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昔の新聞点検隊

流言飛語による惨劇 朝鮮人虐殺/関東大震災(5)

拡大1923(大正12)年10月21日付 東京朝日朝刊2面。画像をクリックすると大きくなります。主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています
【当時の記事】

関東一帯に亙る 朝鮮人殺し真相 被害者四百卅余名 内地人の死傷者も頗る多い

九月一日大震災の当夜から数日間に亙って帝都、その附近並に近県各地に朝鮮人暴行の事実が誇張して伝へられた結果人心極度に動揺し到る処に朝鮮人に対する暴行殺傷の不祥事が続発し中には朝鮮人と間違へられて殺傷された内地人も尠くない、この事件は今日迄報道の自由を有しなかったが二十日その一部の掲載を許された、本社の精査する所では混乱中に殺害された朝鮮人は東京府三十七名、埼玉県百六十六名、群馬県十七名、千葉県六十二名、神奈川県百五十名、合計四百三十二名の多数に上り其真相の大体は既に報道した通りである、尚朝鮮人と間違へられて殺された内地人は東京市内のみで十三名重傷者十一名を数へて居ると

(1923〈大正12〉年10月21日付 東京朝日朝刊2面)

【解説】

 関東大震災当時の記事を紹介するシリーズの5回目(①言語に絶する大混乱泥だらけの記者たちそのとき組閣の真っ最中だった首相暗殺? 揺れに揺れた続報、もご覧下さい)。今回は震災直後のパニック状態の中で起きた悲惨な出来事を取りあげます。

 関東大震災で大きな不安と恐怖に駆られた人々に、流言飛語が広がりました。「激震がまた起きる」「津波がやってくる」……。なかでも歴史に大きな汚点を残したのが、日本に住んでいた朝鮮の人々に関する流言です。朝鮮人虐殺という惨劇につながりました。

 冒頭が、朝鮮人虐殺について報じた記事です。読んでいてまず気づくのは、記事では「中には朝鮮人と間違へられて殺傷された内地人も尠(すくな)くない」となっているのに、見出しでは「内地人の死傷者も頗(すこぶ)る多い」としていること。「少なくない」と「とても多い」では受ける印象がだいぶ違うので、今ならどちらかに合わせてもらいます。

 「関東大震災」(吉村昭著、文春文庫)によると、震災発生から3時間後には、朝鮮人に関する流言が流れていたとあります。時間が経つにつれ、「朝鮮人が放火した」という内容が、「朝鮮人が強盗」「朝鮮人が強姦(ごうかん)」などとどんどん膨らんでいきます。根拠のない流言は人々の口を介し、東京をはじめ各地に広がっていきました。

 恐怖におののいた人々は自警団をつくり、通行人を路上で尋問したりします。日本刀や竹やりなどを携え、朝鮮人と思われる人に暴行するケースが続出しました。軍人や警官に変装することもあるという流言を信じ、軍人や警官を襲うこともあったそうです。

 虐殺事件によって何人の朝鮮人が犠牲になったのか。当時の政府発表は231人。冒頭の記事の朝日新聞まとめでは432人。大正デモクラシーの旗手で政治学者の吉野作造は、在日朝鮮人学生らの調査を基に2613人としたそうです。6千人超とする説もありますが、正確な数字は分かりません。朝鮮人に間違えられて殺された日本人や中国人もいました。

 それでは、流言はどこから起きたのか。やはり確かなことは分かりませんが、当時の人々の差別意識から起きたという自然発生説▽民衆の不満を朝鮮人に向けさせるため治安当局や軍が仕掛けたという官憲説▽その二つが同時に起こったとする同時発生説などがあります。

 治安当局や軍は大震災の混乱のなか、朝鮮人による独立運動や、社会主義者・共産主義者による反政府運動を恐れたといわれます。

 実際、震災の発生数日後には警察に捕らえられた社会主義者らが軍に殺される亀戸事件、9月16日には無政府主義者・大杉栄らが憲兵隊に殺される甘粕事件が発生。このような動きが官憲説の根拠の一つになっています。

 9月5日、山本権兵衛首相は内閣告諭を出します。「民衆自らみだりに鮮人に迫害を加ふるがごときことはもとより日鮮同化の根本主義に背戻(はいれい)するのみならず また諸外国に報ぜられて決して好ましきことにあらず 民衆各自の切に自重を求むる次第なり」

 関東戒厳司令部は、自警団や一般市民が許可なく武器や凶器を携帯することを禁止。警察も流言を広げる者を取り締まる方針を示し、9月7日ごろには虐殺がやみました。

 ちなみに、冒頭で紹介した記事に「報道の自由を有しなかったが二十日その一部の掲載を許された」とあります。内務省は9月1日、人心に不安を与えるような報道の自粛を要請。同3日には、朝鮮人に関する記事の掲載を一切禁じ、掲載した場合は発禁処分にすると警告します。記事差し止めの一部が解除されたのは、10月20日のことでした。

【現代風の記事にすると…】

関東各地で朝鮮人虐殺 死者430人超

 関東大震災が発生した9月1日夜から数日間、朝鮮人に対する虐殺事件が関東各地で起きた。朝鮮人と間違えられて殺傷された日本人もいた。当局による報道規制が続いていたが、20日、一部の掲載が許可された。朝日新聞のまとめでは、殺害された朝鮮人は東京府37人、埼玉県166人、群馬県17人、千葉県62人、神奈川県150人の計432人。朝鮮人と間違えられて殺された日本人は東京市内だけで13人、重傷者は11人に上るという。

(高島靖賢)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください