主観客観区別無い経済学、弱肉強食現行法学を覆し、新厳密科学創出!フリーエージェント大佐野千遥教授 | フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授

資本主義主力の株式会社制をも覆す、貴方を悩みと賃金奴隷状態から解放するフリ-エージェント世界革命を、誤った現行全自然社会人文科学を根底的体系的に批判し、一枚岩無矛盾の全新厳密科学体系を創り出した(世界史上これに挑んだ他者無し)FA大学佐野千遥教授が領導する

テーマ:

ロシアの有名人・ドクター佐野千遥      



「幸いなるかな心の貧しき者!彼等は天国を見るであろう!」(イエズス・キリスト「山上の垂訓」より)


この貧しき者達にキリストが呼びかけた心底、満身の愛を込めた感動的言葉から、後にカール・マルクスは無産階級プロレタリアートに依拠した世界革命を発想したと言われる。プロレタリアート=物質的打算から自由なる者=「心の貧しき者」であるからであった。


江戸時代の飢饉の際に大名に直訴すれば処刑される事を知りつつも飢え死にしていく百姓達への社会正義と愛のために敢えて直訴して処刑され自己を犠牲にした庄屋の佐倉惣五郎、明治初期に明治政府がキリスト教弾圧を行った時、隠れキリシタンとして殉教した長崎の「七聖人」、彼等は愛の神の存在を確信していたから、その恐るべき死の苦しみを甘受した。


この愛の神への凄まじき信仰を、厳密科学の側から暖かく且つ強力に迎え支える厳密科学的全新科学体系を元々無神論であった諸科学を刷新して作り変えて佐野が提起した。


本日お届けする「正義と愛の神の厳密科学的、感動的存在証明。フリ-エイジェント大学・佐野千遥:数理物理学教授」と元々は題されていたこのブログは、1年のクリスマス直前のこの時期にお届けするのですから、クリスマス・プレゼントという意味も御座います(クリスマスとはキリスト教において「神の御子」・イエズス・キリスト生誕のお祝い、の意味です)。このブログを良く読まれて、御家族、友人の方々、知人の方々に、キリスト教の枠を遥かに超えたその神についての内容の中、御理解下された部分を話題として語りかけてみれば、貴方は彼等に大変な知恵者と評されるでありましょう。

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法律と政治と経済が物質的打算に基づく「権利」「義務」しか語らなくなった現代世界において、素朴なる自然人同士が友人関係を結ぶ事自体が極めて困難になっている結果、人間関係の堕落、各個人の人格・意欲の堕落、社会の堕落が不可避的に起こっている。正義と愛の神の厳密科学的存在証明を実現したなら、宗教とはすべて正義の美学と愛の美学のみを一切の枝葉を付けずに熱烈に説きさえすれば良いのに、宗教界は各宗派が不要な独自性を主張し合って対立するために、それ等の宗教の中のどれかを選択するわけにいかない、という意味で政治家達が「政教分離」を主張するのである。よって、正義と愛の神の厳密科学的存在証明により正義と愛の神が普遍性を獲得したなら、それを学校教育の科学の授業に取り入れ、よってもって社会正義の美学、社会的愛の美学に目覚めた情操教育をもって学童達を育めば、彼らは社会人に成長しても社会正義と社会的愛を意識した素朴なる友人関係を結ぶであろう。


勿論現在のように苦りきった現代人の精神的土壌の改善は、単に教育革命のみによってだけでは無理であり、法律革命、政治革命、宗教革命の全てを必要とする。そしてそれ等の諸革命は、資本主義の主力である株式会社すら駆逐する能力が有るフリーエイジェントによるフリーエイジェント日本革命、フリーエイジェント世界革命遂行により現実の物となる。


厳密科学すなわち数理物理学に基づき神の存在証明をした数理物理学者は、世界史上、今まで佐野千遥を含めて4、5人程度しか居ない。従来からも数理物理学の科学哲学は、一般の経験主義的な主観的人生哲学を越えて、宇宙万物から説き起こして人の道を論じようとする哲学に基礎理論を提供してきた。


