【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第百十話『Must Die』

 コリン・クリービーは敬愛するハリーから贈られたカメラをジッと見つめていた。

 現時点で世界最高の一眼レフカメラだ。極めて高級な逸品であり、おいそれと手を出せるものではない。

 たしかに、ハリーはコリンに三大魔法学校対抗試合の優勝賞金でカメラをプレゼントする約束をしていた。

 けれど、このカメラは高価過ぎる。それに、まだ優勝賞金はもらえていない筈なのだ。

 

「……ハリー」

 

 カメラを貰ってから、ずっと不安だった。

 その不安を打ち消したくて、グリンデルバルドとの決戦では蛇王の騎士団と共に最前線で戦った。

 襲い来る亡者が怖かった。間近に迫る死が怖かった。けれど、それ以上の恐怖が常に心の底にへばりついていた。

 決戦が終わった今、共に戦った仲間達と同様に安堵しながら眠るべきなのに、不安は増すばかりで眠れない。

 

「……まさか、ハリー」

 

 不安の源が何なのか考え続けてきたコリンは気づいてしまった。

 ハリーが戦いに敗れる事などありえない。どんな相手にも負けない。彼は最強のヒーローだ。

 だけど、彼は優しすぎる。ずっとカメラを片手に見てきたから分かるのだ。

 彼は他人と自分を天秤にかけた時、他人を優先してしまう。

 もし、彼がグリンデルバルドの判断を正しいと考えたとしたら……、

 

「だ、駄目だ!!」

「なんだ!?」

 

 隣のベッドで寝ていたルームメイトが飛び起きた。

 けれど、コリンに彼の事を気にしている余裕など無かった。

 

「ハリー!」

 

 泣きそうになった。

 カメラをプレゼントしてくれた真意がソレだとしたら、戦いが終わった今こそ、彼は最悪の決断を下してしまう。

 

「イヤだ! イヤだ! イヤだ!」

 

 階段を駆け下りて、談話室にたどり着く。

 

「コ、コリン?」

 

 そこにはジニーがいた。

 

「ど、どうしたの!?」

「ハリーに会いに行かなきゃいけないんだ!」

 

 コリンはそれだけ告げると談話室を飛び出した。

 彼の尋常ならざる様子にジニーも胸騒ぎを覚えた。

 

「ま、待ってよ! コリン!」

 

 慌てて追いかけると《太った婦人》が「もう夜中よ!?」と声を張り上げてきた。

 

「ごめんなさい! 緊急事態なの!」

 

 コリンはスリザリンの寮を目指して走っているようだ。

 階段を転げ落ちるように降りていく。運動能力ではジニーの方が秀でている筈なのに、追いつけない。

 それだけ必死なのだ。必死にならなければいけない事が起きているのだ。

 ジニーの脳裏に決戦直前のハリーの言葉が浮かんでくる。

 

 ―――― 夢だと思い込んでいた。

 

 ハリー・ポッターのオリジン。

 心を壊されてしまった少年が、再び立ち上がる事の出来た理由。

 

 ―――― あの日、オレは魔王の手を取った。

 

 第百十話『Must Die』

 

 ロウェナ・レイブンクロー。ホグワーツ魔法魔術学校の創設者の一人にして、《死》と呼ばれる者。

 存在している事は分かっていた。いずれ戦う事になると考えていた。

 

「ロウェナ・レイブンクロー……」

「ロウェナで構いませんよ?」

 

 いつの間にか周囲の環境が変化している。ホグワーツの一室だ。実際に入った事は無いが、ルーナから聞いたレイブンクローの談話室と特徴が一致している。

 

「ここは貴様の精神世界か?」

「その通り。素晴らしい洞察力です」

 

 いつの間にか隣に座っていたロウェナがオレ様の頭を撫でた。

 オレ様も椅子に腰掛けていた。座るまでの過程が記憶にない。それなのに直立から体勢が変化した事に対する違和感もない。

 揺らぎそうになる精神を宥めながら思考する。

 ここは精神の世界だ。現実世界とは法則が異なる。ありえない事がありえる。

 

「安心するのです、ハリー。わたくしはあなたの味方。なにも恐れる必要はありません」

 

 その言葉に思考がぼやけていく。

 まるでぬるま湯に浸かっているかのようだ。頭を撫でられる感触も心地よい。

 これは危険な状態だと分かっているのに、抗えない。

 

