三浦瑠麗さん×夫・清志さん 被害をどう受けとめた?【vol.32】
中学生の時に見知らぬ男たちから性暴力を受けた事実を 著書で公表した国際政治学者の三浦瑠麗さん。長い間ひとりきりで抱え続けてきた苦しみを 初めて「受けとめてもらえた」相手が、大学生の時につきあっていた1年先輩の清志さん。清志さんは瑠麗さんの告白をどう受けとめたのか。その後、結婚して二人三脚で歩み続ける お二人に話を聞きました。
(制作局第3制作ユニット ディレクター荒井拓)
被害を打ち明けた卒業旅行
僕が大学2年生で彼女が大学1年生のときに同じ授業で出会いました。当初はずっと友達関係で、僕が大学4年になるころから本格的につきあいましょうという形だったのですが、何となく「複雑な子だな」と思っていました。一緒に親しくする中で、夜うなされてたりとか、感情的になったりする場面がたまにあったので。
卒業旅行に一緒に2人でヨーロッパに行ったんですけど、彼女(瑠麗)は、その時に明確に話したと思っていて、でも僕は、「そうだったっけ?」って。ちょっと怒られちゃうんですけど。ただ、彼女もすごくビビッドな言い方をしたんじゃなくて、言いにくいことなので、ふわっと包んで話したんだろうと思うんですよね。
いろんな話を機内で打ち明けた記憶があって。でも、そもそも反応がわりと鈍い人なんですよね。「ふんふん」みたいな感じで。ただ、私は飛行機の機内でいろんなことを言ったけれど、それが蒸し返されることがあんまりなくて、「言いたければいつでも聞くよ」っていうスタンスでした。逆に私の特定の不幸を利用して、私に精神的支配を及ぼそうみたいなことは一切なかったんですよね。それってすごく新しい経験だったんです。
(良かったのは、彼が)動じないことですね。こっちの不安をしゃべっていて、向こうまで不安になってしまっても困る。清志の長所はとにかく、先ほど「ちょっと反応が鈍い」って言いましたけど、動じないんですよ。ほとんどのことに。
話せる相手であるっていうことが大事なんだと思ったので、「こうすればいいよ」「ああすればいいよ」っていうよりも、聞いてあげるっていうことに、一番の役割があったのかなと思いましたので、そこは黙って聞く、というのは意識したかなと思いますね。
本人が抱えているトラウマ的なものなのか、悩み的なものなのか、恥的なものなのか、いろんなものがあると思うんですけど、いろいろ抱えているものを解きほぐしてあげるというか。そもそも人間というのは信頼するに足るものであるとか、男性というのは信頼するに足るものであるっていう立場だったので、そこの信頼感を取り戻す役割みたいな。ちょっと大仰ですけど、そういう感じかなと思いました。日々具体的には何やるの?っていうと、話を聞くということかなと思います。
瑠麗さんは、それまで つきあった男性に被害を告白していた。でも、いつもひっかかる言葉があった。
「きれいにしてあげる」という典型表現があって。「きれいにしてあげる」っていうのは、クリーンにしてあげる、汚されているという前提ですよね。そういうふうなことを言う人が、私の人生に複数現れた。何でそういう表現になるのかを思い起こすと、おそらく所有欲だったりとか、(性暴力を受けて)汚されたっていう社会通念が、その人たちの頭の中で影響していたと思うんですよね。
それはこちらからすると、今許されているとか受容されているっていう感覚にはつながるんですけど、一方で、スティグマ(恥辱・否定的な評価)を深くしてしまう。「汚されたんだ、私」みたいなふうに思うわけですよね。私は自我が強かったので、「こういう見方をする人なんだな」っていう、その人の限界みたいなものを見てとってしまった。それは、心が離れる原因でもあったし、より荒れるようになる原因でもあったかなと思いますね。
清志さんは、「味方でいる」ことを心がけた。