それに対し、宗教家で神の存在を論証しようと試みる人達はおびただしい人数に及んでいるが、宗教家で神の存在を論証できた人は現在まで皆無である。


自分が論証できない事を正当化するために、例えば「幸福の科学」・大川隆法氏は「神とは本来その存在を証明できるものではない。」と結論付けようとして、「風は目に見えないから、その存在を証明できない。」=>「愛は目に見えないから、その存在を証明できない。」=>「神とは愛のようなものだから、神も目に見えないから、その存在を証明できない。」といった、小学生でもそのデタラメさを見破ってしまう[注釈参照]粗雑極まりない論を振り回していることは、10月に佐野が書いたブログに詳細な大川隆法氏批判が有るので参照して頂きたい。


[注釈]:昔のの尋常小学校の尋常唱歌に「風は誰が見たでしょう?貴方も私も見やしない。けれど木の葉を震わせて、風は通り過ぎて行く。」というのが有るのを、55歳以上の日本人の方々なら殆ど誰でも知っているはずです。この歌詞は、小学生に、風は目に見えないけれども、その作用が引き起こす現象からその存在が分かる、という意味であることを教えています。だから「神は目に見えないから存在しない」という大川隆法氏の論が如何に粗雑であるかは小学生にも分かる訳です。


このブログを読まれていらっしゃる貴方が若し「幸福の科学」所属の方であった場合も、どうぞこの先を続けてお読み下さり、フリーエイジェント大学・大学院大学に御参加下さるのは御自由でございます。ただその際、大川隆法氏のヘッド・ギアーは外されて、御自分の頭でお考えになる事をお勧めいたします。あるいは「幸福の科学」の会員に義務付けられている定期的レポート提出の際に、このブログを読んで得た知識を恰も御自分で考え出したかのようにレポート内に書き綴りたければ、御自由にそうしてください。「幸福の科学」の別の会員の方々にもレポートのネタの宝庫として、このブログを教えてあげる事だって構いません。


世界の3大宗教の一つのキリスト教の大御所のカトリック教会の神学を立ち上げたのは、その後もカトリック随一のインテリーと看做されているトーマス・アクイナスであった。彼は「神学とは科学である。」と彼の主著「スンマ・テオロジカ」=「神学大全」の冒頭で宣言している。しかしトーマス・アクイナスとても、神の存在証明に成功した訳ではない。イスラム神学も神学は科学であると主張し、イスラム世界のイスラム大学で教えている教科は今日に至るも主に科学に裏付けられたイスラム神学である。


トーマス・アクイナスや一般に宗教家が神の存在を論証しようとする時、決まって、この宇宙の、大自然の、生命の、人間の精神の持っている秩序とその美しさを、そしてイスラームのコーランは更に社会正義と社会的愛の美学を指摘する。しかし一神教宗教家(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)のほぼ全員が、この秩序が増大し、秩序レベルが益々高度になって行く過程を「進化」の概念で纏めようとする方向には従来難色を示してきた。彼等は他の動物、特に猿とは違って人間だけは神が直接創ったと主張し、そのように人間は万物の霊長として尊い存在であるから、それを自覚すべきであるといった具合に論を進める。そのように論を進めんがために、進化の存在を認めたくないのである。佐野は、偶発性に基づく自然淘汰と偶発性に基づく突然変異を二本柱としたダーウィン進化論は誤っているが、古い地層の中から発掘される化石の時系列を見れば分かるように進化とは確かに現実に存在しており、その現実の進化はダーウィンの考えとは裏腹に反エントロピー的(=秩序が増大、高度化していく過程)であり、合目的的である、と主張するが、この点は後で述べる神の存在証明の本論で再び触れる。


仏教は「あの人は前世で牛であった。」とか「この人は死んで猿に生まれ変わった。」とか、人間界と獣界との行き来を語るが、進化について明言する事を避けている。佐野は後章で科学的神学にとって「進化」とは重要な位置を占める事を論じるが、仏教がこのように「輪廻の思想」を曖昧に語る事によって進化について明言する事を避けているために、仏教にとっての「神学」=「空の学」が、科学に基づく「神学」=「空の学」へと発展する可能性の道を自ら閉ざしている。この事は、佐野がこの後で発表する苫米地英人氏のHPの「空」の「科学的」理論が何故「科学的」で有り得ないかを厳密に論証するブログで詳述するので、その時にお読み下さい。

