うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ 作:珍鎮
「──えっ、樫本先輩が?」
マンハッタンがトレセンに戻った翌日の夕方。
久方ぶりに店内の客数が少ないバイト先の喫茶店で、俺はカウンター席に座った理事長秘書の駿川さんと話をしていた。
今日のバイトは俺一人だ。店内デート♡
不慣れながら店長が始めたSNSの事前告知のおかげで、ドーベルたちウマ娘が出勤しない日はほぼ以前と同じくらいの客足で落ち着いている。今も駿川さん以外のお客さんはゼロだ。
みんな現金というか……まぁ忙しくなり過ぎないのは俺にとっては良い事なのだが。
ドーベルたちが俺のシフトが入っている日に来ていない理由は簡単で、昨日マンハッタンが話していたイベントの準備が忙しいからだ。
で、そのイベントが始まる日に──恩人が中央トレセンに帰ってくるという情報を、たった今駿川さんから聞かされた。俺を驚かせることに余念がない。虚を突かれる思いだぜ。
「えぇ、ちょうどイベントの当日にこちらへ戻ってきて協力してくれるそうなので。葉月君もどうですか?」
「どうって……いや、無関係の俺が裏方に回っていいんですか」
「あはは、無関係なんかじゃないでしょう。葉月君は理事長秘書補佐代理なんですから」
それはイベントの時に作った架空の役職なんだが。
まぁ、内部へ入り込める理由があるなら使うに越したことはない。
「ちなみに秘書補佐は空席なので自動的に代理の葉月君が補佐に回ります♪」
「あの……本当に存在するんですか? 秘書補佐って席」
「……ふふっ」
おい目ぇ逸らすな小賢し女。美しすぎる可憐な女。お前俺のことが好きなのか?
スーパー万能ハイスペック・ウーマンとして名高い駿川さんに補佐なんて必要ないと思うのだが、ここまで誘導されてしまった以上はしょうがない。アレで条件を飲んだ俺の責任だ。
「後で概要をメッセージで送っておきますから、当日は裏口から直接理事長室までお願いします」
「え、理事長室って……トレセンでやるんですか、イベント?」
「一日目は、ですけどね。祝日と土日の計三日間の開催になります」
マジのウルトラ有名人であるあの三人を羨ましく思う事もあったが、休みを返上してまでイベントに出演すると考えると彼女たちも彼女たちで大変なんだなと再認識した。
そういう時こそ暇を持て余している一般学生の俺の出番というわけか。淫猥な気付きをたくさん得たよ。
「……あ、二日目と三日目もついていって大丈夫なんですかね、俺」
「もちろんです。……とはいえホテルに泊まる彼女たち主演ウマ娘と違って、夜は私と同様の車中泊になってしまいますが……」
「全然問題ないです。寧ろ寝床があるだけありがたいっすから」
「……ふふっ、男の子ですね。最近は夜も随分冷え込みますし、寝るときは二人で温め合うのもありかも……?」
「な、何を言ってんですか……」
年下の男をからかうのがお好きなようで。だが俺は惑わされない。むしろそっちを惑わすくらいの気持ちで臨む所存だ。舐めんな。舐めるぞ。
「では当日もよろしくお願いしますね、葉月君」
「えぇ、また」
──といった流れで再びトレセン主催のイベントに裏方側で参加することになったのであった。がんばるむん。
◆
数日後、いつにも増して車がたくさん止まっている駐車場までやってきた。今日はイベント当日だ。
ところで──実は結構ムラムラしている。
性欲を持て余した高校生の男子なんて年がら年中ムラムラしてるのかもしれないが、それに輪をかけて性欲が爆発寸前まで肥大化している。今宵の月のように。
というのも、昨晩に“カラス”と戦ったせいでこうなってしまっているのだ。
久しぶりに顔を見せた害獣野郎だったが、夜中に姿を現したと思ったら軽い小手調べのような雰囲気で、いつもよりも幾分か短いコースしかない異空間を作り、負けた後はさっさと退散してしまった。
しばらく戦っていなかったから今の俺の実力を軽く調べておきたかったのかもしれないが、中途半端な時間に中途半端なレースを走ったせいで俺の中の欲求が大変なことになってしまっている。出過ぎた杭。
