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少女漫画マニア兼岩孝の「少女じゃなくてもコレは読め!」

【第5回】山岸凉子の「日出処の天子」が引き起こした大騒動

2019年7月29日

読んではいけない「日出処の天子」


山岸凉子は既に第2回の本文で紹介した通り、もう何といっても少女漫画界の大巨匠です。代表作のひとつ「アラベスク」第一部・第二部は彼女の最初と2番目の長編漫画で、その間の作品の変化は、既に述べたところです。

【第2回】『アラベスク/山岸凉子』はスポ根漫画であるか?

その後、幾つかの短編、長編の連載を経て、またまた発行誌を「LaLa」に変えて、発表したのが「日出処の天子」です。

この作品は、正に少女漫画界の金字塔と言ってもよい作品で、その衝撃は語りつくせないものがあります。多くの読者に熱狂的支持を受けるとともに、少女漫画における新たな地平を切り開いた作品です。

主人公は歴史上、最も神格化されてきた「聖徳太子」―勿論これは諡(おくりな)ですから、あくまでも作品上は「厩戸王子」(うまやどのおうじ)として表現されています。いやあ、この設定には驚かされました。物語の最初に、もう一人の主人公「蘇我毛人」(そがのえみし)と出会うときは女装しているし、(両性具有者と表現するのが正しいかもしれない)異能者・霊能力者でありながら、冷酷な殺人者であったり、バイセクシャルな存在であったりと、いやはや、もう大変でした。彼は、神か仏か、「人ならざる者」か、はては、悪魔か悪霊かという状況。そんな彼が、あくまでも平凡な「悩み多き人」であり、かつ、ただ一人「厩戸」の影響を受け付けない存在の「毛人」を愛し、物語は進み、歴史が綴られていきます。

何という設定、何と異様なキャラクター!二人の周囲、愛する人、家族、ありとあらゆる人々を巻き込んで物語は進んで行きます。もう、何でもありなんです。謀殺や殺人もあり、果ては、〇〇〇〇あり、△△△△と何でもありのオンパレードです。(伏字部分は、この作品を読んでいただいた上で、ご理解下さい)

ただ一つ言えるのは、どの恋愛関係や人間関係もアンハッピーな結果を迎えます。(少なくとも表面上は・・・)もう、少女漫画にあるまじき展開です。

はい、結論から述べます。

「良い子は読まないで下さい!」

出ました、天下の大虚報「法隆寺 カンカン」「え、これが聖徳太子?!」


さて、連載もクライマックスを迎えようとする中、とんでもない記事が新聞紙上を騒がせます。毎日新聞1月24日夕刊に「法隆寺側が、山岸凉子の『日出処の天子』に激怒!訴訟も辞さない」なる記事が掲載されたのです。記事中には法隆寺側の「信仰の対象、聖徳太子を冒涜するものである。」との記載や、白泉社編集部や作者、山岸凉子の反論まで掲載されました。

出典元:毎日新聞1984年1月24日夕刊

出典元:毎日新聞1984年1月24日夕刊


いやあ、驚きました。信仰の対象を冒涜しただの、天皇家ゆかりの方を変態扱いしただの、ひょっとするとこの作品は打ち切りか?等と妄想が広がり、一愛読者として、心配してしまいました。

そうこうする間に、どうやら誤報らしいという評判が聞こえてきて、2月4日付けの毎日新聞の夕刊には、お詫び文が掲載されました。

「法隆寺側の反応は、事実に反します。また山岸凉子さん他の関係者談話も事実ではございません・・・云々」

何ということだ、記事は全くのでっち上げであったというのです。誤報どころではありません、虚報もいいところです。

※この、お詫び文は、新聞の訂正文としては異例の丁寧さを持った文章のようで、その背景には一出版社や作者の要請という以上に、法隆寺側の強い申し入れが背景にあった模様です。こういった事態の背景や、反省が語られたことは(私の知る限り)ありませんでした。

冷静になって考えれば、山岸さんがインスピレーションを受けたという梅原猛の「隠された十字架」に法隆寺がクレームをつけたという話も聞いたことがありません。もう、心配事は脇に置いておいて、物語を楽しむだけでしょう。ただ、悩ましいのは、作者がこの事件で萎縮してしまわないかとの疑念です。幸い、それらは杞憂であり、同年の「LaLa」6月号で最終回を迎えます。ただ、同年の4月号で作者がエッセイ漫画として「M新聞始末記」が掲載されていますが、ここでは捏造記事であるとのお詫びを受けるまでの間には、「家を売ってでも裁判費用を捻出しようと」いう悲痛な決意をした等の記述があります。作者の苦悩は、いかほどのものがあったのでしょうか。

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