弁護士が「モンスター」に見える時
民事事件の相手側が、どう考えてもめちゃくちゃな主張を掲げてくる。こんなことは、よくある話です。その際、そのめちゃくちゃな主張側についている弁護士が、どのように相手側市民の目に映っているかといえば、もはやそれはいうまでもないと思います。
私も近い経験をしたことがありますが、まず思うのは、「正気か?」と。そして、必ずそのめちゃくちゃな主張への弁護士の深い関与を想像するのです。
敵対している弁護士に言わせれば、相手弁護士は依頼者の意向にそわせて、法的な体裁を繕って、裁判所に書類を提出しているだけ、という見方をする場合も少なくないようですが、当事者の気持ちはそこではおさまりません。めちゃくちゃな主張は弁護士の入れ知恵ではないか、はたまたどこまでが入れ知恵かと、まず疑うのです。
「めちゃくちゃな主張」とくくっていますが、正確にいうと、一般人からすれば、無理筋の主張に、理屈をつけているものです。法律家からすれば、理屈が付く以上、主張できることになり、無理筋でもない、ということになるかもしれませんが、真実を知ってしまって、相手の嘘を知ってしまっている一方当事者からすれば、相手側依頼者とともに、その弁護士も、嘘つきに加担する醜い姿に映ります。
例えば、必ずといって市民が想像するのは、法的なことは全く分からないまま、窮地にある依頼者の相談を受けた弁護士が、どう考えても依頼者側に非があることが分かったうえで、それを逃れるための、あるいは相手を攻撃するための算段として、何が必要かを指南するという図です。
これを不正義とみる相手側市民のなかには、すわ懲戒ということを口にする人もいますが、現実的なことをいえば、そう簡単なことではありません。もちろん弁護士はあくまで依頼者の有利になるような活動をしますし、正当な権利として主張できる余地があれば、それを十全に主張するのが仕事です。
多くの場合、弁護士の前記したような行動、正確にいえば、確実にはその実態をつかみきれない依頼者間とのやりとりについては、弁護士の本来業務として堂々と自己弁明できる立場にあります。これを弁護士に聞くと、そこは「それが弁護士の仕事だから」という人もいれば、「そこに逃げ込める仕事」と評する人もいます。
ただ、逆にいうと、そのめちゃくちゃな主張の側についている弁護士の態様も人によって違うことがあります。依頼者側の主張は掲げながらも、和解の交渉での態度では、明らかな違いが出ます。つまり、それなりにこちらの意をくみ、めちゃくちゃな自分の依頼者を説得する姿が、相手側弁護士・依頼者にも分かる場合があるのです。もちろん、それも和解のテクニックかもしれませんが、それはまだ、弁護士として救いがあるという感じもします。
既に書きましたが、むしろ、こういうレベルではなく、最近は、玉砕覚悟でめちゃくちゃな主張で突っ込んでくる弁護士が増えているという話があります。もはや勝算ではなく、その姿勢だけで依頼者の気持ちを引きつけるという話です(「『ポーズ』弁護士増加の嫌な兆候」)。
かつては、いかに依頼者の頼みであっても、そんな主張は法律家としてできない、ということを言う弁護士は沢山いました。それは、ある意味、プライドが支えていた面もあります。もちろん正義感もあるでしょうが、法廷で裁判官と相手側弁護士の前で、恥ずかしくて主張できない、という感情が働くことだってありました。
最近も、会社が労働者に対して起こした損害賠償請求について、その代理人にあきれかえる弁護士のコメントが記事になっており、その中にも前記した意識をうかがわせるものが出てきます(J-CASTニュース「仕事つらく、耐えられずに退職 何と会社が2000万円損害賠償請求」)。
「モンスター」に付いて、その声をそのまま発する「モンスター弁護士」の登場が、説得という弁護士の能力低下によるのか、それともかつてあった弁護士のプライドがなくなりつつあることによるものか、はたまた今の余裕のなさがもたらしているとみるべきか。いずれにしても、市民にとっては、いい話ではありません。
ただいま、「今、必要とされる弁護士」についてもご意見募集中!
