11 都市ゼルムス
2016.6.9
新拠点2日目。
そういえばこの拠点の名前も考えとかなきゃな。
俺は数日前に書いていた拠点拡張計画の計画書に、適当に思い付く名前をズラズラと箇条書きにした。
駄目だ……今朝はめっちゃ厨二な名前しか思いつかねえ……。
厨二キャラはうちではクラツキの専売特許なのに……。
―――ピンポ~ン
タ行まで書いた辺りで呼び鈴が鳴った。ニーナか。
ちなみに呼び鈴とか玄関の鍵の事とかは既に昨日の夜教えてある。
女賢者に夜の授業を施してやった訳だな。うん、嘘は言ってない。
遠隔操作で玄関を開けてやった。
少ししてニーナが恐る恐ると言った具合で部屋に来る。
「し、師匠のお家は、廊下を歩くだけで肝が冷えますね……」
「そうか?」
「はい……。その、磨き抜かれた床もそうですが、絨毯にも汚れを付けてしまいそうで……」
なるほど。そりゃそうだ。
この赤い絨毯とか現実だったら数百万円ぐらいしてもおかしくないからな。
ゲーム万々歳だ。
「気にすんな。どうせ魔法でどうにかなる」
「はあ……。あ、そうでした、おはようございます。師匠」
「はい、おはよう。そんでどうした?」
「一応朝食は取って来ましたが、今日はどういった予定ですか?」
こいつもしかして、毎日予定を決めてやらなきゃならんのか?
まあこんな場所に家があったんじゃ、修行以外やる事無くて暇なのは分かるけどさ。
「そうだな……うーん。なんか修行と授業以外で、したい事はあるか?」
「あ……それなら、実は1度近くの都市に行って、色々と買いたい物があるのですが……」
ああそうか。
俺からしたら大抵の物は揃えてやったつもりだったが、現地人から見たら必須の物とかが無かったのかもしれない。
今後もそういうのは多々あるだろう。何しろ文化が違い過ぎるのだ。
「ああーそうだな。そうだよな。すまんな、気付いてやれなくて」
「いえ。 ……それで、そうなると数日、お時間を頂くことになるのですが……」
「ん? それは移動時間の為か? 街での目的の為か?」
「移動時間の為です」
「それなら俺が転移で送ってやるからいいぞ。実は俺もこっちの都市とやらを見てみたいんだ。どうせだから一緒に案内役を頼みたい」
「そうですか? それならば、お言葉に甘える事にします。案内もお任せください」
「そうだなー、朝っぱらから修行は面倒臭い。すぐ行くか」
「あ、では鞄を取って来ます」
ニーナが出て行った間、アイテム作成で作った紙に、マップをプリントアウトして地図を作っておいた。
一応マップには村や都市の情報も書いてあるが、選ぶのはニーナにお任せした方が良いだろう。
帰って来たニーナに早速それを見せる。
「目的地の都市はどれだ?」
「……これは地図ですか? これもまた、有り得ない精度ですね」
紙に航空写真をプリントアウトしただけなんだが。
まあこの文化レベルだと地図なんて手描きか。
それどころか、もしかしたら測量も適当かもしれない。
「1人なら1番近くのクリオラに行くつもりでしたが、転移の魔法が使えるなら、こちらのゼルムスの方が大きくて良いでしょうね」
「ふむ。よしよし、やはりニーナは役に立つな」
「え? い、いえ。そんな……」
照れてる照れてる。
昨日のお茶会の復讐だ。俺はそういうの忘れないからな。
「じゃあ行くか。都市の外観が見たいから、転移してから少し歩くぞ?」
「はい。大丈夫です」
俺が差し出した手をニーナが握った。
「『テレポート』」
都市から1kmぐらいの場所に転移した。
目の前には地面を固められた街道が続き、その先には件の……なんとかという都市が見える。
おお、ズームしてみると中の建物が全部石造りだ。この辺、地震は無いっぽいな。
その石造りで出来た街並みが中核となり、その周辺に木造の家屋が後からつぎ足されている感じだ。
途中から材質が変わっている辺りに、計画性の無さが窺える。俺らのクランかって。
「おー、確かに都市って感じだな」
「このゼルムスはライゼルファルムの中で、王都を除けば2番目に大きな都市です。周辺では一番の大きさでしょう」
