空に唄えば竜は踊るか

雅彩ラヰカ

Chapter1 砂の吹く町

第1話 砂船の水夫

 頭を殴られたような衝撃が走った。左舷下部甲板の大砲が一斉に放たれ、それらが目標に激突して爆発したからだ。

 黒髪の青年は耳を塞いでいてもなお鼓膜をつんざく砲声に顔をしかめる。


「ルイ、急げ!」

「わかってる!」


 ルイと呼ばれた青年は大砲の口に火薬を押し込み、鉄球のような砲弾を詰める。

 中にはもう弾がないからと、フォークや割れたガラスを突っ込む大砲もあった。


「左舷中部甲板、ぇ!」


 大砲が爆音と共に放たれた。打ち出された砲弾は夕焼けに染まる砂漠を飛翔し、砂上を行く巨大な船と並走するようにして徐々に迫ってきている巨大サソリに吸い込まれるようにして着弾した。


 弾着と同時に爆発が巻き起こり、中には魔導術式封入砲弾もあったようで、一際大きな爆炎を舞いあげるものもあったが——しかし巨大サソリ・キラスピオンはなおも逃げるそぶりを見せない。


「左舷上部甲板、一斉砲撃用意!」


 船長の号令が声響器ロアーという魔道具を通して砂船全体に轟き、ルイ・ブラックバートは大きく頷いて親指を立て杖の先端が赤く熱されている着火器ブリッケを持つ男に目配せした。すぐに両耳を塞ぎ、着火手は号令を待つ。

 耳当てのついた着火手が、汗を流している。それはルイも同じだ。冷え込む夜の砂漠でありながら、今ここに汗を流さぬ乗組員などいない。


 砂船の上は、今や隠しようもないほどの狂騒の最中にあった。


 迫り来るのは凶獣化と呼ばれる現象で文字通り凶暴化した幻獣の一種、キラスピオン。

 巨大なサソリ型幻獣であり、その多きさは砂船と同じほど——頭から尻尾の付け根までの長さで、優に四〇メートルはある。

 夕暮れの空を背負って並走し、獲物だと勘違いしている砂船をひっくり返そうと攻撃を仕掛けてきているのである。


 普段は船と獲物であるスナオオヘビの区別くらいつく。しかしこの個体は砂船に慣れているのか、あるいは過去に手痛い目を見て復讐心を抱いているのか、それが理由で凶獣化しているように、ルイには見えた。

 怒り、生存本能——凶獣化の原因は概ねそれだ。


「左舷上部甲板、ぇ!」


 怒号と共に、大砲が一斉に火を噴いた。

 都合七度目の砲撃である。いい加減にしてくれと言うのが水夫を始め、乗組員全員の意見だった。

 今回は砲弾の六割が魔導術式封入弾である。これらは本来、取引に使う商品だ。けれどもそんなものはお構いなしである。なんせもう、割れたティーカップさえ大砲に詰めるくらいなのだから。


 そろそろくたばれ! 死ね、クソサソリ! そんな怒号も響く。

 そんな願いが我らが聖なる五芒星の女神に伝わったのだろうか。


 キラスピオンが長くこだまするような、甲高い悲鳴をあげてのけぞった。そのまま足の動きを止め、ズズン、と砂埃を舞い上げて沈み込む。

 死んだかどうかはもうもうと舞い上がる砂埃のせいでわからない。

 飛散してきた砂礫に乗組員はあちこちに掴まり、口やら鼻やらに入った砂を吐き出す。

 砂船は風を味方につけ、プロペラを回して倒れたキラスピオンから遠ざかっていった。


「やった……」


 今やしがない水夫に過ぎぬルイが、砂に汚れてぱさついた、乱れている黒髪をそのままに呟いた。紫がかった青い目が、遠くの砂埃の塊を眺める。

 それを皮切りに、砂船に爆発めいた歓声が響き渡った。


「やったぞぉお!」「ざまぁみろ、サソリ野郎が!」「人様舐めんじゃねえ!」「酒だ、酒もってこい! 女も呼べ!」「がはは、この船には女傑しかいねえよばーか!」「オオカミの姉御に搾られちまうぜ!」


