幕間 ティアの出会い-2
2016.6.11
ティア視点その2。
「それじゃあ、何か必要な物、足りてない物、欲しい物はあるか?」
美味しい夕食を食べた後、ご主人様が別れ際に考えておけと言っていた話をし始めた。
でもこれ以上必要な物なんて、私には思いつかない。
多分みんなも同じだろう。
黙り込む私達に、ご主人様は怒るでもなく首をかしげた。
「どうした? 誰からでも自由に言っていいぞ?」
「あの、師匠」
そのご主人様に、しばらく賢者様から説明が入る。
「なるほど。じゃあお前たちには、働きに応じて給料を与えよう。その内集落内に店を作るから、欲しい物は自分で買うといい」
「本当に彼女たちを、一住民として扱うのですね」
「ああ、そのつもりだ」
ご主人様は私達を奴隷として扱う気が本気で無いみたい。
やっぱり物凄く良い人なんじゃないかしら。
さっき私に食べれない物がないか、聞いてくれたし。
「あ……師匠。あの、何か汚してもいい布だけ、女性1人につき2枚ずつほど用意して貰っていいですか?」
賢者様が思い出したようにご主人様に頼んだ。
多分、私たち女の月の物のための布だろう。
ちなみに今、月の物が来ている何人かは、賢者様が普段使っている布を貸して貰っている。
「ああ、分かった。大きさはどれぐらいがいい?」
ご主人様は分かってなさそう。
なるほど。そういう方向の品は、女の私達から言って用意して貰わなければならないみたい。
私達からそれ以上の希望が無いのを確かめると、ご主人様は軽く咳払いをする。
「さて……お前たちに、1つ良い報せがある」
良い報せ?
何かしら。
ご主人様はちゃんと全員が話を聞いているかどうか、見回している。
どうやらこれは大事な話みたい。
「―――奴隷たちの中で、故郷に帰りたい者がいたら、帰っていい」
…………え?
「な!?」
誰よりも先に、賢者様が驚きの声を上げた。
「師匠、あれほどの大金を払って手に入れたのに、手放すというのですか?」
手放す。
ということは、ほ、本当に。
帰ってもいいと、いうことなの?
みんなの、所へ。
「別に善意で言っている訳じゃない。これには一応、ちょっとした考えがあるんだ」
賢者様に返されたその言葉に、一転して不安な気持ちが湧き上がった。
帰らせる代わりに、何かをやらせるつもりなんだわ。
疑心を募らせた私達に、ご主人様は穏やかな口調で言葉を続けた。
「まず、お前たちの中で帰りたい者がいたら、俺が昼間の転移で送り届けてやろう。だが、お前たちが奴隷になった経緯には、色々なことがあったと思う。既に故郷が無い者、帰っても家族がいない者、逆に帰りたくない者。そういう者は、この集落を第二の故郷だと思って、人生をやり直すといい」
私達にとって良い事しかない。
帰りたい人を帰らせて。
帰りたくない人の面倒を見て。
善意じゃないなら、一体それにはどんな意味があるんだろう。
「師匠には、それでどのような利があるのですか?」
私達の疑問を、賢者様が代表して口に出した。
「決まっている。残った人間は俺を、ほぼ絶対に裏切らない。だが心のどこかで帰りたいと思っている人間の方は、俺はどうしても信用出来ないだろう。それなら最初からいない方がいい」
ちょっと難しい。
多分だけど、ご主人様は、自分から進んで働いてくれる人だけが欲しいのかな?
嫌々働かれるぐらいなら、いない方がいいのかもしれない。
「まあ俺の考えはそういうことだ。とりあえず、お前たちが体調を完全に取り戻すまではここにいて貰うが、その後は好きにしていい。なんならここでしばらく働き、貯金を貯めてから出て行くのでも構わない」
やっぱり私には、ご主人様は凄く良い人だとしか思えない。
それかこれぐらい凄い魔法使いだと、物差しの大きさが違うのかも。
でも周りのみんなは、ご主人様の言うことが信用できないみたい。
みんなを窺っていた私の視界に、賢者様の姿が入る。
考え込むような、痛ましそうな。
そんな難しい顔で、賢者様はご主人様の横顔を見ていた。
(憐れみの目……?)
