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垣田裕介の研究室(別館) =余暇のブログ

仕事用のホームページ(本館)とは別に、こちらではリラックスして趣味的に、あれこれの写真や本の情報などを掲載していきます。

18 6月

大阪市立大学の図書館屋上からのながめ

昨日、本を返すついでに、大阪市立大学の図書館(学情:地上10階・地下3階)の屋上に初めてのぼってみた。
 
北側(画像1)をながめると、右奥に地上300mの「あべのハルカス 」。
東側(画像2)には、右から2号館(旧・商科大学予科)と体育館と全学共通教育棟。
南側(画像3)には時計台の1号館。

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18 10月

夕焼け:2020年10月

キレイな色やなあ。

18時前、大阪市立大学杉本キャンパス生活科学部棟3階から、西側(杉本町駅方面)をながめる。
画像左下あたりに三日月が映り込んでいる。

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17 8月

半沢直樹のセリフ抜粋

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仕事は客のためにするもんだ、ひいては世の中のためにする。
その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。
自分のためにした仕事は、内向きで卑屈で醜く歪んでくる。
最初の敵はいつも、自分自身だ。
資料)先週8月10日の半沢直樹より抜粋。
16 8月

シベリア抑留の歴史を辿る

先週訪れていた京都の舞鶴は、第二次大戦後に大陸等からの引き揚げの拠点を担っていた。現在、市が運営する舞鶴引揚記念館は、シベリア抑留に関する展示が豊富なことに加え、語り部の方々のガイドも聞くことができ、たいへん勉強になる。
大阪の自宅に戻り、本棚から関連書を取り出す2020年8月。

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13 8月

2020年8月、大阪港の夕焼け

大阪港の夕焼けの光景。
大阪市街のど真ん中の中之島から大阪湾へ注ぐ安治川をまたいで、南側の海遊館のある天保山側から、北側のUSJのある桜島方面を臨む。

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11 8月

生まれて初めて、あべのハルカスにのぼり、生まれて初めて、脳ドックを受ける

職場の健康診断のオプションで、生まれて初めての脳ドック(MRI)を受けるため、天王寺のあべのハルカスに入っている市大附属病院のクリニックへ。
このビルにのぼって大阪の街をながめるのも初めて。西側を向くと、赤矢印の右から、通天閣、南海電鉄・新今宮駅の高架、南港のコスモタワー。

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【はじめての脳ドック(その1)】
検査着に着替えて仰向けになって、ドーナツみたいなMRIの検査機器に入る。その前にスタッフから質問。
閉所恐怖症とかはないですか?
はい、これまでは自覚ないです(もしこれから自覚するとしたら、そのときに検査機器内で身動き取れず閉所恐怖症と知るってことやな…)
 
【はじめての脳ドック(その2)】
MRIの検査機器に入るときは、スタッフいわくツタンカーメンのカバーを顔にかぶせて、首から上は固定される。その前にスタッフから説明。
検査中は動かないでくださいね。
あの、かゆいときはどうしたらいいですか?
そのときは、無の境地で。
(そんなん習ってない…)
 
【はじめての脳ドック(その3)】
いよいよMRIの検査機器に入る。耳栓をしたうえにヘッドホンをして音楽が流れるとのこと。スタッフから説明。
工事現場みたいな音が30分続きます。
(どういう現場の、どういう工事の音やろう…)
たしかにこのあと、これでもかと多様なブザー音を聴き続けることになる。
 
【はじめての脳ドック(その4)】
工事現場みたいな音がするってことは、MRIの検査機器に入ってるあいだは、ずいぶんとうるさい音が鳴るようだ。最後にスタッフから助言。
寝るのがいちばんいいですよ。
(昨日、炎天下で自転車乗りまくって、今朝までぐっすり寝たばっかり…)
 
【はじめての脳ドック(その5=最終回)】
工事現場みたいな音を30分間聴き続け、眠れるわけもなく、無の境地にも至らず、MRI検査終了後にヘッドホンと耳栓を外した直後は、外界の声や音が聴きづらい。
頸動脈のエコー検査とか内科の問診を受け、すべての検査メニューが終了。
 
【はじめての脳ドック(補その1)】
生まれて初めての脳ドックを控えて、ゆうべはだいぶ緊張してたのかもしれない。
それだけじゃない、昨日は炎天下を自転車で走り回って体力を消耗して、疲れていたのかもしれない。
毎週月曜に楽しみにしている番組を見逃すとは…
 
【はじめての脳ドック(補その2)】
こうして脳ドックのツイートをしているところで、トレンドでBOOWYがあがっているのを目にして、今晩のBSで、1987年12月24日の解散宣告ライブ「BOOWY1224」が23時まで放映されていたことを知る。
9 8月

2020年8月、舞鶴でシンポジウム

本日は舞鶴にて、生活困窮者自立支援制度シンポジウム。
湯浅誠さんの基調講演のあと、厚生労働省生活困窮者自立支援室長の吉田昌司さんを交えた対談。
司会進行は、京都自立就労サポートセンターの高橋尚子さん。
会場は大盛況。大いに勉強させていただきました。