 ありもしない猥談に盛り上がる一同。けれど好事魔多しとはよく言ったものだ。

 キラスピオンは力尽きておらず、残る渾身の力を持って最後の攻撃を企てていた。

 それに気づいたのは、マストの上にいた件の人狼族の、獣ヅラの女傑であった。


「あんたたち、あれを見な! 奴はまだ生きてる! ……まずいッ!」


 キラスピオンがその口腔をかっと開き、そこから砂塵ブレスを放ったのだ。


「伏せなッ! 掴まれぇぇええええっ!」


 怒号。悲鳴、どよめき。

 そして、耳を弄する爆音。


 ルイの聴覚をぶち抜くようにして飛び込んできたそれらは、あっという間に三半規管と脳味噌を攪拌し、意識を闇の底へと叩き落とした。


×


「情けない。城伯家嫡男ともあろう男児が、五等級にも満たぬ幻獣にさえ遅れを取るとは」

「恥ずかしくないのか? 貴様、あんな町娘に花を送るなど。先方との縁談を台無しにする気か、恥を知れ!」

「男のくせに、女々しいやつだ。泣き虫にもほどがある。所詮は半妖できそこないのガキだ」


 ————、——————。

 ——。——————。


「閣下、お逃げくださいッ! 幻獣がっ、凶獣が来ます!」

「隻眼だ……! 隻眼の凶獣ビレイグだ!」

「逃げろ、逃げろ! ルイ様、こちらへ! 早くっ!」


 ————。————————。

 ————————。————————。


「ったくつかねえなあ。もういい、お前は帰れ。二度と来なくていい」

「砂船の水夫? 儲かるけど、やめた方がいいぜ。傭兵の方がまだマシさ」

「新入り、何寝てやがる! 甲板を磨いてこい、ぴかぴかにな! それが終わったら——」


 ——、————。————————。


「こっちだ、ルイ。こっちへ」


 ————、————————。——。


「そう、そうだ。君はまだ、死ぬべき定めではない。君にはまだ、すべきことがある」


 ——すべき、こと。


「このままじゃこの世界の歴史は狂う。君が正さねばならない」


 ——なんのことだ?


「君はまだ知らなくていい。ただ、生きて。死なないで。投げ出さないで」


×


「っ、はぁっ、はぁ……はぁっ……」


 寒気がする。ひどく冷えている。

 それから微かに感じる炎の匂い。木材、布、そして——人が焼ける匂いだ。

 背中に覆いかぶさっている瓦礫をなんとか押し上げつつ起き上がると、空はすっかり暗く夜になっていた。さっきまではやや冷え込む夕暮れ時だったのに。


 バラバラに砕けた砂船と、真っ赤な血を吸い込んだ木片。燃え上がる帆に、木材に、そして仲間たち。


「誰か、誰かいないか!」


 擱坐かくざした砂船はひどい有様だ。

 船尾は真っ二つに叩き割られ、マストは三本ともへし折れている。火薬庫に着火したのか、船体の底まで丸見えの大穴。

 幸いだったのはこれまでの航路で火薬をほとんど使い果たしていたことだろう。満載した状態で爆発していれば、あそこにこびりついた水夫の肉片の如く自分もひき肉になっていた。


「げほっ、ごほっ」


 口の中に入った砂やら煤やらを吐き出し、ルイはあたりを見るが——自分が生き残っていることが不思議なくらいの有様だった。

 一瞬は、ほんの瞬きの間は星の女神の実在と奇跡を信じた。

 しかし目の前の惨状を彩る無惨な死体を前に、これはもう新たな試練か、東の神闇道しんあんとうが示す地獄とやらの顕現だろうと思える。


 だめだ、冷静になれ——。

 走馬灯を見るほどに自分は傷ついている。体はかろうじて動くが、心が問題だ。

 フラットな状態、いっそ無感情なくらいに冷徹に。

 自分を俯瞰し、眺める三人称のような感覚。感情を別人が代弁するかのようにして、冷静になれ。

 状況を他人事のようにして考えろ。


「砂船は大破。仮に整備士が大勢いても直せっこない。砂漠……星で方角はわかるし、それに光が見える。死ぬ気で歩けばどうにかオアシスまで行ける。問題は道中。大きな幻獣は刺激しないだろうけど、小さいのは——そうだ、装備だ。悪い、みんな」


 ぶつぶつ独り言をいう、結構ヤバいやつだが幸か不幸かここにそれに対し聞き耳を立てる生者はいない。

 ルイは倒れた仲間に五芒星を切って、埋葬さえできないことを謝りながら装備を拝借していく。


 砂漠の夜は冷える。昼間は言うまでもなく灼熱の地獄だ。分厚く、布地の面積が多いもので砂塵を遮って防寒しつつ移動し、昼間はその衣類でテントを作り熱を凌ぐ。

 砂船の乗組員が叩き込まれる、砂漠のサバイバル術だ。


 あらかたの装備を整えたルイは仲間たちとの思い出を刻むように瞑目し、船を離れようとしたが、ふと比較的綺麗に残っている船長室のドアが見えて足を止めた。


 なぜか、さっき自分は呼ばれたのだ。

 あの走馬灯の最後に、妙な藍色の光から。


 船長室は少し手間取ったが、手にしていたバールで梃子の原理を使えばドアをこじ開けられた。

 散乱した荷物に、飛び散った地図。地図は便利だ——地図帳をもらおう。これらは軍事物資でもあるため、精巧な地図は一般人には簡単に手に入らないのである。


 けれど目的はこれではない。

 ふと、傾いた机の上に置いてある小箱が目に留まった。


「これって……」


 中に入っていたのは、藍色の球体。多きさは親指の腹ほどの多きさだ。真ん中に黒いスリットが、まるで竜の瞳のように収まっている。


「お前が俺を呼んだのか?」


 宝珠は何も答えない。

 ルイは何か運命的なものを感じ、頑丈な紐が通されているそれを首にかけて胸元に押し込んだ。


 船長室を出ると、夜空にはうんざりするほど綺麗な星が浮かんでおり、まるでこれからの旅路を見守らんとするかのように揺蕩っていた。

 吹き付けてくる夜風が不気味な亡者の声のように聞こえたが、ルイはそんな、ありもしない馬鹿げた妄想を振り払ってその場を去っていった。


 ルイ・ブラックバートが最寄りのオアシスに辿り着いたのは、八日後のことだった。

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