「へえ。なら今後も来ることが多いかもな」
ゼルムスね。ゼルムス。
ライゼルファルムとかいうのが確かこの国の名前だっけか。
そういえば名前カッケーとか言ったね。既に『王国』の方で覚えてたわ。
しばらく歩くと、外側の木造の街並みに入る手前に、衛兵が10人ほど立っているのが見えた。
格好としては白銀を基調にした全身鎧に、自身の身長よりも長い槍を1本ずつ持ち、右の腰には片手剣らしき長さの剣が刺されている。
(メイン武器が剣じゃなくて槍なのは、一定の距離を保って円形に包囲する陣形を想定している為? 左腰じゃなくて右腰側に剣を刺しているのは、槍より手前まで肉薄された時に咄嗟に左手で抜けるように、って所か?)
初めて見るリアルな兵士の格好を癖で吟味していて、気付いた。
(そういえば通行証的な物が要るんじゃないか?)
他には通行税とか。
ここは現代ニホンではなく、旧時代の中世レベルの世界なのだ。
「ちょっと隣町まで」という気軽さで行き来が出来るか疑わしい。
「おい、通行証とか大丈夫なのか?」
無かったら魔法で透明化して忍び込むか、ぶっ殺すしかないぞ。
「大丈夫です、師匠。私が持っていますので」
やるやん。
10mぐらいの所で、一番手前にいた衛兵が大きな声を上げた。
「失礼します! 通行証を拝見させて頂きます!」
敬語だ。なんとなくもっと高圧的に来るかと思った。
「お勤めご苦労様です。ではこれを」
衛兵にニーナが20cmぐらいのスクロールを鞄から出して渡した。
いくらでも複製できそうだな。つーかマジで複製したろ。
俺は通行証をスキャンし、アイテムデータを保存しておいた。
これでアイテム作成でいくらでも複製できる。くくく。
「…………。確認しました、賢者様! どうぞごゆるりとご滞在下さい!」
その声に合わせ、10人全員が一斉に槍を地面に突き、左腕で敬礼的な格好を取った。
そうか、相手が賢者だから敬語だったのか。有名人なんだな。
「そうだニーナ。お前買い物どうする? 1人で先に回るか?」
「う……実を言うと、その……ふ、服とかを買いたいので、1人で行動させて貰えるならば非常に有り難いのですが……師匠、迷ったりしませんか?」
「お前、俺に助けられた時の事を忘れたのか? 俺はその場にいなくても、
まあ今回はマップでニーナにあらかじめマーキングを付けておけば、人混みでも分かるだろう。
「なるほど。なら大丈夫ですかね? …………えっ。あの、師匠……その魔法で、私のおふ、お風呂とか……」
「覗いてねーよっ。それぐらいだったら、そもそも家を別にしようとか言わねーだろが」
つーかそんなの思い付いたことも無かったのに、お前のせいで選択肢が出来ちまったぞ。
今日から毎日、隣の家から風呂の音がする度悶々とすることになるかもしれん。覗かないけどさ。
「そ、そうですね。すいません」
「……まあいいが。それじゃあ『コール』のスクロールを渡しとくから、買い物が終わったら話しかけてこい」
「はい、ありがとうございます」
「それと、お前金欠らしいし、一応小遣いをやる」
俺はアイテムボックスから、金貨を5枚ほど取り出した。
「お前がこの前、単純に金として使えるだろうって言ってた金貨だ。もし使えなくても、この規模の都市ならどっかに換金できる場所もあるだろ?」
「そ、そんな。受け取れません」
「いや、俺の為にも受け取れ。実はこっちの金貨がどうしても1枚欲しいんだ。合流するまでにどうにかしといてくれ」
そう。ある
「それは……はい。分かりました」
「じゃ、俺は街を適当に見て回ってる」
「あ、あの、賢者様?」
ニーナと別れようとした所で、衛兵の1人が話かけてきた。
「はい? なんでしょう」
「あの、先程から随分砕けた会話をなさっていますが、そちらの青年は一体?」
見ると他の9人の衛兵もうんうんと頷いていた。立ち聞きすんなや殺すぞ。
「あ……その……」
対するニーナは言い難そうにしてこっちをチラチラ見ている。
なんでだろう。師匠だって言うことに、なんか不都合があるか?