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私・佐野の全新科学体系の中に厳密科学的神学の占める位置と役割とは、数理物理学的世界を、あくまで厳密科学性を貫いたまま、社会科学、人文科学へと繋げる役割である。そうです、何処までが客観で何処からが主観であるか境界線を引きようのない非厳密科学でしかなかった従来の社会科学と人文科学を乗り越え、佐野はその崇高とも言える理論的整合性・一貫性を持った厳密科学的な、且つ社会正義と社会的愛を論じることが出来るという意味において感動的な社会科学と人文科学を創り出す事となります。


何故、一神教の宗教家達が神の存在証明に成功しないかというと、それには自明とも言える訳がある。秩序とその美しさを宗教家達が強調すると、いや、秩序が崩壊し、美しさが崩壊し、醜くなっていき、悲惨なる世界が進展する事だって有るではないか?!特に人間社会に生じる醜悪さ、悲惨さは目に余るものが有る!と反論する者が出てくるからである。


神の存在証明を目指した神学とは、秩序の極みである社会正義の美学、社会的愛の美学の創生を目指した方向に何故進化が進展したかの必然を論じ論証できなければならないだけでなく、この後者のような世界の負の側面、秩序崩壊過程、エントロピー増大過程、「社会悪の世界」の存在をも許容し、それを位置付けられなければ、学として成り立たない事は自明であろう。


この後者の秩序崩壊過程を、高尚なる自分達宗教家とは別の俗世間の出来事であるとする立場や、この後者を神から完全に独立した悪魔の成せる業とする立場は、いずれも秩序崩壊過程を己の世界観から科学的説明もせずに切って捨てる試みであり、そのように一面的理論をもって自己満足に陥るのなら、次段落で触れる「全知」の神の存在証明を目標とした神学の創造の試みはそれをもって挫折する事となる。


一神教の宗教家は、神は「全知全能」である、と従来主張してきたが、私・佐野は神は「全知」ではあるが「全能」ではなく、「全能」とは自己矛盾した概念であると主張する。若し神が全能であるなら、因果律に無関係に物や人や世界を瞬時に創り出しては瞬時に消してしまう事が出来なければならず、自分自身をも滅却してしまうことが出来なければならない事となる。自己を滅却したということは、全能の能力自体も滅却してしまうのだから、その後どうやって復活するのか、しかし「全能」というからには復活できなければいけないではないか?という自己矛盾に逢着する。よって神は若し存在するのなら全能ではない。


神は全知であるが全能ではなく、神は宇宙万物の進展を進化過程に委ねている。進化を通してしか歴史は進展しないのであって、その進化は物理的進化過程、生命体の進化過程、精神的進化過程へと段階的に質的に止揚されながら発展してきているが、その後者二つの生命体の進化過程、精神的進化過程とても物理世界において因果律に基づいて発現して来たものでしかないのだから、基本的には全進化過程を物理的進化過程として論じる事ができる。枝分かれして発展してきた進化の別の枝の進化主体同士が作用反作用する事は有るが、進化過程に神が直接介入する事は無い。


「質的に止揚されながら段階的に発展してきている」「進化過程」は、後章で「環境データから法則性や関数を抽出する帰納的<学習>と、その関数を関数に次々に入れ子のように代入していく事により発現する質的段階的に止揚された<進化>」として厳密に論じるので、厳密論を読むために先を急がれる方は、後章へ飛ばし読みしても差し支えありません。ブログのこの導入部分は「神学」の全科学内に占める位置を明確にするために書いている。


