ノルウェーの山岳地帯に広がるドラゴンの生息域はスリル満点だった。なにしろ、常にドラゴン達が飛び回っているからだ。
「ドラゴンという生き物は自らの領域を荒らされる事を極端に嫌うんだ。見てごらん」
チャーリーは一匹のドラゴンを指さした。
「彼はリチャード。一見すると無造作に飛び回っているように見える。だけど、実は決まった軌道を飛んでいるんだ。他のドラゴン達も」
「ここにいるドラゴン達はみんな、自分の領域を持っているんだよ。仲間意識が無いわけじゃないんだけど、同族であっても自身の領域に踏み込む事は決して許さないんだ」
チャーリーとニュートの説明を聞きながら、ジェイコブは首を傾げた。
「それなら、俺達はどうなるんだ? 思いっきり踏み込んでるぞ?」
「もちろん、警戒はされてるさ。だけど、彼らもわざわざ蟻を一匹ずつ踏み潰したりはしない。彼らにとって、人間は取るに足らない存在なんだ。それに、チャーリーが一緒というのも大きいね」
「オレっていうより、これのおかげだよ」
チャーリーは腰にぶら下げていたドラゴンを象る紋章のようなものを持ち上げた。
「それは?」
ハリーが尋ねると、チャーリーは丁寧に説明してくれた。
「ドラゴンの研究者には欠かせないアイテムさ。いくつもの呪文が掛けられていて、周囲に多重の隠蔽魔法が常時発動している。これが無くても平気な人も居るし、かく言うオレもルーマニアでは結構な数のドラゴンに一目置かれてるんだぜ? けど、さすがにここに顔見知りのドラゴンはほとんど居ないし、君達もいるからね。これは手放せないよ」
要するに、ドラゴン達からはよほど注意を向けていないとハリー達の姿は見えないという事だ。
それでも、ジェイコブやルーナはニュートやチャーリーの傍に一歩近寄って歩いた。
「そう言えば、ハリー。君はバジリスクの研究をしているんだよね?」
「ええ、ニュートと一緒に」
最近では、ハリーもエグレの通訳だけに徹するのではなく、まさに研究と呼ぶに相応しい事が出来るようになっていた。
ニュートに対する憧れとエグレの安全性を証明したいという思いが実を結び、ハリーの魔法生物学の知識は既に学生の域を超えていた。
「あの、ハリー」
ロルフは勇気を振り絞ってハリーに声をかけた。
「なんだい? ロルフ」
「あの、僕にもバジリスクと会わせてもらえませんか!?」
「……もちろんさ! いいとも! 帰ったら、早速会わせてあげるよ!」
さすがはニュートの孫だと、ハリーは喜色を浮かべた。
エグレを恐れるどころか、自分から会いたいと言い出した人間はニュート以来だ。
「君も将来は魔法生物学者になるのかい?」
「はい! その為におじいちゃんが教えているホグワーツに来ました! 正直、魔法生物学はイルヴァーモーニーの方が進んでいるのでそっちに行こうかと思っていたんですが……」
「そうなのか? イルヴァーモーニーと言えば、アメリカの魔法学校だったと思うが」
「そうです! お父さんとお母さんもイルヴァーモーニーでした! それに、おばあちゃんも! お母さんをホグワーツに入れるか、イルヴァーモーニーに入れるかでおじいちゃんとおばあちゃんが喧嘩したって聞きました!」
「ニュートが喧嘩!? イメージ出来ないな」
「あー……、ロルフ。おじいちゃん達の話はその辺にしておこう。それより、目的地にたどり着いたよ」
自分の恥ずかしい過去が明るみに晒される事を防ぎつつ、ニュートは遠目に見えてきた雪原地帯を指さした。
「嗅覚の鋭いドラゴンの領域に大型の生物が生息している事は滅多にない。だけど、全く無いというわけでもないんだ。まあ、大抵は大人しい性格のドラゴンと共存しているだけなんだけど、中には優れた隠蔽能力を持っていて、気付かれないようにひっそりしつつ、ドラゴンを外敵から身を護る為のボディーガードとしてちゃっかり利用している生物もいる。僕はしわしわ角スノーカックもそういう習性を持っているのではないかと考えているんだ」
「わーお」
ルーナはギョロっとしている目を更に大きく見開いた。
