私が午後8時頃帰宅すると、能勢町の土地に自然に生った柿の木の渋柿(前日の土曜日に私が撮影したもの↓)
の剥かれた実がテーブルの上に置かれてあった。
私は、日曜日は疲れ果てていたから、それを見たままそのまま寝た。
翌朝見ると夫は剥いた渋柿に紐をつけている。
それを部屋の中にある帽子掛にかけていたから、私が昨日の昼間台所勝手口の横にかけておいた。
★収穫をせしことのなき渋柿を今年は採りて干し柿にする
★こんなこと夫がすると思はずにゐたりしわれを驚かしたり
★わたくしがゐればなんにも為さざるに留守には何かしてくれてゐる
★ときどきは留守にするのもよからむと夫の作りし吊るし柿見る
🍀
ところで、私は事件に遭ってから前以上に傷つきやすくなっている。
そんな私を突然拒否されるお方がおられる。
その理由が思い当たるときはよいのだが、そうでない場合はとても傷つく。
前はコメント欄に「さる短歌賞を受賞した」と書かれてあるのを拝読して、「どんな短歌賞を受賞されましたか?」とお聞きしただけで突然リアクションできなくされたことがあった。
昨日は、ご自分の俳句のことを、「駄句ばかり」と書かれている記事を拝読したから、「わたしはおもしろく読ませていただいています」と正直に思っていることを書かせていただくと、突然リアクションできなくされた。
いったい何が気に入らなくて、突然拒否されるのだろう?
突然拒否された相手がどんなに傷つくとかは想像されないのだろうか?
私は、自分が聞かれたら嬉しいかもしれないこと、あるいは、そう言っていただくと、自分なら慰められるかもしれないことを書いたつもりだったのだが、どうして突然拒否されるのだろう?
管理人さんの気持ちは気安く俺様のBlogにcommentつけるなとか?
また、commentをつけさせていただいても、無視される方もいる。
これも、俺は偉いんだから簡単にリコメントしないという意思表示なのであろうか?
ま、人には、それぞれそのやり方があるのかもしれないが、気にはなる。
が、私も以前書いていた「神鳴り」ブログで、熱心な読者の方に当時のハンドルネーム「びこ」から実名を推測され、それから私の受賞した短歌賞まで探し出されて聞かれたから、嘘の言えない私が正直に「そうです」と応えたことが、今回私の実名が拡散される発端にはなった。
しかし、私は、その読者の方を恨んではいない。
悪いのは、その過去記事で私の本名を知ったからと言って、それをわざわざ拡散する人である。
そして、それだけではなく、その知り得た私の実名を使って、やはり私の記事から知り得た私の所属する短歌結社に私の結社には読まれたくない私の結社を批判する記事を送るとか、私の現住地の市の市議さんに私の悪口を送るなど悪気というより犯罪である。
私は隠す必要のないことまで隠したりしない主義である。
正直に書いたほうが読者の方も読まれて面白いだろうという読者サービスの一環のつもりである。
本当は写真もモザイクを入れたりしないでアップしたいくらいであるが、これは、家族が嫌がるからしない。
実際、私は、家族に見せるため、過去記事にアップした私の写真を私をひぼうする目的の人の記事に晒されたことがある。
まさかそんなことをされるとは思わずアップしていたから驚いたが、こういうことを恐れて、皆さん写真にモザイクを入れられるのだろう。
私は紹介記事にブロガーさんの写真の入っているものを好感するから、この水仙Blogにもいれたいところであるが、いろいろなことを勘案して、入れないほうが無難であろうと実行していない。