「…………いえ。 その、この方はこの度、私の新たな魔法の師となって下さった、大魔法使い様です」
「え!?」
「決して、決して粗相の無いようにして下さい。……私に対する以上に、ですよ?」
「え、は……は、はい! 失礼致しましたッ!!」
話しかけてきた衛兵は急いで元の場所に戻ると、他の9人と一緒に不動の姿に戻った。
賢者の影響力スゲーな。
「なんで最初言い淀んだのか、聞いてもいいか?」
「あの……。恐らく私に師匠が出来たというのは、大陸内で一大事として扱われることになります。そうなった場合、師匠にご迷惑が及ぶことになるかもと思って……申し訳ありません」
「へえ。流石大陸最強クラスの賢者」
「お、恐れ多い話です。というか、その……怒っていませんか?」
「まあいいよ。大抵の事なら俺は解決できるからな。それじゃあまた後で」
「は、はい……。申し訳ありませんでした……。失礼します……」
まあ「恋人です!」とか言っても確実に噂になるからな。兄ですってのも人種が違うから絶対無理だし。
ニーナが有名人な時点でこの状況は詰んでた訳だ。やはり透明化で忍び込むべきだったか?
衛兵達の視線がウザいのでさっさと道を進む。
正面からやって来る人間達が、全員俺を見てギョッとしていく。大丈夫。村で慣れた。
街並みを観察すると、木造の分はどうやら店ではなく住人達の住居らしい。
人口が増え過ぎて、元からある石造りの区画に入りきらなくなったって感じか?
人口が増えるってことは、もしかしたらこの国は最近平和なのかもな。
ふと家屋の裏道にホームレスっぽい連中がたむろしてるのを見つけた。
まあ近くの森から木材を運んでくるのにも金はかかるからな。
家が作れないなら宿に泊まるか野宿かしかないのか。世の中金だよね。
しばらく歩いて石造りの区画に入ると、目に見えて人口密度が高くなった。
相変わらず、道行く人は俺を見ると若干距離を空ける。はは、歩きやすくていいや。
建物をよく見ると、ドアと窓だけ木製だ。ガラス窓はチラホラとしか無い。
地面はこの区間に入る直前から石畳だ。
そして相変わらず臭い。下水はよなんとかしろ。
そういえば旧時代の西洋とかは、糞尿を道に捨ててたって聞いた事あるな。考えらんねー時代だ。
「あ、あの、旦那様!」
歩いていると、小さな女の子に話しかけられた。
旦那様なんて呼ばれたのは流石に人生初だな。いや、師匠もだが。
女の子はみすぼらしく感じる単純な服に、花を詰めたボロいバスケットを持っている。
見た瞬間に電撃が走った。
(これは……伝説の花売り少女!!)
旧時代で、孤児とかが綺麗な花を摘み、それを売って生活していたとかいう奴ッ!
すげえ! 本物だ!!