神が存在するなら、現存する「悪の世界」「社会悪の世界」を消滅させる事が出来ない点も、神が字句通り「全能」であるなら矛盾を生じる点である。


キリスト教指導者達は、神が「悪の世界」に直接介入して消滅させないのは神とは人知を超えたお方であるからで、直接介入しないのには神にとってその時々のケース・バイ・ケースの理由が有り、御計画があるからである、としつつ神の「全能」論をあくまで擁護しようとする。神の全能性を擁護し且つ人知を超えた者と論じるとなると、本当に耐え難い「試練」が発生したとき、キリスト教信徒にとって神とは想像を絶する残虐なる存在としても目に映り、「人知を超えた」「得体の知れない」存在とも成り得て、彼等が神に愛を注ぐ情熱に陰りが生じる場合も有り得る。これに対しイスラームの世界では、同胞愛で結ばれたイスラム教徒達の善の世界が、秩序が崩壊したアメリカ合衆国という「悪魔の国」と対決し打ち破る事を神が希望しており、若し善の世界が一時的に圧倒的な悪の世界に遣られて滅亡の淵に喘ぐ時、善の世界の人達が悪の世界を憎み呪うなら、神も善の世界の人達と一緒に悪の世界を憎み呪うと(「憎み」「呪う」事がはしたない事とイスラム教徒は考えない)、インスラム教のコーランに書いてある。アラー・allahとは、善の世界の自分達と一緒に悪の世界を憎み呪ってくれる全能ではない神であるから、神は善の世界の人達が限りない愛を注ぐ対象となるのであり、神は愛の神となるのであり、悪の世界の打倒は、善の世界の善人達があらゆる犠牲を払ってでも実際に愛の神のために敢行すべき任務となるのであり、悪の世界に対する闘いは、実際に崇高なる自己犠牲的情念をもって殉教として敢行されるのである。ここで佐野が指摘したこの対照こそが、今日全世界の隅々でその信仰においてキリスト教が活力を失い、イスラム教が活性化し圧倒的人気を誇る原因である。


ここにおいてイスラムの信仰の動機は、物質的打算とは全く無関係の崇高なる情念であることも確認しておきたい。


佐野は物理的進化に神が直接介入をする事は基本的に無い、と主張し、神は全能ではないと主張する。宇宙の始原時点からその仕組みに組み込まれた「計画」が因果律に基づくその全進化過程の枝分かれを経て、今日ケース・バイ・ケースのイベントとして立ち現れて来ており、神は反エントロピー=秩序の増大と高度化の「善の世界」が、エントロピー増大=秩序崩壊の「悪の世界」を打ち破る事を希望している事を論証する。

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ではいよいよ本論に入ろう。


第1巻 知性の神の数理物理学的存在証明


京都大学の故森毅名誉教授は、その著書「ブルバキと現代数学」の中で全数学体系の中、確率・統計学と微積分学の二つの数学分野だけは「双対性の原理」をもって、定理体系を発展せしめることが出来ないと書いた。しかし彼は何故その二つの分野だけが出来なくて、その他の数学分野では出来るのかの理由を探求しなかった。


[注釈]:森教授が言う「双対性の原理」とは、今発展している或る分野の数学の定理体系の網の目を持った木構造が有った場合、その網の目を持った枝々の内側に定理が存在しない空間があって、その周りの枝群を外延した外側にも定理が存在しない空間が有った場合、周りからの類推から、その内側と外側の空き空間に存在するはずの定理を想定して見ると、必ずと言ってよいくらい、それらの定理が正しい事が証明できて、しかも幾通りもの証明が可能となる、という事を意味する。

全数学体系の中、確率・統計学と微積分の二つの数学分野だけは、定理体系が一直線の羅列にしか並ばないために、枝枝の内側と外側といった空きの空間を特定する事ができず、又周りから類推する事も出来ない事となり、「双対性の原理」により、その定理体系を発展させる事が出来ない。


その理由を探求し、それを一大理論へと発展させたのは佐野千遥であった。先ず、この双対性の原理により定理体系を発展させる事が出来ない二つの数学分野:確率統計学と微積分学のみは、共に離散値ではなく連続実数値の上に作られた数学分野であり、その他の双対性の原理により定理体系を発展させる事が出来る数学分野は連続実数値の上には作られていない事に佐野は注目した。この双対性の原理により定理体系を発展させる事が出来ない二つの数学分野を佐野は先ず「欠陥数学分野」とした。


第一章 数学には「欠陥性」を超えて、誤れる数学二分野:確率統計学と微積分学が有る


 第一節 ゲーデルの不完全性定理は実数の存在を保証しない。


第二節 その連続実数値への無限の接近が必ず出来ると仮定した数学二分野:確率統計学と微積分学は例え論証してあっても、その論証の正しさをゲーデルの不完全性定理は保障しない。