「共に世界を救いましょう。あまねく人々を幸福に導きましょう。大丈夫。わたくしとあなたなら創れます。夢のような理想郷が」

 

 世界が形を変えていく。

 はじめにドラコの姿が視えた。傍らにはアステリアがいる。二人は愛する息子と共に笑顔を浮かべている。ルシウスやナルシッサの姿も浮かび上がってきた。ドビーもいる。幸せそうに微笑んでいる。

 ペチュニアおばさんの姿が視えた。ダドリーが連れてきた少女を品定めしている。バーノンは未来の娘に首ったけの様子だ。ダドリーがハラハラした様子で恋人の手を掴んでいる姿は少し笑える。

 ロゼの姿が視えた。ジニーやコリンと一緒にヒッポグリフの世話をしている。彼らの下にルーナがやって来た。ロルフの姿もある。他にもたくさんの人が集まってきた。みんな、ロゼの友達だ。多くの友人に囲まれて笑顔を浮かべるロゼの姿がある。

 母さんの姿が視えた。隣にはシリウスがいる。シリウスは就職活動に成功したようだ。母さんは誇らしげな彼を穏やかに見つめている。

 ニュートの姿が視えた。親友のジェイコブの姿もある。見知らぬ老婆の姿も視えた。そして、エグレとゴスペルも彼らの下にいる。ニュートの傍で幸せそうだ。マーキュリーやフィリウス、ウォッチャーも彼らの傍で給仕に勤しんでいた。

 ロンの姿が視えた。フレッドやジョージ、パーシー、チャーリー、それに他のウィーズリー家の人達らしき姿もある。ロンはクィディッチの優勝杯を掲げている。胸には監督生のバッジが煌めいている。腰にはグリフィンドールの剣が提げられていた。

 エドワードの姿が視えた。ダンとフレデリカの姿もある。どうやら、フレデリカをどちらがものにするか競っているようだ。フレデリカは二人の争いを楽しそうに視ている。意外と小悪魔な性格なのだ。

 スクリムジョールの姿が視えた。偉大なる魔法大臣として、人々を輝かしい未来へ導いている。彼の下には蛇王の騎士団が勢揃いしていた。彼の背中に誰もが惹きつけられている。

 ハグリッドの姿が視えた。スネイプの姿が視えた。パンジーの姿が視えた。クラッブの姿が視えた。ゴイルの姿が視えた。ノットの姿が視えた。ザビニの姿が視えた。フリントの姿が視えた。

 モンタギューが、エイドリアンが、ミリセントが、セドリックが、みんなの笑顔が視えた。

 

「……ああ、素晴らしい」

 

 ロウェナは呟いた。

 

「これがあなたの理想郷」

 

 気がつくと、ロウェナに抱き締められていた。

 あたたかくて、心が安らぎに包まれていく。

 

「その世界にあなたは居ない。それでも構わないと思っている。みんなが幸福で居られるのならそれで良いと……」

 

 その通りだ。オレ様の存在など、どうでもいい。みんなの笑顔が欲しい。みんなの幸福が欲しい。

 それが実現するのなら、オレ様は……、

 

「実現します」

 

 ロウェナは力強く言った。

 

「あなたの理想は実現します、ハリー。難しくなどありません。わたくしとあなたが手を取り合えば、出来ない事などありません。すべての人を等しく笑顔に、幸福に、素敵な未来へ導きましょう」

 

 いつの間にか、ロウェナはオレ様の前に移動していた。手を差し伸べている。その手を掴めば、理想の世界を創り出す事が出来る。

 怖がる必要などない。怪しむ必要などない。畏れる必要などない。

 彼女にあるのは純粋無垢なる善意のみ。彼女の言葉に裏などない。あるのはひたすらの真実のみ。

 誰もが笑顔になれる。それは素晴らしい事だ。

 

「……ああ、一緒に」

 

 その時だった。

 

「茶番だな」

 

 二人だけの世界に、その声は響き渡った。

 

「あなたを呼んだ覚えはありませんよ?」

 

 ロウェナが言うと、彼は口元を歪めた。微笑んでいるようにも、怒っているようにも見える。

 

「ああ、俺様も貴様の世界になど来たくはなかったよ」

 

 そう言いながら、彼は世界を改変していく。

 またたく間に、そこは暗黒のキングス・クロス駅へ変貌を遂げた。

 