あ、違う。これゲームだったわ。
「お、お花はいかがですか?」
どうやら自分で話しかけておいて、若干ビビっているらしい。
だがよく俺に声をかけたもんだ。勇気があるな。
少女は白い生花のコサージュを差し出している。
たくさんの小さな花で、大きな花を丸く囲んだ物だ。
多分俺が全身白いから、白いのを選んだんだろう。
流石にこの歳の少女に、あえて色の違う花でワンポイントにするとか、そういう発想は無いらしい。
俺の服装だったら、コサージュは赤とかの派手な色の方がよく映えるだろう。黄色なら尚良し。
……しかしこの花は、俺が見たことの無い花だった。
(『オリジナル』!)
花さえあれば、俺の生産スキルで種が作れる。これを逃す手は無い。
……しかしよく考えれば、俺は今、金貨しか金がない。
見た目からしても、この子は恐らく孤児で間違いない。
そんな子に金貨なんか渡してみろ。暴漢に殴られるか殺されるかして、取り上げられるに決まってる。
せっかく貧乏な女の子が金持ちからお花と交換で金貨を貰うという、夢のような話が実現する機会だと言うのに。
幼い女の子が夢見る事も許されないとは。ったく世の中糞だな。
(うーん、まあここは、値段の高過ぎない物と物々交換しかないだろうな)
俺はしゃがんで、目線を少女と合わせてやった。
「やあ、見たことの無い花だ。是非欲しいんだが、俺は今金貨しか持ってなくてな」
金貨しか持ってないという言葉に、少女がびっくりしたように目を見開いて1歩後ずさった。
花を売ろうとしたぐらいだ。見た目から金持ちだと判断していたんだろうが、それでも少女の想像を超えていたらしい。
「でな、俺はその花よりもっと綺麗な花を持っている。この花なんだが、それと1個ずつで交換してくれないか?」
俺は背中に回した手から、1本の花を取り出してみせた。
俺が所持する白い花で、一番綺麗な花だと思っている物。
10cmほどの大きく瑞々しい純白の花弁に、中心は目の覚めるようなオレンジ色。
その花としての格を表すかのように、甘く爽やかな香りを放つ。
しかも食べられる。
「ふわ……」
少女は俺の花に視線が釘付けになっている。
よし、食い付いた。
「コサージュにはなってないけど、これ1本でもそれより高く売れる筈だ。これと交換してくれないか?」
「……あ、は、はい。旦那様。ありがとうございます」
オリジナルの花をトレード。帰ったら早速増やそう。
「あ、あの! 旦那様! 私の花もどうですか!?」
横から別の女の子も話しかけてきた。今度は黄色い花だ。
多分今のやり取りを見ていて、自分も欲しくなったのだろう。
俺はそれに合わせて、もっと美しい黄色い花を出してやる。
「これと交換でもいいか?」
「は、はい!!」
その後どこから集まってきたのか、合計4人ぐらいの花売り娘に囲まれて花の交換を迫られた。
そのどれもがオリジナル。最強か。
4種類だから、8枚の畑を2枚ずつ使って育てよう。
少女たちに軽く手を振って別れ、俺は都市の見物に戻った。
適当に見物してみると、大きな都市と言うだけあり割と色々な店がある。
そして気付いたのだが、店の看板が全部、文字じゃなくて絵だ。
なるほど、識字率が低い感じなのか。
まあ現実ですら、ニホンは識字率が高いことで知られるからな。
この時代でこんな国だと、文字なんて読める人間の方が少ないのかもしれない。
歩いていると皿とスプーンみたいな物が描いてある看板を見つけた。
開きっ放しのドアから中をチラ見すると、複数の机とそこで食事している人間達が目に入る。
料理屋か。1回入ってみたい気もする。
いやでも、ニーナに作って貰った現地の料理は不味かったからなぁ。
パンは発酵させてなくてボソボソだし、スープも塩の味しかしなかった。
でも現地では一般人のごく普通の食事らしい。
自分で入るより先に、ニーナに料理屋のメニューを詳しく聞いた方が良いな。
続いて俺の目に留まったのは露店だ。
どうやらここは露店用の区画らしく、広大な広場がマットを敷いた露天商達により埋め尽くされている。
店の中に入らなくても何屋か分かる分、こっちの方が面白そうだな。
しばらく現地の商品を見て回り時間を潰していると、大変な店に出会ってしまった。
俺はその露店に心なし早足で近付くと、店主に速攻で話かけた。
「これは植物の種屋か?」
「あ……、ええ、そ、そうです。どうですか、貴族様」
貴族。
……なるほど、だからみんな俺を見てくるのか。
俺だけ周りに比べ、服が高級過ぎるんだ。
だからみんな、さぞや金持ちの貴族かなんかだろうと道を空け、花売り娘は声をかけた。
でも普通、偉い人間が護衛も付けずに1人で歩き回るか?
どっちかと言うと大商人とかの方が先に思いつくと思うんだが。
……いや、そんなことはどうでもいい。
今はもっと重要な事がある。
何しろ俺は今、再びオリジナル植物が手に入るチャンスと対面しているのだ。
なんなら最重要事項と言っても過言ではない。
「ああ、滅茶苦茶興味がある。すまないが、それぞれの種の解説をして貰ってもいいか?」
異様な食い付きを見せる貴族っぽい俺に、店主は良い縁を見つけたと思ったのか、非常~に愛想良くそれぞれの種を説明してくれた。
その内いくつかは小麦とか大豆とかだったが、半分ぐらいは聞いたこともない植物だった。
これは当たりだ! 大当たりだ!!
「すまん、今は持ち合わせがないので買えないが、必ず今日中に金を持って帰って来る。その時には、全ての種を買占めさせて貰おう」
「え!?」
俺は一旦塀に腰かけ、マップデータから店舗情報を閲覧し出した。
他にも種とか植物を売っている店がないか調べるのだ。
都市全体だと物凄い店舗の数だった。一々上から下まで見ると、相当な時間がかかるだろう。
タブを【植物】に切り替えて条件を絞ってみると、さきほどの店以外にも2店舗ほど植物関係の店があるのを見つけた。
当然両方足を運ぶさ。
目的の店まで歩いていると、途中の道で、一目見て何なのか気になるぐらいに奇妙な建物を見つけた。
その建物は、周りに比べて明らかに巨大な上に、窓が1つも無いのだ。
(滅茶苦茶目立つな……)
唯一外と繋がっているであろう大きな扉の前には、鎖のような物と人間?が描かれた看板が置いてある。
その隣にはこの都市で初めて見る、文字で書かれた看板も並んでいた。でも現地語なので読めない。
マップデータで何の店なのか見ると、『奴隷商館』と書いてあった。
(奴隷ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
買った!
後でまた来るからな。
その後2つの植物店にも調査に行き、広場でマップデータを閲覧していると、やっとニーナからお呼びがかかった。
『師匠、私の方は終わりました。ありがとうございました』
周りが魔法陣で驚かないよう、無詠唱でコールをかけ返事をする。
「おう。今からそっちに向かうから、そのまま待ってろ」
10分ぐらい歩いてニーナと合流した。
スタッフを器用に脇に挟んでいる彼女は、大きな麻の買い物袋を、スリ対策なのか両手で前に抱き抱えている。
なんとなく可愛い。
麻袋は来る時は見かけなかったが、鞄の中に畳んで入れてあったんだろう。
「そら、貸してみろ。家まで俺の倉庫に入れといてやる」
「あ。ありがとうございます」
一抱えもある荷物は邪魔だろう。アイテムボックスに仕舞っといてやった。
両手が自由になったニーナは、すぐに鞄に手を突っ込んだ。
「師匠。金貨は1枚、こちらの金貨に換金しておきました」
そう言って小さな両手を使い、俺の預けた金貨4枚と、こちらの物であろう小さ目の金貨を2枚出してくる。
他にも銀貨と銅貨が数枚混ざっているようだ。
「師匠の金貨は、1枚でこちらの金貨3枚分になるそうです。換金した内の1枚は、師匠の好意だと思い、素直に使わせて頂きました。銀貨と銅貨はそのお釣りです」
「そうか」
俺は彼女の報告に短く頷き、目的だったこちらの金貨を1枚だけ受け取った。
「後はお前にやる」
「し、師匠。師匠から見たら分かりませんが、これは大金ですよ?」