第三節 あらゆる諸「科学」において誤った学説作成を支える誤れる「数学」・確率統計学(佐野が論証)

 物理学の誤れるエントロピー単調増大法則がそれから導ける確率統計学は秩序崩壊過程にリスク管理として後ろ向きに使えるのみ(佐野が論証)


第四節 正しい数学分野の整数論における世界史的数学難問四問をドクター佐野千遥が解いた


第五節 確率統計学と微積分学の二分野だけは、数学の他の分野と違って双対性の原理に則って定理体系を発展させることが出来ない事を、京都大学の森毅名誉教授が指摘。しかし森氏はその原因は探求せず。佐野はその原因をその二分野だけが数理物理学世界の離散値性を無視した点にあることに求めた。


第六節 アンリ・ポワンカレーが20世紀初頭に証明した三体問題、多体問題が微積分によっては解けない事実は、逆に微積分が誤った数学である事を論証している点を佐野千遥は見抜いた。


第七節 離散値の数理物理学的世界においては等速円運動はエネルギーを消費する事を佐野が論証し、更に元々方向性を持った概念として定義されたエネルギー概念が無限小差分に基づく微積分を使うと方向性を失って量概念のみに縮退してしまう事を佐野が発見し、その事実が逆に微積分とは誤った数学である事を論証している事を佐野は見抜いた。


第六節 佐野は確率統計学と微積分学の定理体系をその分野専門の数学者達はクソ真面目に論証したが、数理物理的世界の離散値性を無視した結果、論証してあっても誤った結論を無意識の中に導いている点を見て、この宇宙を離散値の世界と設定した何者か(神)の知性は人知を遥かに超えたものである事をもって一つ目の知性の神の存在証明とした。


第2章 我々の宇宙は人間が作ったスーパーコンピューターと人工知能が足元にも及ばない恐るべき容量と、処理速度と、学習能力と、進化能力を持った計算機である。


我々の物理的宇宙は時々刻々と変わる全星間の距離を瞬時に測定し、万有引力の方程式で計算し、星間の引力を各瞬間各瞬間に実行に移す恐るべき容量と処理速度の計算機である。



人間の作ったスーパーコンピューターと人工知能は、現在確率論を使っているために、殆ど学習ができず、ましてや進化をシミュレートする事は、全く誰一人挑む事すら考えようがない状態にある。


それに対し物理世界の時間軸は恐るべき事に、世界の隅々で宇宙の始原以来のあらゆる出来事を克明に全て記憶し、物理世界全体は環境からの学習(帰納的学習とはデータに隠れている法則性や関数を抽出する事、と情報理論で定義されている)を実施し、学習で実際に抽出された新しい関数を次々に古い関数に入れ子のように代入する事により、積み重ねられた学習関数を進化へと現実に止揚し実現した。


この現実に起こってきている進化は、その根底に知性の神の存在を証明している。


この第2章に述べる事が、知性の神の第二の存在証明となる。


第2巻 生命体の創造主である神の厳密科学的存在証明


生命体とは単なる物理的物体とは異なる。その差異を物理的属性により定義付けることに佐野は世界史上初めて成功した。


第3巻 正義と愛の神の厳密科学的存在証明



江戸時代の飢饉の際に大名に直訴すれば処刑される事を知りつつも飢え死にしていく百姓達への社会正義と愛のために敢えて直訴して処刑され自己を犠牲にした庄屋の佐倉惣五郎、明治初期に明治政府がキリスト教弾圧を行った時、隠れキリシタンとして殉教した長崎の「七聖人」、彼等は愛の神の存在を確信していたから、その恐るべき死の苦しみを甘受した。


この愛の神への凄まじき信仰を、厳密科学の側から暖かく且つ強力に迎え支える厳密科学的全新科学体系を元々無神論であった諸科学を刷新して作り変えて佐野が提起した。


         <続く> 乞う、御期待!


フリーエージェント大学・大学院大学教授:ロシアの有名人・ドクター佐野千遥



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