三大欲求が肥大化したサンデーとユナイトするとはいえ、思いっきりレースを走り切ることができれば気持ちのいい運動で多少はスッキリするものなのだ。
しかしそれさえも中途半端──今の俺は結構ヤバい。
現在の時間帯は早朝。
増幅した三大欲求が絶賛暴れまわっている。
朝食を済ませる時間が無かったせいで食欲が腹の虫を鳴かせていて、深夜にバトって早朝に帰ってきたから睡眠時間もロクに取れずクソ眠い──そして性欲。
特に性欲に関しては数日前のマンハッタンのアレからずっと引きずっている。アイツどこまで俺を高揚させるおつもりか? 堪忍袋の尾があるよ。
なんせシリアスな雰囲気で淫靡な雰囲気をぶった切った直後なのだ。たとえ性欲があり余っていようと、この流れでサンデーに“いつものアレ”を頼み込むのは……なんか、こう……無理だ。マンハッタンがダメだったからお前で、みたいな軽薄な男だと思われたら余裕で死ねる。
というわけで我慢していたわけだが、完全に裏目に出た。まさかカラスに様子見という選択肢があるとは微塵も考えていなかったのだ。ちゃんと走れれば少しはスッキリしたかもしれないのに──
「……秘書補佐? 聞いているか?」
「えっ、あっ」
うるさいぞこわっぱめが! エヴォリューション!
資料を持って説明してくれている理事長ことやよいの一言で我に返った。どうやらボーっとしてしまっていたらしい。
「集中ッ! 表に出るウマ娘たちだけでなく、我々の気を引き締めなければイベントの成功は無いっ!」
「す、すみません、理事長。以後気をつけます」
他の大人たちもいる都合上……というより二人きりの時以外は、秋川やよい理事長には敬語を使い、彼女は俺に他人と同様の態度で接するようにしている。今のコレは身内関係なく普通に怒られただけだろうが。許せ! 心からの願い。
「配置ッ。ではそれぞれ所定の場所で待機してくれたまえっ!」
「……では葉月君、私たちも行きましょうか」
理事長の合図で一時解散し、大人たちが理事長室から退室していく。それを全員見送り自分も上司である理事長秘書についていこうとしたとき、さらにその上司である理事長に引き留められた。上目遣いによる極上の逸品を隠し持つとは。俺は許してもお天道様は許さんよ。
「ま、待って。……あの、葉月……もしかして具合悪い? 何だかちょっと顔が赤いけど……大丈夫?」
「ぜんぜん平気だよ。少し寝不足なだけだから、ちゃんと調整してすぐ治す。……すいません理事長、僕も待機位置に付きます」
「う、うむッ」
イベントの為にあれこれ四苦八苦しているやよいを更に苦しめる事にはならないよう、なるべく平常な表情を作って理事長室を後にした。
クソねむい。
腹が減った。
あり得んほどムラムラする。
割り当てられた仕事が少ないとはいえ、フラついて誰かに迷惑をかけたら本末転倒だ。本格的にダメになる前に、やるべき仕事を終えたら駿川さんに許可を取ってどこか静かな場所で休憩を取ろう。
俺と配置場所が違う駿川さんと別れ、そのまま廊下を歩いていると見覚えのある人物に遭遇した。
「……サイレンス?」
「あっ、葉月くんっ」
勝負服でも制服でもなく、イベント限定の特別な衣装だ。お腹が見えてて非常に猥褻。
俺を見つけて駆け寄ってくる──かと思ったらサイレンスは途中で立ち止まってしまった。そのまま来れば抱き留めてやったというのに。
「っ!? ……ぁ、あの、葉月くん……」
「何だよ。どうした?」
チラチラと視線を右往左往させて次第に顔が赤くなっていくサイレンス。
なんだなんだ。俺もお前もまだ何もしていないのに。
「いえっ、その……えと……」
よく分からない。一体何に対して困惑しているのだろうか。欲求不満と見た。
「……は、葉月くん、ジッとしててくれる……?」
困惑する俺を置いてけぼりにして、なんとサイレンスは俺の目の前で膝立ちになってしまった。何をやってんだ遂に服従か? 悪くない。
彼女の行動に困惑しつつ言われた通り固まっていると、跪いた少女は俺の
「よいっ、しょ……」
ジジジッ、と硬いものが擦れるような音が鳴った。
下を見る。
サイレンスがいる。