200809舞鶴シンポジウム



















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ある会議に出かけていったことがきっかけで、このシンポジウムのことを知り、シンポ前日からの2日間のスケジュールにご一緒して、たくさん聞いたり話したりする機会を得たもの。
このきっかけとなった会議のように、動けば動いただけその後に貴重な機会を得ることにつながると、あらためて実感。

◆2020年8月11日21:35
ある会議から舞鶴2デイズにつながった話は、ある仕事から本日あらためて東京より依頼のあった調査研究事業につながった話にも関係している。
一つひとつの仕事は、それぞれ単発だけども、結果としてパチンコ玉のようにバラバラでなく、縁や機会が数珠つなぎになっていることが、予想する以上には多い。
 
◆2020年8月9日21:52
ホテルからシンポジウム会場へ向かう途中、5年ぶりの舞鶴市役所と、隣接する赤れんが。
画像の赤れんが2~4号棟は、今から約120年前の1902(明治35)年に建設された、旧海軍の兵器廠の倉庫。国の登録有形文化財。保存状態も非常によく、見応え十分で、青空と緑にも映える。

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6 8月

ブログ記事集成――シリーズ歴史地図探訪:100年前の日本の都市

2020年度前期の地理学の遠隔授業で知ったウェブサイト「日文研所蔵地図」を活用して、住んでいる街や住んでいた街など、ぼくの人生にゆかりのある都市の100年前(大正時代)あたりの姿を辿ってみることに。

✔︎シリーズ歴史地図探訪
2020年08月03日23:56 100年前の舞鶴港の歴史地図
2020年07月21日22:47 80年前の小倉(現在の北九州市)の歴史地図
2020年07月21日20:38 100年前の大分市の歴史地図
2020年07月12日16:42 100~170年前(江戸末期から大正期)の堺の歴史地図
2020年07月11日23:39 100年前の岸和田の歴史地図

1918年堺市(大阪市街全圖實地踏測)赤丸付き



















✔︎関連記事
2020年07月29日22:31 1908(明治41)年創設、堺のセルロイド工場のレンガ建築
2020年07月25日18:32 岸和田紡績の工場跡地のレンガ外壁
2020年06月19日21:36 100年前(大正時代)の大阪市の地図との出逢い

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4 8月

2020年8月初頭のキャンパス

キャンパスに、緑が多くて、心地よい
(1号館前の芝生がきれいな本日の五七五)

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3 8月

100年前の舞鶴港の歴史地図

シリーズ歴史地図探訪は、京都の舞鶴へ。
 
【その1】
こちらは約100年前、1925(大正14)年の舞鶴港(ウェブサイト「日文研所蔵地図」)。
日本海に面する舞鶴港は、日本有数の軍港・貿易港として栄えてきた。
地図中の右側の赤丸の新舞鶴駅は現在の東舞鶴駅、その左上の中舞鶴駅は現在の赤レンガのあたり、その左下側の舞鶴駅は現在の西舞鶴駅。

1925年舞鶴港




















【その2】
舞鶴駅(現在の西舞鶴駅)の東側には郡是(ぐんぜ)製糸の工場がある。駅の北側の街中には郡役所と町役場、税務署、警察、そして憲兵分遣所の記載。
地図の右側の赤四角には、要塞司令部や重砲兵大隊の記載。現在の舞鶴税務署と日星高校のあたり。

1925年舞鶴駅周辺















上の地図で北側に伸びる線路は今はなく、100年前は下の地図のとおり、桟橋まで線路を伸ばしていた。
駅名は海舞鶴駅。

1925年舞鶴港桟橋







 











【その3】
こちらは先ほどとは別で、約100年前、1922(大正11)年の舞鶴港(ウェブサイト「日文研所蔵地図」)。
地図下側には新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)。その左上の赤丸は町営住宅で、現在のNTTや舞鶴共済病院に隣接。駅の右上の赤丸も町営住宅。
地図右上の龍宮新地には、演舞場や娼妓検査所の記載がある。

1922年新舞鶴(東舞鶴)
3 8月

zoom授業の受け方(その3)

ぼくのzoom授業を家族と受けていた学生からのコメント。
> 追記:母からです(笑)
> 人生初のオンライン授業を体験しましたが、先生の授業は大変興味深く、ぜひ対面での授業も受けてみたいと感じました。ありがとうございました。
メッセージありがとうございます。
教室でもお待ちしております。

✔︎参考記事
2 8月

2020年8月2日、生誕100年

本日は、労働問題や社会政策の研究者、氏原正治郎(うじはら・しょうじろう)氏の生誕100年の日。
1987年8月に亡くなっているので、直接お会いしたことはないけれども、ぼくが貧困調査に携わるようになった頃に読んだエッセイには大きな影響を受けている。
そのことを昨年の社会政策学会でも話している。

