ダンスパーティーの日が近づいてくるにつれて、ハーマイオニーはどんどん落ち着きがなくなって来た。
寝室にいても、談話室にいても、いつもそわそわしている。見るに見かねた同級生が声を掛けてきても、適当な返事しか出来なかった。
「どうしよう……」
今更、悩んだところでどうにもならない。
だけど、心構えが全く出来ていない。情熱的に誘われて、考える前に承諾してしまった為だ。
「ハ、ハリーってば……、わた、わたしの事……、す、す、す……」
「どうしたの?」
「ホアっ!?」
廊下で顔を真っ赤に染めながらブツブツと呟いているハーマイオニーを心配して、通りがかりのルーナが声を掛けてきた。
「大丈夫? アンタ、顔が面白いことになってるよ?」
「お、面白い!?」
ハーマイオニーは目を丸くした。
ルーナは唇に人差し指を当てながら首を傾げると、しばらくして閃いたような表情を浮かべた。
「あっ! そっか! もう直ぐだもんね、ハリーとのダンスパーティー!」
「ちょ、ちょちょ、ルーナ!?」
慌てふためくハーマイオニーを観て、ルーナは楽しそうに笑った。
「あたし、ハリーとアンタはお似合いだって思うよ」
「お、お似合い!? ……ほ、本当にそう思う?」
「うん!」
自信満々な顔で断言されて、ハーマイオニーは頬を緩ませた。
「そ、そう……。お似合いに見えるんだ……。そっかぁ……」
嬉しそうなハーマイオニーにルーナは好奇心を刺激された。
「アンタ、ハリーの事が好きなんだよね?」
「ホアッ!? な、な、な、何をいきなり!?」
「好きなんでしょ?」
「だ、だから……、あ、あの、あのね……!」
「ルーナ? 誰かと話してるの?」
なんとか追及の手から逃れようと、ハーマイオニーはその声に飛びついた。
「お、お友達が来たみたいね!」
「あっ、チョウ!」
現れたのはレイブンクローの上級生、チョウ・チャンだった。
「あら、あなた! ハーマイオニー・グレンジャーね!」
チョウはハーマイオニーを見るなり瞳を輝かせた。
「そ、そうだけど……」
「あなた、ハリーと踊るのよね!」
退路と思った道は行き止まりだった。
「今、ハーマイオニーがハリーの事を好きって話をしてたんだ」
「まあ!」
他人の色恋ほど年頃の少女を興奮させるものはない。
瞳の輝きを更に増したチョウはルーナとタッグを組んでハーマイオニーに迫った。
「ハリーのどこに惹かれたの? 彼、かっこいいと思うけど、ちょっと危険な香りもするじゃない!」
「ちょっと……?」
ルーナは《ちょっと》という言葉がちょっとだけ気になったけれど、呑み込むことにした。
今、最も重要な事はハリーの危険性の大小ではなく、ハーマイオニーの愛の大小だ。
「そ、それは……えっと、あの……」
ハーマイオニーはハリーの事を思い浮かべて、再び真っ赤になった。その反応がレイブンクローの二人を猛禽類に変えた。
そして、遂にハーマイオニーは二人の追求に折れ、語り始めた。
「その……、最初に気になったのは図書館でロゼに勉強を教えてあげている時で……」
―――― そして、四時間が経過した!!!
◆
ハーマイオニー・グレンジャーは孤高の女である。図書館でも、寮でも、常に一人。友達は皆無だった。
決して、彼女が嫌われているわけでも、彼女が社交的でないわけでもなかった。
ハリー・ポッターに泣きながら《さ、さ、さ……、さすがです、い、偉大な、るは、ハァマイオニィィ、ググ、グゥゥ、グレンジャー様!!》と言わせた事、それが彼女の運命を決定づけた。
学校内どころか、世界中を見回しても、これ以上危険でヤバイ奴は居ない。そんな男を泣かせた上に、そんなセリフを言わせたのだ。それも、公衆の面前で。
ハリーの恐ろしさが知れ渡れば知れ渡る程、彼女は恐れられ、遠ざけられた。
彼女は寂しかったのである。友達が欲しかったし、ハリーのように後輩から頼られたかった。
だからこそ、チョウとルーナに興味津々な眼差しを向けられて、彼女の心のダムは完膚なきまでに決壊した。
「それでね! それでね! ハリーってば!」
結果、話し始めるとノンストップ!