月並みですけど、聞いてあげることと、応援してあげることとに尽きるかなという気がしていて。代わりにその経験をできるわけでもないですし、その人生が進んでいくのを代わりに生きてあげることもできない。最終的には本人が乗り越えていかなきゃいけないと思うんです。それをできるかどうかっていうのは、周りのサポートは当然大きいと思っていて。特に男性だと、全部を理解してあげられるわけではないけれど、やれることは何かっていうと、聞いてあげること、応援すること、いつも味方だよって伝わるようにすることなのかなと思いますね。
誰も代わりには生きられないっていうポイントを強調していたと思うんですけど、それはそのとおりで、共依存関係になってしまっても嫌だなというのは思ったんですね。感情をぶつけたり、暴れたりして受けとめてくれる存在を通じて回復する人もいると思うんですけど、私はそういうスタイルは取らなかったし、自尊感情ってどうやって育てるのかっていうと、すごく難しいんですよ。悩みを聞いてもらう、暴れてもいいよ、何か物を投げてもいいよといっても、自尊感情って育たないんですよね。それをすごく長い間をかけて育てたということじゃないですかね。
「気持ちを整理して乗り越えたい」という瑠麗さんの意志を感じた清志さん、あえて伝えていた言葉がある。
「前向きに生きていこうよ」「頑張ろうよ」みたいな。後から少し本を読んでみると「頑張ろうよ」っていうのは、いちばん言ってはいけないことだと、事後的には僕も知るに至ったんですけど。当時は、たぶん「頑張ろうよ」みたいなことを言っていたような気はします。ただ、傷や悩みを抱えていても、何を抱えているのかって、明確に分かってないんだと思うんですよね。分かっていたら、半分解決しているようなものなので、たぶん分かってないモヤモヤがあって、それ故に、人生の前向きな決断に対して果敢に挑戦していけない、継続的に努力していけないっていうのはあると思うんですよね。
(「頑張れ」って言われると)やっぱ、イラッとしますよね(笑)。イラッとするんだけども、正論だとは分かっているんですよ。逆に言うと、清志のやり方というのが、一応 状況を見ながらであったということ。「頑張れ」と言っても通じないときには、「じゃあ休むか」みたいな。わりと臨機応変だったので助けられたというのはあります。
(清志は)その時に何ができるかを考えるタイプの性格なんですよね。それが結局のところ、「受けとめる」っていうことであって。私の自我に必要以上に干渉してこないし、支配しようとしないし、ただやれることをやる。例えば私が落ち込んでいるんだったら、「じゃあイタリアン行くか」とか、「温泉行って つかってみるか」っていうような。ものすごく小さな処方箋に見えるかもしれないけれども、「その時やれることをやる」っていうことが、受けとめとしては最大のものでしたね。
解釈の仕様なのかなと。手前みそですけど、「頑張れ」っていう言葉そのものも、「何ぐずぐずしてんの? 頑張りなさい」っていう感じと、「応援してるからね」っていう感じでは、だいぶ意味合いが違うと思っていて。マニュアルどおりの正解な反応をしていたかっていうと、たぶんそうでもないと思うんですよね。ただ、マニュアルでやっていいこと、いけないことの一般論を越えて、マニュアルに宿っている精神みたいなものは何ですかっていうと、その時その人が欲していること、その人の状況をよく見て、臨機応変に真心を持って親切にみたいな、そういう一般的なところにたぶん落ち着くんだと思うので、それが結果的によかったのかなと思いますけどね。
マニュアルを全く読まない2人で十何年かけて今の状況にたどり着きましたが、もう少し期間を短縮することができたといえば、できたかもしれない。いずれにしろその後、何年もずっと人生って続くんですよね。
だから、治って、「私はこういうふうに捉えられるようになりました」っていう人は、いっぱいいるけれど、どこかに何か抱えていると思うんですよ。解決策として世の中に提示されているものは、プロの支えとか家族の心得としてとても便利だけど、それだけでは終わらないし、それを与えられなかった人であったとしても、長い年月をかけて癒やすことは可能だっていうことですね。
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