「……あなたの存在を許していたのは、覇道を歩むハリーの役に立っていたからです。もう、あなたは要りません。ハリーはわたくしと共に歩んでいくのですから」

 

「違うな、間違っているぞ」

 

 彼……、ヴォルデモートは瞳を真紅に輝かせながら言った。

 

「ハリー・ポッターは俺様のものだ。その血肉も、その精神も、すべては俺様の為に存在する」

 

 ヴォルデモートはオレ様に視線を向けた。

 

「それが契約だ。あの日、あの時、死ぬ筈だった小僧に殺意という名の生きる意志を与えたのは、いずれ俺様が小僧の肉体で復活する為だ」

 

 その言葉にロウェナは冷たい表情を浮かべた。

 

「たしかに、あなたの邪悪なる魂がハリーの魂を穢した事で、彼は漆黒の意志を手に入れた。それは彼を生かし、彼に未来を与えた。そして、漆黒と黄金。二つの意志を併せ持つに至りました。ええ、その点は評価に値します」

 

 手を叩きながら、ロウェナは言った。

 

「けれど、あなたにハリーは渡しません。彼の未来はわたくしが守ります」

 

 ロウェナは杖をヴォルデモートに向けた。

 

「……死人の妄執如きが調子に乗るな」

 

 ヴォルデモートも杖をロウェナに向けた。

 

「わたくしに挑む気ですか?」

 

 その言葉に、ヴォルデモートは邪悪に嗤う。

 

「挑むのではない」

 

 世界が割れる。

 

「返してもらうぞ」

 

 急速に浮上していく。

 

「……わたくしを出し抜くとは」

 

 その声と共に俺様(・・)は憂いの篩から仰け反り、現実に帰還した。

 荒く息を吐きながら、憂いの篩の中で起きた事に恐怖した。

 あと一歩の所でロウェナの手を取るところだった。

 俺様だけでは抗えなかった。

 

「ダメだ……」

「ハリー?」

 

 ドラコやアステリア、スクリムジョールが心配そうに見つめてくる。

 

「……ドラコ、頼みがある」

 

 ヴォルデモートやグリンデルバルドとは違う。戦う事すら出来ない。力で対抗出来る相手ではない。

 それに、問題はロウェナの対処だけではない。元より時間は残されていなかったが、いよいよタイムリミットだ。トムが抑えてくれていたが、俺様が倒してきた分霊ではないヴォルデモートが姿を現した。

 もう、俺様が俺様で居られる時間が残っていない。

 

「な、なんだい?」

「俺様を……」

 

 脳裏にホグワーツで過ごしてきた無数の思い出が浮かび上がって来る。

 言葉の続きを呑み込みそうになる。

 情けない。かっこ悪い。度し難い。

 この期に及んで、俺様はみんなと歩む未来を望んでいる。

 

「ハリー……?」

 

 ドラコを見る。不安そうに俺様を見つめている。

 いつかの占い学の授業を思い出した。

 

 ―――― えっと、なになに? これは人っぽいな。向かい合ってる感じか? それで……、これは杯か? こっちは鎌っぽい? えっと、意味は……、君は《最も信頼している者に最も残酷な事をする》? うわぁ……。

 

 もしかすると、ドラコには占い学の才能があったのかもしれない。

 心から信頼している親友に対して、俺様は残酷な事を強要しようとしている。

 けれど、ドラコしかいない。

 

「ドラコ……」

 

 みんなの顔が浮かんでくる。

 未練と覚悟がせめぎ合う。

 

 ―――― ……せん、せぇ。

 

 ダフネの涙を思い出した。

 憂いの篩の中で、ロウェナが見せた理想郷。そこに彼女の姿はなかった。

 それは俺様が想像出来なかった為だ。

 彼女を笑顔に出来る男はもう居ない。俺様が殺した。

 

 笑ってしまいそうになる。

 何が生きたいだ。何が未来が欲しいだ。

 彼女の笑顔を奪っておきながら、何を言っているんだ。

 この上、彼女から未来まで奪うなど、許される筈がない。

 

 問題はない。

 ハーマイオニーとは話した。

 ダリアの水薬と第一の試練のおかげで、俺様が居ない状態でもエグレが生きられる環境は整えられた。

 準備は整えてある。

 

 深く息を吸い込む。

 ようやく、波が収まり、俺様はドラコに言った。

 

「……俺様を殺してくれ」


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