大戦前夜のベーブ・ルース ロバート・K・フィッツ著
野球選手たちの思いと行動
素晴らしいノンフィクション作品を読むと、過去の歴史的事件がリアルな出来事として眼前に展開する。事件に関わった人々の息づかいまで感じられ、タイムマシンで運ばれたような迫力を感じるものである。
本書は、まさに、そのようなノンフィクション作品である。
1934年(昭和9年)、アメリカ大リーグ・チームが来日。混成のオールスター・チームとしては31年(昭和6年)に続く来日だったが、前回とはその価値が全く違った。それは世界の大ホームラン王ベーブ・ルースが加わったからだった。
そのスーパースターを参加させるため、読売新聞社長正力松太郎をはじめ、日本の関係者が全力を挙げて招聘(しょうへい)に努力し、画策する。しかも、ゲーリッグ、フォックス、ゴメスなど、綺羅(きら)星のごとき大リーガーたちが勢揃いしての来日。銀座でのパレードは、何十万人もの群衆が押し寄せ「バンザイ」を連呼。
しかし日米関係は、まさに開戦前夜。野球の試合に臨む日米の選手たち――ハワイ育ちのジミー堀尾や亡命ロシア人スタルヒン、好投して一躍ヒーローとなる沢村栄治やスパイもどきの行動に出る大リーガーの捕手など、著者は、様々な選手の思いや行動を詳述する一方、日米交渉に悩むアメリカ大使グルー、クーデターを画策する軍部皇道派などの動きも記し、地方遠征で畳の部屋に悩む大リーガー一行の様子や、彼らを迎えた芸者の化粧の仕方(当時の流行で上唇のみに紅をさす)まで描く。
そして開戦。ルースは日本でもらった土産物をニューヨークのマンションの窓から投げ捨て、沢村は「憎きアメリカ」相手に銃を取って戦死。やがて終戦。焼け野原となった東京へ、戦前来日して日本のプロ野球創立にも尽力したオドゥールがサンフランシスコ・シールズを率いて再び来日。戦争では「バンザイ突撃」で「死ね!ベーブ・ルース」と叫んだ兵士と同じ日本人が、野球復活の喜びの「バンザイ」を、再び叫ぶ……。
原題は『バンザイ・ベーブ・ルース』。多岐にわたり、じつに様々な深い読後感を呼び起こす見事なノンフィクション作品である。
(スポーツ評論家 玉木正之)
[日本経済新聞朝刊2013年11月17日付]