【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第百十六話『反撃の始まり』

 僕は図書室で《ハリー・ポッターの伝記》を執筆している。前に書いたものは誰に見せても情熱を買われるだけで出版出来るレベルには至っていないという評価ばかりだった。だから、書き直す事に決めた。

 ハリーの事を識ってもらう。その為の伝記だ。

 

「……ハリーは絶対に戻ってくる!」

 

 誰に言っても哀れみの視線を向けられた。

 アバダ・ケダブラを受けたのだ。あの時、地下牢で僕も見た。横たわる彼に駆け寄った。呼吸も心臓も止まっていた。肌に触れると、ゾッとする程に冷たかった。それが死体である事に疑う余地はなかった。

 死の世界から戻る方法なんて、僕には想像もつかない。だけど、そんな事は重要じゃない。

 彼はハリー・ポッターだ。僕のヒーローだ。不可能を可能にする男だ。

 

「《死》が何だって言うんだ! ハリーは誰にも負けない! 絶対に!」

「うん。ハリーは負けないよ」

 

 心臓が飛び出すかと思った。

 学年末試験が中止になって、図書室は伽藍堂になっていたし、司書のマダム・ピンスも奥の方で本の整理をしているから安心して独り言を呟いていたのだ。

 慌てて振り向くと、そこにはダフネの姿があった。

 

「こんにちは、コリン」

「こ、こんにちは」

 

 葬儀の時は塞ぎ込んでいた彼女だけど、今は妙に明るい表情を浮かべている。

 

「それ、ハリーの伝記?」

「う、うん! 書き直してるんだ!」

 

 ダフネはハリーの伝記の初版を評価してもらった内の一人だ。彼女には色々とアドバイスを貰った。

 

「……ちょっと、見てもいい?」

「う、うん!」

 

 書きかけだけど、彼女の意見は値千金だ。

 ダフネは黙って伝記を読み始めた。前に見せた時も思ったけど、彼女は真剣に向き合ってくれる。

 

「……コリン」

「な、なに?」

 

 まだ書きかけだからか、彼女はあっという間に読み終えてしまった。

 辛口の評価が下る事を覚悟して彼女の次の言葉を待っていると、「最初に書いた方、持ってる?」と言われた。

 

「最初の?」

 

 もちろん持っている。僕はカバンのダイヤルを回した。ハリーのトランクみたいに、僕のカバンもダイヤルで切り替わるいくつかのスペースに分かれているのだ。

 大切な物を仕舞っているスペースから最初に書き上げた伝記を取り出すと、彼女は「読んでみて」と言ってきた。

 意味がわからない。散々な評価を受けて、最初に書いた伝記の出来が如何に悪いか、僕も思い知っている。今更、読み返す事に意味なんて無い筈だ。

 

「いいから、読んでみて」

 

 有無を言わさぬ雰囲気だ。穏やかで優しい人という印象を持っていたけれど、よく考えてみると彼女はハリーが敬意を払う数少ない相手だ。ダリアの水薬によって世界に革新を齎した女傑。彼女の凄みに負けて、僕は素直に最初の伝記を読み返した。

 すると、読み進めていく内に奇妙な違和感を覚え始めた。

 

「……やっぱり」

 

 ダフネは呟いた。

 

「ついて来て」

「え? え?」

 

 返事も聞かずにダフネは僕の手を引っ張った。困惑している僕に碌な説明もしないまま、ニコラス先生の部屋へ連れ込まれた。

 

「ダ、ダフネ?」

 

 いい加減、説明して欲しい。僕が恐る恐る声を掛けると、彼女は僕の手から伝記を奪い取った。実に乱暴だ。

 ペラペラと伝記を捲ると、彼女は僕を見つめた。

 

「名前は書き換わっている。でも、君が心血を注いだ文章までは改竄を受けていない。出来なかったのね。君の文章は君だけのもの。特に最初の伝記は君の情熱をそのまま認めた作品だもの。他の誰にも真似なんて出来ない。たとえ、《死》であろうとも」

「《死》!? ど、どういう事!?」

「ハーマイオニー・グレンジャー。覚えてる?」

「ハー……、なに? え? 名前……、あれ? なんで……」

 

 初めて聞く名前だ。それなのに、どうしてだろう。耳に馴染む。

 まるで、何度も耳で聞いた事があるかのように。

 まるで、何度も口で発した事があるかのように。

 その名前が、とても馴染み深い。

 

「……ハーマイオニー」

 

 何度も呟いた。

 呟く度にぼやけていたものが輪郭を持ち始める。

 最初の伝記を読み返す内に生まれた違和感。その違和感と《ハーマイオニー・グレンジャー》という名前が共鳴している。

 

「これって……」

 

 慌てて書きかけの最新版と最初の伝記を近くのテーブルに広げた。

 違和感の正体。

 それは……、

 

「……レベッカ?」

 

 冷静に読み比べてみると、レベッカの描写がおかしい。

 例えば、最初の伝記の出会いのシーンだ。

 

 ハリーがうたた寝していると、ボサボサな髪の女の子がコンパートメントの中に入って来た。

「あなた、ヒキガエルを見なかった? ネビルのペットがいなくなったの」

 偉そうな口振りにハリーは苛立った。

 