今まで、彼女の話を信じてくれる人は滅多にいなかった。それなのに、ここにいる人達は誰もが彼女の言葉を信じて、真剣にしわしわ角スノーカックを見つけようとしている。
それが嬉しくて堪らなかった。
「とりあえず、この辺にキャンプを張ろう。まずは3日粘ってみる。それでも現れなかったら、次はスウェーデンだ。あそこには未だに調査の完了していない神秘の森がある。迷いの森と呼ばれている場所だから、くれぐれも用心するんだ。そして、そこでもダメなら最後はフィンランドだ。トゥオネラを訪ねてみる」
「トゥオネラ……?」
「別名、死者の国。実体はフィンランドの地下に広がる魔法都市だ。そこには様々な魔法生物がいるけれど、ちょっと閉鎖的なところがあって、隠しているわけじゃないんだけど、そこで明らかにされた事実を表に出してくれないんだ。だから、そこなら雪国の知られていない魔法生物の情報を得られるかもしれない」
「で、でもさ、死者の国なんて呼ばれてる場所……、安全なのかい?」
ジェイコブが少し不安そうに問いかけると、ニュートは微笑んだ。
「大丈夫だよ、ジェイコブ。死者の国という呼び名はマグルのものだ。偶然魔法界に迷い込んでしまったマグルはしばしば思いがけない呼び名をつける事がある。例えば、中国の魔法都市は桃源郷という天国のような場所に思われているし、他にも伏魔殿という悪しき場所とされている事もあるね。だけど、トゥオネラは普通の都市なんだ。地下にあるってだけの事」
「それなら安心だな。それじゃあ、さっさとテントを張っちまおう。へへっ、魔法使いのテントは凄いんだろ? クイニーが言ってたんだ。使った事ないけどさ」
「クイニーは完全に魔法を手放したからね」
「でも、俺が買ったテント……、普通のマグルの狭いテントで一緒に寝てもずっと笑顔で……、嬉しそうにしてくれてさ。ほんと……、最高の女房さ」
「ジェイコブ……。クイニーにとっても、君は最良のパートナーだったよ。それは間違いない」
「へへっ、よせやい。それより、設営方法はマグルの方法でも出来るんだろ? 魔法で一発なんてつまらないし、いっちょ俺がやってやるよ!」
「ああ、頼むよ」
ニュートがトランクからテントの部品を取り出すと、ジェイコブは手慣れた様子でまずはシートを広げた。
「ジェイコブさん、ボクも手伝いますよ」
「わたしも!」
「僕も!」
「ああ、頼むよ! これ、結構楽しいんだ!」
「ああ、ジェイコブ! それなら僕も手伝わせてくれ!」
「オレもオレも!」
それは不思議な光景だった。
魔法を使えば、指一本動かさなくても組み立てられるテントを、マグルであるジェイコブの指示の下で魔法使い達が手作業で組み立てていく。
シートが飛ばないようにするにも魔法は使わないで、大きな石を探して運んできて、ピケというテントを固定する為の杭を同じく石で叩きながら地面に埋めていく。
寒空の下、風も強い。だけど、六人は揃って楽しそうに汗を流している。
「完成だ!」
ルーナとロルフは飛び上がって喜んだ。
ハリーも口元を緩ませながらジェイコブを見つめている。
彼の視線に気づいたジェイコブはウインクをしてみせた。
「どうだい? もちろん、魔法じゃなきゃ味わえないものもたっぷりだろうけど、魔法だけじゃ味わえない楽しさってのもあるんだ」
「ええ、よく分かりました。テントの組み立て、大変だったけど、楽しかったです」
「それはよかった」
ハリーは不思議だった。
マグルがダーズリー家のような人間ばかりではない事を識っていたけれど、それでも好意的に接する気にはなれなかった。
ハーマイオニーに対して、認めるよりも先に対抗心を抱いた理由もそこにある。
けれど、ジェイコブ・コワルスキーという男に対しては嫌悪感など抱けなかった。ただ、それはジェイコブの人柄やニュートの親友である事だけが理由ではない気がした。
認めたくないと思いつつも、ハリーはハーマイオニー・グレンジャーというマグル生まれの少女を尊敬している。彼女の存在こそ、ハリーのマグルに対する不快感を綺麗に払拭してしまっていたのだ。