物凄い早口で、延々とハリーの魅力を語り続け、時にはハリーのモノマネまで披露した。
それを聞かされている二人は真っ白になり、そっと立ち去ろうとすれば肩を掴まれた。
聞いた事を後悔しながら、心で涙を零す二人。
―――― お部屋に帰りたい……。
もう、夜中だった。先生に見つかったら罰則である。
けれど、いつまで経っても誰も来ない。普段であれば、目をギラギラと輝かせているフィルチが現れる筈だけど、それもない。
実のところ、フィルチの猫やフィルチ本人も廊下を曲がり角までは来ていた。けれど、ハーマイオニーがハイテンションで奇妙な動きをしている光景を見て、一目散で逃げていった。
悪戯好きでみんなを困らせるポルターガイストのピーブズも見た瞬間に撤退を決意した。
見回りをしていた教師も回れ右をした。
ゴースト達も避難済みである。
「ごめん。もう許して…………」
「スピー……。スピー……」
「その時、ハリーは言ったのよ!!」
ハーマイオニーが正気に戻ったのは、それから五時間後の事であった。
◆
「それでそれで、この前も…………。あれれ?」
近くの窓から朝日が零れてきて、ハーマイオニーはようやく止まった。
眼の前には壊れたラジオのように「う、うん、聞いてるわ。聞いてる……、うんうん。聞いてる……、聞いてるの」と延々と繰り返し《聞いてる》と呟き続けるチョウがいた。
その隣では、ルーナが安らかな寝息を立てていた。
「あ、あら? わ、わたしったら何を……」
我に返り、恥ずかしがるハーマイオニー。その姿にチョウはハッと我に返ると、呆れたように笑った。
「……凄いわ、ハーマイオニー。紙一重で欠点になりそうな所まで華麗に良い所にしてしまう辺りが特に……」
壊れかけていても話はちゃんと聞いていた。そう、彼女は秀才が集うレイブンクローの監督生に選ばれる程の、まさに秀才の中の秀才なのである。
けれど、さすがの秀才もぐったりしていた。
「……こ、恋する乙女を舐めてたわ」
「こ、恋だなんて……」
イヤンイヤンするハーマイオニーに「これだけ長時間語り続けておいて何を……」とチョウは顔を引き攣らせた。
「これ以上無いほどに説得力が無いわよ、ハーマイオニー。もう、一周回って笑えないくらい本気なんだって、耳がたこになるくらい分かったわ」
チョウの言葉にハーマイオニーは酔っ払いの如く真っ赤な状態でふらふら壁へ寄りかかった。
「……わたしって、本気でハリーの事を好きなのね」
「間違いなくね。断言してあげる。間違いなく、あなたは本気でハリーが好きよ。間違いなくね!!」
通算九時間も延々と語られ続けたチョウはちょっとキレ気味に断言した。
◆
そんな事があった後の週末、ハーマイオニーはチョウとルーナに連れられて、ホグズミード村にやって来た。
普段は立ち寄らない美容関係のお店やファッションの店をチョウに案内された。
「《ウィルコットの妖精》よ。ここでは女性の美容に纏わる悩みのすべてを解決してもらえるわ」
ダイアゴン横丁や他の魔法使いの集落にも支店を持つ規模の大きなお店らしい。
看板には女性の顔が描かれていて、中に入るとハーブの香りが広がっていた。
マグルの世界で言う所のエステ、ヘアサロン、ネイルサロン、脱毛サロン、リフレクソロジーなどが集約されている。
「はぁい、カーラ」
チョウは店員に挨拶した。
「彼女はカーラ・シュピッツベーグ。わたしの同級生よ。週末はここでバイトしてるの」