「そうか。お前から見たら分からんが、俺から見たらただの小銭だ」
俺達プレイヤーの所持金の最小単位が、金貨1枚だ。要するに現実なら1円。
金貨4枚なんて、最下級の薬草ですら買えやしない。
「…………わ、分かりました。ありがとうございます。では、何かあった時にはこちらから捻出させて頂きます」
「別に金ぐらいいくらでも使え。俺の弟子になった特権だぞ」
「は、はぁ……」
微妙な表情のニーナが、両手の金を鞄に仕舞おうとした時だ。
―――突然横から飛び出してきた小さな人影が、俺とニーナの間をすり抜けた。
同時にニーナの手から、弾かれた銀貨と銅貨が零れ落ちる。
スリだ。
どうやら、器用にニーナの手から金貨だけを掻っ攫ったらしい。
俺の動体視力が捉えた犯人の姿は、身長150cm前後であるニーナよりも更に小さなガキだった。
流石に花売り娘たちよりは年上っぽいが。
硬貨が石畳に落ちる音で、周囲の人間達がこちらを振り向く。
突然の襲撃だったが、意外にもニーナは素早く対応して見せた。
硬貨が地面に落ちるのとほぼ同時、急激に表情を厳しく変えた彼女は、右脇に挟んでいたスタッフを一瞬で構えて見せたのだ。
荒事に慣れた者の動き。
ニーナが平和な現代ニホンではなく、犯罪の横行するこの世界で生きてきた事を、実感させる対応だった。
―――が、それよりも更に俺は早かった。
見た瞬間に直感したのだ。
思い出したのは種屋の店主のあの言葉。
こいつは恐らく、ニーナの服装から彼女が金持ちだと予想し、隙を見せるのをずっと窺っていたのだ。
俺をつけていたのなら、敵性オブジェクトとして反応があった筈。
まず間違いなく、ターゲットはニーナだろう。
ニーナが構えた杖をガキに向ける直前、俺は既に行動に出ていた。
(『タイムストップ』)
無詠唱化した時間停止魔法『タイムストップ』で、とりあえず時間の流れを止める。
その後普通に歩いてガキの目の前に行き、効果時間が終わる前に自分で魔法を切った。
「ッ!?」
時間が再び動き出すと、突然目の前に俺が現れたガキは急停止しようとした。
止まっても後ろにニーナがいるから無駄だろうに。せめて横をすり抜けろよ。
俺は慣性で停止しきれないガキの頭を右手で鷲掴みにし、そのまま空中に持ち上げてやった。
「ぁギッ! ああああああ゛ッ!!」
ガキは咄嗟に両手で俺の手首を掴み、首が自分の体重で千切れるのを阻止した。
が、それでも両腕にかかる負担と、頭蓋骨を握り潰そうかという俺のアバターの握力までどうにかする事は出来ない。
ガキの絶叫が響き渡り、周囲の目が全て自分達に向けられるのを感じる。まあそれはどうでもいい。
「し、師匠!?」
声に目を向ければ、ニーナが驚愕と不安をない交ぜにした表情で俺を見ていた。
どうやらスリの事よりも、俺がこれからガキをどうするのかの方が怖いらしい。
俺はガキの頭から一瞬手を離し、その足が地面に着くのと同時に、再び喉を掴み直して乱暴に引き寄せた。
「ひぐっ―――」
足がつま先だけ着くぐらいに下ろされたガキは、恐怖に顔を歪ませて俺を見ている。
「ああ、ニーナ。一応金を拾っとけ」
ガキが両手で俺の腕を掴んだ時点で、スラれた分の金貨も全部地面に転がってしまった。
「え? あの……」
ニーナはそんな事よりもガキの行く末の方が気になっているようだったが、俺がガキを掴んだまま無言でニーナの方をじっと見ると、弾かれたように慌てて硬貨を拾い始めた。