「……まったく、アイツは」
みんながテントの中に入っていく中、ハリーは遠くの空を見つめた。
「いつもいつも、ボクの価値観を破壊しやがる」
不愉快だ。そういう表情を浮かべたつもりだった。
「どうしたの? なんだか嬉しそうだね!」
それなのに、どうしてかルーナにはそう見えたらしい。
「なんでもないよ」
第四十四話『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅・Ⅱ』
「ほーら、焼けたぞ!」
夕飯の時間になると、ジェイコブは美味しそうなパンを焼いた。
なんと、ニュートが用意したテントにはパンを焼く為の設備が揃っていたのだ。
折角だから、ニュートは彼のパンを食べたいと思ったのだ。
「美味しそう!」
魔法ならあっという間の作業を手作業でせっせと行い、見事なパンを焼き上げてみせたジェイコブに誰もが尊敬の眼差しを向けた。
ルーナとロルフは自分もやりたいとジェイコブにせがみ、ハリーもやってみたいと思いつつ、二人のようにせがむのがちょっと恥ずかしかった。
すると、兄弟の多いチャーリーはその事を見事に察して、自分もやってみたいと主張して、ハリーが照れなくて済むようにした。
「よーし! 明日はみんなでパンを焼こう! 好きなパンはあるかい?」
「クロワッサン!」
「バゲット!」
「甘いの!」
「卵が乗ってるやつ!」
「よしよし、任せとけ!」
温かい時間が過ぎていく。
そんな中で、ニュートは不意に奇妙な視線を感じた。
「どうしたんです?」
ニュートの異変に気づいたハリーが首を傾げると、彼は「ちょっと外に出てくる」と言った。
「物音がしたんだ。ドラゴンが近くに来ているのかも」
ニュートの言葉にみんなが慌てて口を押さえて黙り込んだ。
それから彼はそっと外に飛び出した。
ドラゴンはどこにもいなかった。けれど、視線は尚も注がれていた。
「……誰だ!」
テントの扉を閉め、中に聞こえないようにしてからニュートは静まり返った雪原に向かって叫ぶ。
けれど、返答はない。しばらくすると、視線は唐突に途切れた。
「今のは……」
遠い昔の記憶が彼の脳裏を過る。
幾度となく戦った相手。けれど、あり得ない。
その男はアルバス・ダンブルドアが直々に引導を渡し、今は監獄の中で終わりの時を待っている筈だ。
「……一応、ダンブルドアに手紙を出しておこう」
ニュートはテントの中に戻っていった。このテントは彼がダンブルドアと共に最大の防衛力を備えさせている。
いざとなれば、あらゆる物体が
警戒は怠れないけれど、慌ててホグワーツに戻って、ハリー達の折角の楽しいクリスマス休暇を台無しにしたくなかった。
「ど、ドラゴンは大丈夫だったのか?」
「ああ、うん。気の所為だったみたいだよ」
ニュートの言葉にジェイコブは胸をなでおろした。
◆
「……さすがはニュート・スキャマンダーだな」
雪原の彼方に男は立っていた。
「この距離で気づくとは、その嗅覚、やはり侮れんな」
男は奇妙な指輪を付けた手で、奇妙なロケットをポケットから取り出した。
「さて、ここならばダンブルドアの邪魔は入らんぞ」
『いいや、計画通りにいこう。ニュート・スキャマンダーもだが、ハリー・ポッター自身も侮れない。それに、ダンブルドアの伏兵がスネイプの他にも居るかも知れない。わたしは調査を続ける。君の方も準備を進めてくれ』
「やれやれ、慎重だな」
『臆病者と呼んでくれて構わない。だが、わたしが動く時は必勝を確信した時のみにしたい。既にオリジナルと日記のわたしが失敗しているのだからな。三度も同じ轍を踏めば、それこそ愚の骨頂だろう』
「だが、石橋を叩き過ぎて壊してしまっては本末転倒だぞ」
『分かっているさ。だからこそ、時間は掛けない』
「良かろう。俺様はもうしばらく手駒を増やす事に専念しておく事にする」
『ああ、頼む』
ロケットをポケットに仕舞い込むと、彼は笑みを浮かべた。
「さて、カップを手に入れに行くとするか」