カーラは美容関係の仕事に就くことを夢見て努力をしている女性だった。
「よ、よろしくおねがいします」
「よろしく!」
ハーマイオニーと付添いで来たルーナはカーラによって様々な呪文や魔法薬を掛けられていく。
肌は瑞々しく潤い、爪や眉毛、睫毛、髪などはすべて美しく整えられた。
「歯もちょっぴり矯正するわよ。この魔法薬を飲んで」
ハーマイオニーは両親が必死に矯正しようとしていた出っ歯が小さくなった事を喜んだ。
カーラはダンスパーティーの時の髪型にもアドバイスをくれた。
「甘めにちょい巻きハーフアップにしてみたら? それか、顎のラインに沿ってレイヤーを入れてみて、ちょっとフェミニンにしてみるとか! あなたはとても可愛らしいから大胆な変化は必要ないわ。ちょっとの事で相手の子はノックアウト間違いなし!」
「ハリーをノックアウト……」
ウィルコットの妖精を出た頃には、カーラの魔法の囁きによって、ハーマイオニーの脳裏はすっかりお花畑になっていた。
チョウはちょっと心配になりつつ、ハーマイオニーのドレスローブに合うアクセサリーを見繕った。ルーナが持ってくる奇妙な装飾品を返品させるのも彼女の仕事だった。ハーマイオニーはすっかり蕩け切っていて、ルーナの持ってきたニンニクの首飾りすら嬉しそうに身につけようとしてチョウを慌てさせたのだ。
「ルーナ!! リンゴのヘルメットは置いてきなさい!」
「ちぇー」
チョウは真剣だった。
一人でいる時間が長過ぎた彼女は女性としてポンコツもいいところだった。
けれど、ハリーに対する想いは本物であり、その純粋で一途な愛を成就させてあげたいと親心が芽生えたのだ。
第七十七話『それぞれの前日』
ハリー・ポッターは三冊目に突入したアルバムにローゼリンデがヒッポグリフレースの優勝杯を掲げている写真を新たに貼り付けた。
「随分と増えて来たね」
隣で欠伸をしながらドラコが言った。
「そうだな……」
コリンと出会ってから、多くの出来事を写真として残して来た。
見返してみると、この数年の間に起きた変化がよく分かる。
少しずつ増えていく勉強会のメンバー。表情が明るくなっていくローゼリンデ。少しずつ成長していくみんな。
「思い出に耽るのもいいけど、そろそろ準備を始めた方がいい。ビシッと決めて、ダンスパーティーに挑もうじゃないか」
そう言うと、ドラコは姿見の前でヘアスタイルを確認し始めた。
「……そ、そうだな」
ハリーはそっとドラコを見た。
実にスタイリッシュだ。ナルシッサの指導によって、彼はオシャレのいろはを知っている。
「ドラコ……、アドバイスをくれ」
「……そう来ると思ったよ」
ドラコは杖を振った。すると、ハリーの下にファッション雑誌が飛んできた。
「その中から気に入った髪型を選んで杖で叩くんだ。勝手にセットしてくれるよ」
「便利だな!? なんで、ドラコは使わないんだ?」
「……それ、雑誌通りになるから、使ったって丸わかりなんだよ」
「オ、オレも遠慮しとく……」
「いや、君は使えよ。僕は雑誌より上手く出来るから使わないけど、君の場合は雑誌以下にしかならないだろ」
「ぐっ……」
悩みに悩んだ挙げ句、ハリーは雑誌を手に取った。
若干情けないと思いつつも、少しでもハーマイオニーにかっこいいと思われたいのだ。
「……もうすぐか」
いよいよ、ダンスパーティーがはじまる。