 これが、最新版だとこうなる。

 

 午睡から覚めると、そこに彼女が立っていた。艷やかな黄金の髪が印象的な女の子だ。

「君は……?」

「わたしはレベッカよ」

 それが運命の出会いだった。

 

 冷静になって読み返すと、明らかにおかしかった。

 

「……なんだこれ」

 

 すごく美化されている。

 更に読み進めていく、最初の伝記では二人の関係がどんどん劣悪なものになっていく。だけど、最新版では最初からラブラブだ。

 

「あっれー?」

「ハリーとハーマイオニーの関係はとても特殊だったわ。単なる友情や愛情ではなく、敵対心から始まったライバル関係。競い合う中で徐々に互いを認め合い、心の距離を縮めていった。コリンの文章と同じ。他の誰にも、ハーマイオニーのような関係をハリーと築く事は出来ない」

 

 ダフネは冷ややかな表情で言った。

 

「レベッカ・ストーンズ。目的も手段も分からないけど、彼女はハーマイオニーの立場を奪った」

「彼女は偽物って事?」

「その通りよ、コリン。あなたの最初の伝記こそ、真実を物語っているわ」

 

 彼女は僕に手を差し伸べてきた。

 

「何が起きているのか、まだ何も掴めていない。だけど、間違いなく言える事がある」

「それは?」

「ハリーの愛した唯一の女性が危機に陥っている」

 

 その言葉に思わず拳を握りしめた。

 腹の底から怒りがマグマのように湧き上がってくる。

 

「助ける為にはあなたの力が必要よ」

「絶対に助ける!」

 

 ハリーはいずれ戻ってくる。だけど、すぐではない。

 彼が戻ってくるまで、彼の大切なものを守らなければいけない。

 それが僕の役割だ。

 

「まずは調査を開始しましょう」

 

 ダフネは言った。ハーマイオニーを助ける為には何よりも情報が必要だ。それは分かる。もっともな意見だ。

 だけど、その前にやるべき事がある。

 

「待って、ダフネ。もう一人必要だよ。この状況で一番頼りになる人だ!」

「ドラコの事? でも、彼は……」

 

 たしかに、ドラコは誰よりも頼りになる男だ。そして、もっとも信頼出来る人だ。

 だけど、今の彼は憔悴し切っている。

 

「違うよ。いずれ自力で立ち上がる筈だけど、今は心の整理が追いついていないんだ。だから、彼じゃない」

「なら、スクリムジョール? スネイプ先生? それとも……」

「いるよ! 《死》がホグワーツの創設者の一人、ロウェナ・レイブンクローなら、彼女に対抗出来る人が一人だけ!」

「創設者のロウェナ・レイブンクローに!? そんな人……、ハリーやダンブルドア先生……、それか……」

 

 ダフネは一瞬表情を曇らせた。けれど、すぐに驚愕の表情を浮かべた。

 

「まさか、グリンデルバルド!?」

「違うよ!? たしかに、必要になるかもしれないけど、今の時点だとリスクばっかり大きくて意味がない!」

「なら、一体……」

「ロンだよ! ロン・ウィーズリー!」

「ええっ!? ロン!? まさか、それって、グリフィンドールのロンの事!?」

 

 ダフネは心底意外そうに目を見開いた。彼女にとって、彼はあまり頼りになる男では無いようだ。

 無理もないと想う。彼女はあの時、あの場にいなかった。

 

「ロンはグリフィンドールの剣に選ばれたんだ!」

 

 ジニーがグリフィンドールの剣を握り、エグレと戦った時の光景を思い出す。空前絶後の究極バトルの軍配はジニーにあがりかけた。あれほどの絶大な力を正統に継承したロンなら、この事態でも必ず力になってくれる筈だ。

 

「まずはロンだよ。彼が居れば百人力さ!」

「えーっと、コリンがそこまで言うなら……」

 

 ダフネは半信半疑だ。たしかに、普段の彼はちょっと頼りない。

 だけど、僕は見た。エグレを庇い、振り下ろされる刃の前に己の身を差し出した彼の勇気を。

 

「ハリーはロンに《さすがはロンだ》って言ったんだ! さすがって言葉は信じている相手に対して言うものだよ! ハリーは彼を信じていたんだ!」

「ハリーが……」

 

 ようやく彼女も信じてくれた。

 

「うん、分かった! ロンに会いに行きましょう!」

「うん!」

 

 正直、未だにレベッカが偽物という事を信じ切れずにいる。だけど、同時に最初の伝記が訴えかけている。

 ハリーの愛した女性は他にいる。彼女が危機に陥っている。

 

 だから、助けろ!

 

 理屈じゃない。だけど、それでいい。理屈よりも、心が正しいと訴える事を信じて突き進む!