周囲のギャラリーも、俺の一連の様子からその金をネコババでもしよう物ならどうなるか理解したのだろう。目の前に金が転がって来たのに、誰1人として手を着けなかった。むしろ後ずさっている。
ニーナが金を拾う間、ガキは「あぁ~」とか「うぅ~」とか唸っている。
首を掴まれている苦痛からというより、自分がこれからどうなるのかという恐怖から出ている呻き声だ。
俺がなんとなく視線を送ると、一瞬震えて黙った後、今度はボロボロと泣き始めた。
「ひ、拾いました」
ニーナが最後の金を拾い上げ、その場所から一歩も俺に近寄る事なく報告する。
俺はそれに返事をせず、無詠唱の土魔法で空中に、黒に金で装飾された2mぐらいの槍を生み出した。
その宙に浮かぶ槍を操作し、ガキの頭に突きつける。
周りから「ひっ」という悲鳴が聞こえてきた。
「さて。―――俺に喧嘩を売るとは良い度胸だ」
手を顎筋から喉の位置まで下げることで、喋れるようにしてやる。
「ごっごめんなざいッ! ごめんなざぃいいい!!」
別に俺は怒ってる訳じゃないので謝罪はいらないんだが。
ただ敵になった奴は必ず後悔させると決めているだけだ。作業だとしか思ってない。
「今からいくつか質問をする。嘘を付いたらその瞬間に死んでもらう。分かったか?」
ガキはガクガクと恭順の意を示した。
「まず、名前と性別は?」
「くっクロエです! 女です!」
女だったのか。
子供だからか、身なりが汚いからか、分からなかった。
「家族はいるのか?」
俺のその質問に、クロエと名乗ったガキは顔を更に青ざめさせた。
なるほど、確かにこの状況だと、ヤクザが家族を狙う時に言いそうな感じに聞こえたかもしれない。
だが答えるのに逡巡するのはペナルティだ。
俺は宙の槍を一気に突き出し、ガキの顔面ギリギリで急停止させた。
「ひッ!!」
返事の遅れを許す事は、嘘を考える時間を与えてやる事になる。
こういうのは、損得を考える暇すら与えないのが肝心だ。
「次答えるのが遅れたら殺す。さっさと言え」
「いっ! いません!」
いねえのかよ。余計にさっさと答えろや。
「なんでスリなんてした?」
「…………」
「死ね」
「おかっ! お金が! お金が無いからです!」
ギリッギリで答えた。
射出する為に一旦槍を引く、という動作を入れてなかったら死んでたな。
逆に槍を引いたから、それが分かったのかもしれんが。
「毎日どんな生活をしてる?」
「え、えっと、えっと、あ、朝起きて、スリをして、そのお金でご飯を食べて、ね、寝て、ますっ!」
「そうか。1人でか?」
「な、仲間とです!」
「仲間?」
「あっ、あたしと同じで、家が無い子達、ですっ!」
「ふーん」
質問をしなくなった俺に、自分の死期を悟ったのかガキが顔を歪めた。
「……ならお前、俺の所で一緒に住むか?」
俺は言いながら、魔法を解いて槍を消してやった。
右手も喉から肩に移してやる。
「………………え?」
「俺は今、新しい集落を作っている。その集落に、出来るだけ早く住民が欲しいんだ」
「……え? あの……」
「お前がスリじゃなく、ちゃんと仕事をするのなら。……そこに正式な住民として、住まわしてやってもいい」
「…………」
「当然ちゃんとした家を与えてやる。その仲間とかいうのも、来たい奴は全員連れ来て良いぞ」
「師匠……」
ニーナは俺が凶行に及ばなかったので安堵しているらしい。小ぶりな胸をホッと撫で下ろしている。
「ニーナ、俺達が入ってきた門って、名前は何門だ?」