190518社会政策学会教育セッション質的調査表紙

















190518社会政策学会教育セッション質的調査氏原エッセイ
31 7月

2020年8月、生活保護の研修の予定

生活保護の現場の方々と交流する機会を得られたらという期待も込めて昨年度から担当している、大阪市全区の福祉事務所の査察指導員(SV)を対象とした研修。
今年度はコマ数が倍増し、2時間半を2コマの全5時間コース。しかも2班に分けて行うことに(つまり合計10時間話すことになる)。
先ほど最終チェックして送付した研修資料は、ワード18ページ、スライド38枚という、なかなかのボリューム。
30 7月

2020年度前期、学生からの授業の感想

自慢です。ほんとうにうれしい。
ぼくの授業を受講している他学部の4年生からの感想。
とても面白い授業をありがとうございました。4年間大学で授業を受けて、雑談を含めて一番面白くて飽きない授業だったと感じました。とてもためになる授業で、受講できてよかったです。ありがとうございました。

29 7月

1908(明治41)年創設、堺のセルロイド工場のレンガ建築

かつて環濠都市だった堺では、明治期になると堀のすぐ外側に鉄道駅(現在の南海本線の堺駅)や紡績工場が建てられるようになる。
 
1908(明治41)年には、堀の北の外側(現在の南海本線の七道駅あたり)にセルロイド工場が創設され、そのレンガ建築の一部がモニュメントとして保存されている。

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セルロイド工場の創設から3年後の1911(明治44)年の地図をみると、たしかにセルロイド會社との記載。画像上側の赤丸。

1911年大阪市街全圖 實地踏測
26 7月

『胃袋の近代』という本

四連休の最終日は、授業の準備に捧げたのち、この本を研究室の書棚から取り出して過ごす。
労働史、社会事業史、社会政策史として読める。
画像のカバー図版は大正時代の大阪自彊館の簡易食堂、扉図版は大正時代の残飯屋(東京市社会局調査)。

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25 7月

岸和田紡績の工場跡地のレンガ外壁

三連休の三日目の夕方は、1917(大正6)年の地図を片手に、歴史地理探訪ウォーキング。
 
当時の地図に記載されている岸和田紡績の工場跡地のあたりを歩く。
レンガ造りの工場外壁が現在もごく一部残存しており、お目当ての場所でながめたあと、別の思わぬ場所でも遭遇。

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23 7月

『社会事業成立史の研究』という本

先ほど隣の研究室の先生と話していて、慈善事業や救済事業、経済保護事業、防貧、私営社会事業、公営社会事業、社会事業史について調べたいことが出てきて、研究室に戻ってこの本を手に取ったところ。
2011年7月刊行。同年10月の社会政策学会秋季大会(京都大学)で割引購入。

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22 7月

2セット目のキーボードとトラックパッド

緊急事態宣言の真っ只中だった5月半ば、在宅ワークがめっちゃ推奨されていた頃に、自宅用にもう1セット発注していたキーボードとトラックパッドが、2ヶ月の時を経て、Go To トラベル開始の本日に届く(画像中の上:1セット目、下:2セット目)。
コロナの影響で国外からの納品に時間がかかったもよう。

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◆2020年7月23日16:41
昨日届いた2セット目のキーボードとトラックパッドを開封して、1セット目と記念撮影。
今後、2セット目は研究室専用、昨年11月から使ってきた1セット目は自宅専用に。
 
今年5月に自宅で書いた調査報告書や学会のペーパーには、1セット目をカバンに入れて研究室と自宅のあいだを何度も往復させた思い出。

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21 7月

80年前の小倉(現在の北九州市)の歴史地図

シリーズ歴史地図探訪は、先ほどの大分から、お隣の福岡は小倉へやってまいりました。
 
【その1】
1939(昭和14)年の小倉市(ウェブサイト「日文研所蔵地図」)。
まず、鉄道駅について、地図の真ん中の上側に付けた赤丸は当時の小倉駅。ここは現在の西小倉駅で、現在の小倉駅は東側の赤四角のあたり。
それらの間の川を南下したところに付けた赤丸は井筒屋と記念病院で、現在の井筒屋。
その南で川が合流する地点の赤丸は、現在のホテルクラウンパレス小倉(よく泊まりました)。
地図の真ん中の上側に付けた赤丸の当時の小倉駅(現在の西小倉駅)から南下したところには、憲兵との記載。現在のレクサス。
その南側に広がるピンクの敷地の一部は、現在の小倉城跡や勝山公園など。当時は軍事上の機密のためか詳細の記載がない。
憲兵の記載の南西に付けた赤丸は、現在の小倉北警察署。
その西側の赤丸が県立小倉中学で、現在の福岡県立小倉高校。
その北側の赤丸には刑務所の記載。

小倉駅前














【その2】
上の地図の西側。
地図の右端の赤丸が、現在の東八幡キリスト教会。
その南向かいには、現在の抱樸館北九州。
左側の赤丸は大蔵の交差点。

東八幡
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