備中杜氏のふるさと~倉敷市玉島黒崎 南浦地区の旧赤澤酒造

昨年末、倉敷市玉島黒崎にある南浦(なんぽ)地区にある旧赤澤酒造を訪ねました。


赤澤酒造は万延元年(1860年)に創業、この地で長らく酒造りをしていましたが、2004年に岡山県を襲った台風による高潮被害を受けてやむなく閉業。
2011年には同所出身の造形作家 原田杜子史(としふみ)さんの声掛けによってさまざまな作家やアーティストの作品を展示する酒蔵美術館「南浦ギャラリー」として蘇るも、近年は原田氏が亡くなったこともあり 、あまり積極的に公開していらっしゃらないようでした。

同蔵が惜しまれつつ酒造業を辞められた2004年といえば、私が岡山に来て1年ほどしか経っていない時期。
現在の仕事はおろか日本酒との接点もさほどない時分だったため、蔵のことも知らなければお酒を飲んだことすらありません。
それでも訪れようと思ったのは、昨年岡山県立大学で講師として登壇した際に聴講くださっていた方から情報をいただいたから。
最盛期には二十数軒(五代目当主 赤澤一治さん談。30軒超との情報もある)もの酒蔵がひしめいていたというこのエリアの往時の話もぜひ聞いておきたいと思ったのです。

ここではその時のお話を少しずつ記録していこうと思います。
詳しい資料がほとんど残っていない備中杜氏の足跡にも、ほんの少しでも触れられたらとの想いもあります。

旧赤澤酒造内

酒蔵の中は、高潮被害を受けた影響でがらんとしていました。
圧搾機をはじめ多くの設備はすでに処分。
空いたスペースには今もアーティストの作品が展示されていて、ギャラリーとしての姿を残しています。
その一角には、わずかに残った往時の痕跡も。
「澤泉」「瀬戸の泉」といった銘柄のラベルや酒樽、徳利等々。

往時の酵母の培養設備

酵母の培養に使われていたという、こんな貴重な道具類もありました。

南浦(岡山県倉敷市玉島黒崎)から瀬戸内海を望む

そして五代目当主の赤澤一治さんの話を伺い 帰ろう蔵を出たら、目の前にこの景色!
この海岸線には酒蔵やみりん蔵が集積していたそうで(みりん蔵は現役!)、さぞ活気にあふれていたことでしょう。
かつては北前船の寄港地がここ玉島にあったとのことで、こうした地の利もまた往時の酒造業発展につながったのではないかと赤澤さんは話してくださいました。

続きはまた追って。

参考:
倉敷観光WEB「備中杜氏の郷 ①~南浦から寄島」
https://www.kurashiki-tabi.jp/blog/14494/

玉島テレビ放送「ギャラリー南浦の酒蔵がオープン」
https://www.tamashima.tv/channel/kawaraban/stream.php?num=4538

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