彼女の指先には小さい金属がつままれている。
それを上まで上げて、少女は比喩抜きに耳まで真っ赤にして、金属から手を離したあと斜め下を向きながら小さい声で呟いた。
「…………あの、ズボンのファスナー、開いてたから……閉めた……」
──。
「ぜっ、絶対に秘密にするわ……っ! 葉月くんも知られたくないだろうし……本当に、二人だけの秘密に……っ」
ほう。
なるほど。
そういう事か。
──平常時なら取り乱すところだった。
焦ってひっくり返るどころか、思考停止してそのまま泣くまであった。
しかし今の俺は正常ではない。腹減りすぎて眠すぎてムラムラしすぎてあまりにもヤバいこの状況では、逆に物事を俯瞰して見れる状態に陥っていた。冷静に現状を分析しようではないか。
まず、俺のズボンのファスナーが開いていた。
これに関しては原因が明らかで、深夜に寝間着のままカラスと戦って帰宅した後、時間が無さすぎて急いで制服に着替え──その時に閉め忘れて忘れてしまったのだろう。
今の三大欲求トリプルバースト状態の俺であれば、確かにボーっとしがちだしこういった凡ミスもあり得ない話ではない。しかし少々恥ずかしい。ホッ♡ 少しばかりイグッ♡
では最初から開いていたとして、理事長室での話し合いの際に誰にも指摘されなかったのは何故なのか。
あの時、入室したのは俺が最後だった。既に大人の人はみんな資料に目を通していて、イベントの都合上部屋の出入りがそこそこ多い状況では俺が入ったとて気にする人物は誰もいなかった。それは話し合いに集中していたやよいや駿川さんも然りだ。
そして大人たちの退室時、俺は資料を持って手を前に組んでいた。紙の資料でちょうどファスナーの位置が隠れていたのだ。日本男児の装い。
やよいと話したのも一瞬。
首だけを彼女の方へ振り向かせたため、ズボンのファスナーはそもそも彼女には見えない。マヌケめ。
そして駿川さん。俺と彼女は常に目を見て会話していた。身長は俺の方が高いものの、下を注視しなければ気づけないほど俺たちは近い距離感で接していた。近すぎんだよ! ベロキスで愛情込めると心得よ。
で、サイレンス。
彼女が気がついてくれたのは、単に距離の都合上俺の全身を見ることが出来たからだ。つま先から頭のてっぺんまで目に入る距離に彼女はいた。
そしてサイレンスはどういうわけか『ファスナーが開いている』と指摘するのではなく、俺の目の前に跪いて自らの手でファスナーを上に上げてしまった。国家反逆罪。
たぶん俺を傷つけないよういろいろ考えた結果ではあるのだろうが、単純に絵面が問題だ。跪いて男子のチャックを閉めてるこの状況がマズすぎる。俺が俺でなくなる……っ!
「……ありがとな、サイレンス。冗談抜きに助かった」
「ぁっ……」
とりあえず社会の窓を閉めてくれたサイレンスにはお礼をしないとと思い、反射的に跪いた状態の彼女の頭を優しく撫でた。
すると耳が喜ぶウマ娘。おいやはりただのメスなのか? それとも栄光を掴むのか。どっちなのだ!?
教えずに直接触れてきた件に関しては礼を言うべきか迷ったが、公園の握手洗いやお別れの握手など、よく考えれば以前から彼女の距離感は独特なものだったのだ。これも素直に善意から来る行動なのだろう。ムラムラ精神にまごころが響く。
とりあえず一件落着。
大事に至る前になんとかなった──そう思っていたのだが。
「…………は、葉月……? っ……なに、を……ッ」
顔を上げた視線の先には、数年ぶりの再会になる黒髪の女性がいた。
これまでの人生で最も尊敬している人間であり、幼い頃の俺を“人間”にしてくれた大恩人。
樫本理子。
いままでずっと会いたくて、しかし今この瞬間に置いては一番会いたくなかった人物だ。
「……葉月くん?」
そんな相手に、自分の前で跪いている女子の頭を撫でている光景を、たった今見られた。
俺の社会的立場と恩人からの好感度がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく感覚を感じながら、眠気と精神ダメージが合わさって限界に達した俺はそのまま後ろへぶっ倒れたのであった。クッソ無様でございますね。