その目には覚えがある。
競りにかけられていた時、道行く人間たちが、私達奴隷に向けた目と同じ物。
「そうだ、お前たちのその首輪は取ってやろう。―――『アイテム破棄』」
その次の瞬間に起きたことで、私の思考はそれどころじゃなくなった。
首に違和感。
手で触れると、首輪が無かった。
「今この瞬間、お前たちは奴隷から解放された。何日かしたら、また話をしよう。それまで自分がどうしたいのか、よく考えてみろ」
そう言ってご主人様は、賢者様を連れてこの場を後にした。
後には奴隷じゃなくなった私達だけが残される。
全員が全員の首筋を見る。
誰の首を見ても、首輪は無い。
当然自分の首に伸ばしている指先にも、あの冷たい感触は返ってこない。
「ああ……ぁぁぁ……」
私は泣いた。
みんなも泣いていた。
ご主人様は……ハネット様は、きっと神様の使いに違いない。
「お、お姉ちゃん、大丈夫?」
ノルンちゃん達が慰めてくれた。
思わずその小さな体に抱き着く。
「うん……ありがとう。私……私、もう、奴隷じゃないの。みんなの所に、帰れるの……!」
「……そうだね。良かったね、お姉ちゃん」
「……うん! ……うん!」
ノルンちゃんが私の頭を撫でてくれる。
どっちが子供なのか分からないわね。
しばらくして、みんな落ち着いてきた。
「俺は……俺は、故郷に……。家に、帰るぞ」
男の人が、ぽつりと零した。
「……俺もだ」
「私も……!」
みんながそれに続いて口を開く。
まるで決意を表明しているみたいだ。
「お前たちは……どうする?」
一番年を取った男の人が、黙っている一団に声をかけた。
商館で、服を着せて貰えなかった人たちだ。
「……私は……ここに、残るわ」
例の侍女の人が、静かに答えた。
他の人たちも黙って頷く。
「…………そうか」
誰も理由は聞かなかった。
この人たちは酷い目に遭い過ぎた。
故郷が無くなるか……、あったとしても、もう知り合いに会いたくないぐらいに。
「俺も残る」
はっきりした口調で口を開いたのは、若い男の人だ。
他と同じく、今朝まで目に輝きを失っていた1人。
でも、今の彼の目にある物は。
「俺は……あの人に、ついて行ってみたい」
その目にあるのは、憧れ。
お伽噺の救世主に向ける、少年の目だ。
絶望で失われていた光が、今再び、彼を人間に戻している。
……その気持ちもよく分かる。
伝説の魔法を使う、大魔法使いであり。
そして賢者の知らない知識を持つ、大賢者でもあり。
何よりも、その力を悪用するでもなく、弱き者を救う為に使う、正義の人だ。
まるで本当にお伽噺の救世主。
それにきっと、彼のもとにいるのは安寧を手に入れるという事でもある。
「……そうだな。それも……いいかもしれん」
対する年長の人は、複雑そうな表情だ。
帰れるのに、嬉しくなさそうな。
……この人も、何かあったのかしら。
柔らかくて暖かい、高級そうなお布団の中で横になる。
みんなの所に帰れると思うと、気持ちが昂ぶって眠れない。
あれから結局、私を含めた半分以上の人が、故郷に帰ることを選んだ。
……でもどうしよう。
きっと里のみんなは、別の森に行ってしまったわよね……。
でもでも、ハネット様なら、魔法で見つけ出すことも出来るかも……。ああ、でもそれだと……。
「ねえ、お姉ちゃん……」
布団の中に、ノルンちゃんが入ってきた。
「ノルンちゃん。どうしたの?」
私が起きているのが分かると、ノルンちゃんはギュッと抱き着いて来た。
「お姉ちゃん、帰っちゃうの?」
「…………」
この子達は、ここに残るのだ。
さっきは私を撫でてくれたけど、本当は寂しかったのね。
「……ごめんね、ノルンちゃん」
「……ううん。お姉ちゃんには、帰る所があるんだね」
「ノルンちゃんには、無いの?」
「……うん。お母さんもお父さんも、会ったこと無いの」
そうか。
この子達は、ルルと同じなんだ。
だからこそ、ハネット様は手を差し伸べた。
―――この集落を第二の故郷だと思って、人生をやり直すといい。
さっきハネット様が言っていた言葉だ。
帰る場所の無い者に、帰って来れる場所を作る。
私はノルンちゃんを抱きしめ返した。
この子はここで生きていく。他の子達と……仲間達と一緒に。
それと一緒で、私も仲間達と一緒に、新しい場所で生きていくんだ。
……それでも。
少なくとも今だけは、この子をこうして抱きしめてあげられる。
「ノルンちゃん。帰る日まで、一緒にいようね」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
私はノルンちゃんの目尻をそっと拭い、2人分の温もりの中、穏やかに眠りに着いた。
次の日、集落が爆発した。
「きゃっ!?」
物凄い音に振り返る。
南の少し離れた所で、空高く土煙が立ち上っているのが見えた。
私達のあの大きな家が、丸ごと吹き飛ぶぐらいの爆発だ。
「な、何!?」
一緒に花飾りを作っていたノルンちゃんが、私に縋り付いた。私もノルンちゃんに縋り付く。
今まで私達に花飾りの作り方を教えてくれていた人たちも、不安げに抱きしめ合っている。
「た、多分、あの人の魔法……」
クロエちゃんが青い顔をしてそう言った。
「も、もしかして、ハネット様の?」
「多分……。賢者様かも、しれないけど」
でも、そう言うクロエちゃんの顔には確信がある。
