HISTORY 2022.07.31
『吾妻鏡』 ~第29回より~
正治2年(1200)1月23日条
三浦義澄が亡くなりました。享年74。
正治2年(1200)5月28日条
陸奥国葛岡郡の新熊野社の僧が所領の境を巡り争っているため、惣地頭である畠山重忠が裁きを求めました。
正治2年(1200)5月28日条
源頼家は新熊野社の僧が進上してきた境の絵図を確認すると、自ら筆を取って絵図の中央に線を引きました。そして、「所領の広い狭いは運による。今後、所領問題についてはこのように裁断する」と申し付けました。