日本からの郵便はまったく届かない
■2023年1月5日(木)
とうとうモスクワでの最終日を迎えた。のどの痛みがおさまらないうえ、胸の上部にも何だか違和感を覚え、かつ微熱が出て来た。そろそろ限界かな、このモスクワ観光も。外をみると、朝7時の段階(まだ真っ暗だ)では、今日は、雪は降っていない。飛行機が飛ばないことが一番の心配事なのだ。それだけは避けたい。
今回、久しぶりにモスクワを訪れてみて実感したのは、まああらためて言うまでもないけれども、ロシアという国は、国柄も国民も政治も文化もメディアも、いわゆる西側諸国の影響下にある日本などの国の価値観とは全く異なる空気の下で存在している、という冷徹な現実の一端を垣間見ることができたことだ。西側世界のフィルターの強い影響下にある日本の国際報道では、このロシアという国の、ある意味での「モンスターぶり」がなかなか伝わってこないのだ。
少なくとも、モスクワにいる限り、ロシア人はウクライナ戦争など、局地的な紛争で、何とかおさまると思っている。「加害者」という意識など微塵もない。そういうことを感じ取れる感性を持ったロシア人はすでに国外に出ているか、強いられた沈黙の中でじっと耐えている。だが圧倒的多数派であるごく普通のロシアの人々は、戦争の加害者になっているなどという意識は、ほぼゼロだ。
そういう時代に、マスメディア、ジャーナリズムの役割は何か、ということをいやがおうにも考えさせられる。ただ、ロシアと日本のメディアに共通していることがひとつある。それは、言葉の重みが全くなくなっているということだ。言葉はおびただしい分量で発せられるが、誰もその言葉が真実を語っているとは思っていないのだ。「口舌の徒」という言葉がある。いわゆるオールドメディアにおいても、ネット世界においても、残念ながら下品な「口舌の徒」が跋扈する世界になってしまった。
見たまえ、ロシアの公共放送に登場してくる自称ジャーナリスト、コメンテーターたちの多弁なこと。「真理の語り手」とは対極の位置にいるそれらの「口舌の徒」たちをみて、悪罵を投げつけるのはもはや時間の無駄というものだ。具体的に人と会って、現場をみて、知見を得ること。ありていに言えば、経験し目撃すること。このことをいやというほど痛感させられた。
ロシア以外の国ではルーブル札は紙くず同然なので、真向いのホテルに行ってドルに換えておく。これからルーブルの価値はもっともっと下がるだろう。モスクワではお土産用に買うものがほとんどない。チェックアウトの時間をギリギリまで延長してもらって午後2時にフロントデスクに降り立つと、支払いのための長蛇の行列ができていた。全くひどいシステムだと思う。
荷物をストーレージに預けて、一階に降りようとしたら、時代遅れの毛皮の(つまり動物の皮をそのままはいだような、毛がふさふさの)コートを着た女性がエレベーターに飛び乗って来た。「どこから来たのですか?」と聞くと「ドネツク。人民共和国から来ました」と、その女性は確かに答えた。ええっ? 驚いて訊き返すと、「息子が今日結婚式をあげるので、そのためにやって来た。時間がないので失礼」と言ってあたふたと外に出て行ってしまった。あとを追ったが無駄だった。大体、ドネツク人民共和国から、ここモスクワまでどのようにして(交通手段は?)やって来れたのだろう。
モスクワ在住のある日本人が家族とともにホテルに見送りに来てくれた。ありがたいことだ。彼はこの困難な状況のもとで、家族とともにモスクワで暮らしている。お子さんがまだ小さいので学校とかも大変だと思う。それでも絶対に他の人では知り得ない貴重な体験というものがある。きっとさまざまな、濃密な関係の中で生きておられるのだろう。
ちなみに、現在、ロシアへの日本からの郵便は全く届かないようだ。日本郵便のHPによれば、航空便も船便もその他の方法での郵便も、対ロシアへの郵便は完全に停止されていた。またロシアからの郵便も同様となっている。そんなことになっていようとは、僕は正直知らなかった。ちなみにDHLなどの海外輸送専門の業者も「ただいま一時的に、ロシアへの輸出およびロシア国内での輸送サービスを停止しております」と告知していて、要するに物の流通は完全に遮断されているのだ。これでは本当に大変だろう。ソ連の末期に、日本に里帰りした際に、成田空港で段ボールに野菜や米を積み込んで行った時代を思い出してしまった。