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京都・智積院の名宝

2022年11月30日(水)~2023年1月22日(日)

※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF) をご参照ください。
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
※会期は変更の場合があります。

出品作品リストPDF

※展覧会会場では、章と作品の順番が前後する場合があります。

第一章:空海から智積院へ

真言宗の宗祖である弘法大師空海は、平安時代9世紀初めに紀伊国(現在の和歌山県)で真言密教の根本道場となる高野山を開創しました。その後、高野山に入山した興教大師覚鑁は、鳥羽上皇(1103~56)の帰依を受けて、荒廃していた高野山を復興し、大治5年(1130)に上皇の勅願寺として大伝法院を開きます。この大伝法院は、のちに同所で研鑽を積んだ頼瑜僧正(1226~1304)によって、覚鑁が高野山麓に開いた円明寺・神宮寺(後の根来寺)へ移され、その法統が智積院にも受け継がれていきました。

本章では、空海や覚鑁の優れた肖像や、智積院中興の祖師たちにまつわる貴重な品々によって、智積院の歴史を概観します。また、「智積院靈寶并袈裟世具目録」(宝永2年(1705)作成 以下、「目録」)などの重要資料を寺外初公開することで、「智積院の名宝」が形成されてきた背景をご紹介します。

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弘法大師像 
一幅 室町時代 文安元年(1444) 智積院
【展示期間:11/30~12/26】

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京都府指定有形文化財 興教大師像
一幅 鎌倉時代 13世紀 智積院
【展示期間:11/30~12/26】


第二章:桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画

豊臣秀吉は天正19年(1591)に3歳で夭折した息子・鶴松(棄丸)の菩提寺として、京都・東山の地に祥雲禅寺を建立します。祥雲禅寺の建築は鶴松の三回忌となる文禄2年(1593)には竣工したと考えられており、長谷川等伯一門が描いた金碧障壁画群も同時期には完成していたと推定されています。智積院は、そののち徳川政権の元で、祥雲禅寺の伽藍とともに障壁画群を拝領し、火災や盗難などの災厄に見舞われながらも、今日まで大切に守り伝えてきました。「目録」などの資料によれば、これらの障壁画群には、後に仕立て直しや改変が加えられたとの記録がありますが、その画面からは等伯や息子久蔵の雄渾な筆致がうかがわれ、桃山絵画の絢爛豪華な輝きとゆたかな抒情性を今なおたたえています。

本章では、寺外では初の試みとして「楓図」「桜図」「松に秋草図」を一挙同時展示するほか、等伯の傑作とされる「松に黄蜀葵図」を寺外初公開するなど、智積院が誇る障壁画群を存分に堪能できる貴重な機会となります。

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国宝 楓図 長谷川等伯
六面のうち四面 桃山時代 16世紀 智積院
【全期間展示】
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国宝 桜図 長谷川久蔵
五面のうち四面 桃山時代 16世紀 智積院
【全期間展示】

第三章:学山智山の仏教美術

空海から脈々と伝わってきた真言教学の正統な学風を伝える智積院は、「学山智山」とも呼ばれ、多くの学僧を輩出してきたことでも知られます。その仏教美術の名宝が、真言宗に関連する品だけでなく、宗派を問わない幅広い分野のものがみられることは、学問を通して寺内外の学僧と繋がりを持ってきた智積院ならではの歴史を色濃く物語っているといえるでしょう。

その中でも、国宝「金剛経」は、中国・南宋時代の書家、張即之(1186~1266)の代表的な作品です。その特徴である堂々とした筆跡は、後世の日本の書に多大な影響を与えました。また、ともに重要文化財である「孔雀明王像」や「童子経曼荼羅図」は、今なお豊かな彩色を留める鎌倉時代の仏画の優品で、仏教絵画史上においても見逃せない名宝です。

この他にも、本章では、智積院内の仏教儀礼において堂内を荘厳してきた、貴重な仏画や曼荼羅、経典の名品をご紹介します。

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国宝 金剛経(部分) 張即之
一帖 南宋時代 宝祐元年(1253) 智積院
【全期間展示(場面替あり)】
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重要文化財 孔雀明王像
一幅 鎌倉時代 14世紀 智積院
【展示期間:12/28~1/22】

第四章:東アジアの名品集う寺

江戸幕府と密接な関係があった智積院には、歴代の能化(住職)たちに加え、在俗の有力者たちからも様々な作品が寄進され、その中には多くの名品が含まれていました。重要文化財「瀑布図(滝図)」は、「目録」によれば、第十世能化である専戒僧正(1640~1710)が寄付したもので、中国・宋時代の名品です。墨の濃淡で滝水や波濤の表情を描き分ける巧みな画技は必見です。また、第八世信盛僧正(1620~93)が江戸幕府第五代将軍徳川綱吉(1646~1709)から拝領したとみられる「蓮舟観音図」は、狩野派に習った綱吉の優れた画技が発揮されている作品です。さらに、英一蝶による「釜山浦富士図」は、京都所司代第十五代牧野英成(1671~1741)によって寄付されたもので、一蝶が学んだ江戸狩野派の様式を生かした貴重な作例です。本章では、智積院に集った東アジア・中国美術から日本近世絵画の名品まで、多彩な寺宝の競演をご覧いただきます。

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重要文化財 瀑布図
一幅 南宋時代 13世紀 智積院
【展示期間:11/30~12/26】

第五章:智積院の名宝が結んだ美

京都画壇で活躍した土田麦僊(1887~1936)は智積院に縁深い画家です。彼は16歳の時に智積院に入り、画家を志して出奔するものの、同寺の「楓図」「桜図」を学習した成果を、自身の画業の中で存分に発揮しました。智積院には、麦僊が障壁画の装飾性と抒情性を摂取して描いた一幅「朝顔図」が収められています。また、同じく京都画壇の大家である堂本印象が67歳の時に描いた、「婦女喫茶図」や「松桜柳の図」は、智積院宸殿の室中を飾る襖絵です。金地に鮮やかな色彩と近代的な形態構成で描かれた画面には、力強く大胆な木々の表現がみられ、やはり智積院の長谷川派障壁画群の影響を強く想起させます。

本章では、通常非公開である、智積院に縁深い二人の巨匠たちの作品とともに、智積院ゆかりの工芸の名品を一堂に展示し、古くから守られてきた名宝と響きあう、近現代の作品の魅力に迫ります。

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婦女喫茶図 堂本印象
四面 昭和33年(1958) 智積院
【全期間展示】

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