 

 第百十六話『反撃の始まり』

 

 ハリーがグリンデルバルドとの決戦中に命を落とした。だけど、僕は決戦後にハリーと会っている。彼は眠そうにしていたけれど、自分の足で歩いていた。あれは単純に睡眠不足なだけだ。聞いてみたら三大魔法学校対抗試合の最終試練から一睡もしていなかったらしい。眠くて当たり前じゃないか。

 何かおかしい。そう思っていると、死にそうな顔のドラコがやって来て、トンチンカンな事を言い出した。

 

 ―――― 僕はハリーを殺した。

 

 詳しく聞いてみて、ドラコも災難だと思った。

 ハリーは自分の持っていた杖をドラコに渡して、死の呪文を唱えさせた。ニワトコの杖で魂ごと破壊する為だとドラコは説明を受けたようだけど、僕はすぐに嘘だと気づいた。だって、杖の忠誠心がハリーのままだ。

 杖には忠誠心がある。この事を教えてくれたのは、他ならぬハリーだ。

 僕の杖がチャーリーのお下がりだと聞くと、彼は言った。

 

 ―――― 杖まで? ボクが聞いた話だと、杖には忠誠心があるから、中々持ち主以外には従わないと聞いたが、大丈夫なのかい?

 

 彼のおかげで僕は新しい杖を持ってホグワーツに入学する事が出来た。後から聞いた話だけど、あの時の杖は僕に対して全く忠誠心を抱いていなくて、簡単な呪文さえ使い難い状態にあったらしい。

 杖の忠誠心はとても重要なもので、それは《伝説》と謳われるニワトコの杖も例外ではない筈だ。むしろ、普通の杖よりも重要な気がする。

 ハリーがその事を分かっていなかった筈がない。本当に自分を魂ごと破壊させるつもりだったのなら、先に杖の忠誠心を移す為の過程を挟む筈だ。だけど、ドラコに聞くかぎり、そんな行動は一切取っていないようだった。

 

「なにか企んでるよね、これ」

「ロン……?」

 

 隣でネビルが首を傾げた。

 

「なんでもない」

 

 いけないいけない。多分だけど、ハリーは死んだふりをしているだけだ。だけど、その事に気づかれたくないと思っている筈だ。だから、この事は誰にも言えない。きっと、既に《死》との戦いは始まっているんだ。

 グリンデルバルド決戦から間髪を容れずに忙しないったらない。だけど、そういう事なら僕だって戦う。

 勇気を示してみせる!

 

「ロン!?」

「え?」

 

 手がいきなり重くなった。視線を向けると、いつの間にか部屋に置いてきた筈のグリフィンドールの剣があった。

 

「!?!?」

 

 慌ててローブの中に隠したけど、ネビルはギョッとした表情で僕を見ている。

 

「も、持ってきたの?」

「ち、違うよ。いきなり現れたんだ!」

 

 なんだろう。よく分からないままなんとなくノリで持ち続けているけど、この剣って、持ってて大丈夫なものなのだろうか?

 いきなり現れるなんて普通じゃない。そもそも、ジニーがエグレと戦っていた時に人間を卒業していた理由もこの剣らしい。

 

「……あとで湖に捨てに行こうかな」

 

 キラキラしてるしカッコいいけど、それ以上にやばい感じしかしない。僕は決意した。

 

「あっ、レベッカだ」

「レベッカ?」

 

 誰だろう? 知らない女の子がハリーの棺の前で何やら演説を始めた。

 

「レベッカ……、辛いだろうね」

「え?」

 

 ネビルは悲しげに彼女を見つめている。知り合いらしい。

 よく見ると、他のみんなもネビルと似たりよったりな反応だ。みんなも知っているらしい。

 

「あれ?」

 

 もしかして、知らないのは僕だけ?

 

「えっと……」

 

 彼女の演説を聞いていると、なんと、彼女はハリーの恋人だったらしい。

 びっくりだ。ハリーの恋人はハーマイオニーだと思っていた。まさか、ダンスパーティーで踊ったり、キスまでしていたのに恋人じゃなかったのか!?

 いやいや、そんな筈はない。ハリーからいろいろ相談もされた。二人が付き合い始めた事の報告も受けた。

 

「浮気か!?」

「ロ、ロン!? いきなり、どうしたんだい!?」

「あっ、いや……」

 

 あの野郎。まさか、ハーマイオニーというものがありながら、他の女の子にも手を出していたのか!

 もしかして、死んだふりはその事を誤魔化す為!? そう言えば、ハーマイオニーの姿が見えない。

 

「なんて事だ……」

「ロ、ロン……?」

 

 ネビルがドン引きした様子で僕を見ているけど、そんな事を気にしている場合じゃない。《死》と戦う為に死を偽装したのかと思っていたけれど、真実は違った。

 ハリーは二股野郎だった。そして、ハーマイオニーを選び、逃避行する為に死んだふりをしたんだ。

 レベッカ・ストーンズ。なんて、可哀想なんだ。涙を流しながらハリーとの思い出を語る彼女に僕は心底同情した。彼女は振られてしまったんだ。

 彼女の事はよく知らないし、二股の事実を確認してもいないし、ちょっと逃避行の為にここまでする必要があるのかも分からないけど、多分きっと絶対そうだ!

 僕はみんなと一緒にレベッカへ精一杯の哀れみの眼差しを向けた。


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