そういえば、今日は1日賢者様と魔法の修行をすると言っていた。南に近寄ると死ぬぞとも。
「クロエちゃんは、お姉ちゃんが買われる前に、ハネット様を怒らせた事があるの」
「え? そうなの?」
クロエちゃんは顔を更に青くさせて、黙り込んでしまった。
「私達、街の人からお金を盗んで生活してたの。それで……クロエちゃんがお金を盗ったのが、ハネット様と賢者様だったの」
「そ、それは……」
よく生きてたわね……。
「こ、殺される所だった……」
「でも、お金が無いからやったって言ったら、許してくれたんだって。ね?」
「……まぁ、そうだけど……」
だからクロエちゃんはハネット様を怖がってたのか。
私も、ハネット様を怒らせたらと思うと生きた心地がしないわね……。
どんな風に怒るのか、想像も出来ないけど。
その後は、もう大きな爆発みたいな事は起きなかった。
私達は最後の日まで、花畑や公園でずっと一緒に過ごした。
別れの時。
3人は私ともう会えなくなることを泣いてくれた。
人間にはたくさん酷い目に遭わされたけど。
私はやっぱり、悪い人ばかりじゃないと思うの。
商館のみんなも、子供たちも、賢者様も、ハネット様も。
もしかしたら。
エルフが人間と仲良くしていたら、今みたいな関係じゃなかったのかも。
……こんなこと言ったら、里のみんなに怒られちゃうわね。
◆
里に帰って来てから、早いもので二月が経った。
私は今でも、ハネット様に貰った服を着ている。
この服を着てしまうと、ちょっと他の服を着る気になれない。
洗濯してる時は、流石に元のエルフの服を着るけど。
びっくりしたのは、ハネット様に貰った服は乾くのまで早いのだ。
どうなっているんだろう。
表を見ると動物の毛皮っぽいのに、裏地を見たら糸だった。
本当に、これ一着でどれぐらいの手間がかかってるのか分からない。
魔法って便利なのね。ハネット様だけかもしれないけど。
私と一緒に捕まったみんなは、まだ1人も帰って来てない。
でもハネット様も、見つけるのに時間がかかると言っていた。
ハネット様とお父さんが色々言っていたけど、私はやっぱり、ハネット様を信じてる。
きっとみんなも帰ってくる。
むしろ帰ってこない方が想像できない。
ふと、私は眼下に広がる里を眺めた。
今私がいるのは、集合所の屋上にある柵の上。
暇さえあれば、ある人をそこから探してしまう。
(ルル……)
それはルルだ。
ルルはハーフエルフの女の子だった。
ルルは里の外から来た、エルフの女性の連れ子だった。
私達の里はルルとそのお母さんを快く受け入れた。
なぜ元の里を追い出されたのか、ルルのお母さんは言わなかった。
そしてすぐに病で死んでしまった。
里から里に渡り歩くのに、力を使い果たしてしまったから。
でも赤ん坊だったルルが成長すると、その理由もすぐに明らかになる。
ルルの耳は短かった。
相手の男は人間だったんだ。
おまけに髪が白かった。
銀髪はダークエルフの特徴。
ダークエルフはエルフの姿を真似ておきながら野で生きる、野蛮で下等な種族だという。
でもルルは耳は短いし、肌も褐色じゃなく白だ。
そっちは完全な言いがかりだ。
ただルルを中傷する要素が欲しかっただけ。
当然ルルは、里の中で酷くいじめられた。
いつもルルは里の中で一人ぼっちだった。
ルルと一緒にいたのは、里の中でも私ともう1人の男の子だけだ。
その男の子も、いつしかルルから離れてしまって。
ルルの仲間は、もうずっと何年も私だけだった。
いつ見ても、里の片隅の大岩に、1人ぽつんと座っていたルル。
―――今はその大岩も無いし、ルルもいない。
あの襲撃の時、ルルは私と違って逃げ延びた筈だ。
ルルは精霊魔法は使えないけど、とてつもなく優秀な光の魔法使いだった。
人間に遅れをとるとは思えない。
それにあの6人の中にもいなかった。
……なのに、帰って来たらルルはこの里にいなかった。
お父さんに聞くと、私達を助ける為に1人で出て行ったらしい。
きっと嘘だ。
ルルは酷い事を言われたんだわ。
「みんなが捕まったのに、なんでお前はここにいるんだ」とか、そんなことを。
もしかしたら、お父さんはそれを知らないのかもしれない。
お父さんも、私と同じでルルには少し優しかったから。
里のみんなに聞いた話を、そのまま信じてるんだろうか。
それとももしかしたら、本当にルルは私を助けに来てくれたのかもしれない。
―――それはね、ルル。私とルルが、里一番の友達だからよ。
―――……そっか。ボクとティアは、里一番の友達か。
古いやり取りを思い出す。
私とルルは、里一番の友達だから。
だから、助けに来てくれても不思議はない。
今度は私がルルを探しに行くべきかもしれない。
ハネット様に相談してみた方がいいだろうか。
―――何らかの条件を付けよう。タダで助けるのは俺の行動方針に反する。
ハネット様が、最後の時にお父さんに言っていた言葉だ。
ハネット様の助力を得るには、何らかの対価がいる。
(いえ。私はルルの為なら、どんなお礼だってする覚悟があるわ)
私は家に置いてある、ハネット様に貰ったスクロールを思い浮かべた。
ちょうどその時だ。
私の見下ろしていた目線の先。
里の入り口に、ハネット様が現れたのは。
第1章はこれにて正式に終了です。
次回から第2章となります。