「え? あ……、あ、西門です」
「いいか、ガキ。俺達はこれから何刻かの間、この都市で買い物をする予定だ。仲間とやらと話し合って、俺について来る気があったら、西門で待ってろ」
「え……あの」
「返事は?」
「は、はい!」
もうガキに興味が無くなった俺は、ニーナを連れて予定通り買い物巡りをする事にした。
とりあえず金を換金して、さっさと植物の種を買おう。あと奴隷。
すぐ使える金がこんなに必要になるなら、ニーナに1枚と言わず100枚ぐらい渡しておけば良かったな。
周りは物凄い人混みになっていたが、俺が近寄るとギャラリー達はわっと道を空けた。
「行くぞ、ニーナ」
「は、はい!」
とりあえず人混みが見えなくなるまで離れる。
「はぁ……、師匠、最初からあの子を連れて帰るつもりだったんですね?」
「は?」
「え?」
…………。
ああ、なんとなく分かったわ。
ガキがスリをする。
それにはそれなりの理由が存在する筈である。
現地のこいつらにとっては、スリをする子供は孤児だというのが常識なのだろう。
俺も花売りなら漫画で何回か見たことあったからすぐ気付いたんだけどな。
どうりで脅した直後だったのに「なんでスリをした?」と聞いたら黙り込んだ訳だ。
スリの理由なんて貧乏だからに決まっているだろう、と。
ニーナは俺が、そんなガキの生活に思い至ったが為に、誘導尋問であの話に持っていった、とでも思ったのだろう。
俺はそんな善人じゃない。
めっちゃ普通に殺すつもりだった。
質問していたのは単純に、スリという犯罪者はどういう生き物だろうか、という興味があっただけだ。
あの瞬間、俺の右手に掴まれたのは『人間の子供』じゃなく、『実験動物』だった。
殺す前に情報を引き出し、知識という名の今後の糧にしようと思っただけのこと。
でもまあ確かに、あの「なぜスリをしたのか」という質問は、俺もガキの現状に気付いたからこそ出した質問だ。
……しかし、この世界より平和な現実では、貧乏じゃない奴でも娯楽でスリをやるからな。
俺はあのガキが止むに止まれずスリをしたのか、それとも遊び半分にスリをしていたのか、それを確かめる意味であの質問をしたのだ。
決して「貧乏だから」と答えると確信があった訳じゃない。
そして「遊びで」と答えていたなら、確実に殺していただろう。
故にニーナの想像は的外れである。あのガキが生き残ったのは運が良かっただけだ。
「別にそんなつもりじゃなかったぞ。最初はマジで殺すつもりだった。助けてやったのはただの思い付きだ」
「………………」
絶句している。
残念だがお前の師匠はそういうタイプだ。
頭を働かせるのは嫌がらせする時だけだぞ。
「おい、考えてもみろニーナ。あのガキはな、賢者のお前と、よりにもよってこの俺から、スリをしたんだぞ? それが何の罰も受けず無罪放免になったどころか、欲しかったら家も仕事も与えてやると言われたんだ。対価に命ぐらい懸かるだろ」
「……なるほど。それは確かにそうです」
ちょろい。
ニーナは優等生かつ、ちゃんと現実を知っているキャラだ。
物事を正当に評価しようという気があり、その上で頑固な価値観は持っていない。
こういう場合、マイナスとプラスの差を大げさに表現すれば簡単に騙せるのだ。
「そうだニーナ。まず最初に、金貨をもっと大量に換金しておきたいんだが」
「は、はい。金貨の換金ならこちらです」
こうして俺は都市を軽く騒がせた後、やっと自分の買い物を開始できたのだった。