「ああ、問題ない。蘇生術の理論は完全に理解した。最も容易な手段は《救世主の呼び声》だが、他にも方法はある」
「そういうわけだ。問題はすべてクリアされている。残るはロウェナの対処のみだ!」
ハリーの言葉にダンブルドアは頷き、トムはニヤリと笑みを浮かべ、ドラコはハリーの凄まじさに肩を竦め、コリンとダフネは歓声を上げた。サラザールも微笑んでいる。
「いや、待て」
ところが、エグレが待ったをかけた。
「なんだ?」
ハリーは首を傾げた。
「ロウェナの件は放置で問題ないぞ」
「……は?」
意味が分からなかった。
「……さすがはロンというところだな。既にロウェナに対して王手を掛けている。我らが動けば、むしろ邪魔にしかならんぞ」
「……ど、どういう事だ?」
ハリーはトムとダンブルドアを見た。二人も頭の上にはてなマークを浮かべている。
「父上。我の記憶を皆に見せられるか? おそらく、それで納得出来る筈だ」
「あ、ああ」
サラザールも動揺していた。そして、彼はエグレの記憶を壁に投影した。
そこに映し出されたのはロンがロウェナの分霊であるレベッカとの交流の様子だった。
見終わったハリーは呆れたように呟いた。
「……さすがだぜ、ロン」