投稿サイト「司法ウオッチ」では皆様の意見を募集しています。是非、ご参加下さい。
http://www.shihouwatch.com/
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敵対している弁護士に言わせれば、相手弁護士は依頼者の意向にそわせて、法的な体裁を繕って、裁判所に書類を提出しているだけ、という見方をする場合も少なくないようですが、当事者の気持ちはそこではおさまりません。めちゃくちゃな主張は弁護士の入れ知恵ではないか、はたまたどこまでが入れ知恵かと、まず疑うのです。
「めちゃくちゃな主張」とくくっていますが、正確にいうと、一般人からすれば、無理筋の主張に、理屈をつけているものです。法律家からすれば、理屈が付く以上、主張できることになり、無理筋でもない、ということになるかもしれませんが、真実を知ってしまって、相手の嘘を知ってしまっている一方当事者からすれば、相手側依頼者とともに、その弁護士も、嘘つきに加担する醜い姿に映ります。
例えば、必ずといって市民が想像するのは、法的なことは全く分からないまま、窮地にある依頼者の相談を受けた弁護士が、どう考えても依頼者側に非があることが分かったうえで、それを逃れるための、あるいは相手を攻撃するための算段として、何が必要かを指南するという図です。
これを不正義とみる相手側市民のなかには、すわ懲戒ということを口にする人もいますが、現実的なことをいえば、そう簡単なことではありません。もちろん弁護士はあくまで依頼者の有利になるような活動をしますし、正当な権利として主張できる余地があれば、それを十全に主張するのが仕事です。
多くの場合、弁護士の前記したような行動、正確にいえば、確実にはその実態をつかみきれない依頼者間とのやりとりについては、弁護士の本来業務として堂々と自己弁明できる立場にあります。これを弁護士に聞くと、そこは「それが弁護士の仕事だから」という人もいれば、「そこに逃げ込める仕事」と評する人もいます。
ただ、逆にいうと、そのめちゃくちゃな主張の側についている弁護士の態様も人によって違うことがあります。依頼者側の主張は掲げながらも、和解の交渉での態度では、明らかな違いが出ます。つまり、それなりにこちらの意をくみ、めちゃくちゃな自分の依頼者を説得する姿が、相手側弁護士・依頼者にも分かる場合があるのです。もちろん、それも和解のテクニックかもしれませんが、それはまだ、弁護士として救いがあるという感じもします。
既に書きましたが、むしろ、こういうレベルではなく、最近は、玉砕覚悟でめちゃくちゃな主張で突っ込んでくる弁護士が増えているという話があります。もはや勝算ではなく、その姿勢だけで依頼者の気持ちを引きつけるという話です(「『ポーズ』弁護士増加の嫌な兆候」)。
かつては、いかに依頼者の頼みであっても、そんな主張は法律家としてできない、ということを言う弁護士は沢山いました。それは、ある意味、プライドが支えていた面もあります。もちろん正義感もあるでしょうが、法廷で裁判官と相手側弁護士の前で、恥ずかしくて主張できない、という感情が働くことだってありました。
最近も、会社が労働者に対して起こした損害賠償請求について、その代理人にあきれかえる弁護士のコメントが記事になっており、その中にも前記した意識をうかがわせるものが出てきます(J-CASTニュース「仕事つらく、耐えられずに退職 何と会社が2000万円損害賠償請求」)。
「モンスター」に付いて、その声をそのまま発する「モンスター弁護士」の登場が、説得という弁護士の能力低下によるのか、それともかつてあった弁護士のプライドがなくなりつつあることによるものか、はたまた今の余裕のなさがもたらしているとみるべきか。いずれにしても、市民にとっては、いい話ではありません。
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