朝鮮人労働者に一帰国証明書を出した当時の日本政府

 チョン氏は意気揚々と、「佐渡金山に強制動員された朝鮮人745人の名前を確認した」と述べていたが、彼女は名簿から朝鮮人と思われる人物の名前を拾っただけで、彼らが強制動員されたかについては証明していない。

 それでも、多くの韓国メディアはこぞって彼女のことを取り上げた。

 この件を報じる記事には、参考資料として佐渡金山の宿舎「相愛寮」の煙草名簿と付属文書が参考資料として使われていることが多い。その中で、聯合ニュースだけは「日本・高知県に動員されたジョン・ウルロク(安田一郎)の一時帰鮮証明書」も参考資料として掲載していたので、その内容についても合わせてご紹介したいと思う。

 彼の一時帰鮮証明書には「母病気看病ノタメ左記ノ通リ期間延長ノ許可ス」との記述がある。強制労働者に帰鮮を許せば、二度と日本に戻ってこないかもしれないのに、日本政府(帰鮮の許可を出したのは警察署だが)はこれを許した。

 聯合ニュースでは、「一時帰鮮証明書を受け取って帰った人のうち、27人が期間内に寮に復帰しなかったという記録がある」「ここには『家庭の事情で寮復帰が遅れた』と書かれているが、このうち15人は最後まで佐渡鉱山に戻らず脱出に成功した」と紹介していた。

 鉱山の仕事は誰にでもできるような仕事ではない。それなりの体力と忍耐が必要で、これに耐えられなくなった朝鮮人の中には逃げ出す者も多かった。佐渡鉱山に至っては14~15%の労働者が逃亡できる環境にあったそうだ。佐渡鉱山では厳しい監視体制が敷かれていなかったということだ。

 強制労働者を働かせる時には逃げ出さないようにすることが大前提だが、日本はなぜそれをしなかったのだろう。

 それに、先にご紹介した安田氏の場合は帰鮮期間を延長するために延長申請をわざわざ出している。少なくとも彼には強制労働から逃れたいという考えはなかったようだ。

 彼の一時帰鮮証明書は「第1790号」だ。1人が複数回この証明書を受領していた場合もあるだろうから、この数字がそのまま帰鮮の対象人数を表しているわけではないが、少なくとも日本は1790回も帰鮮許可を出していた。こんなことが強制労働者相手にありえるだろうか。