D51重連運転区間の話
当社でも時々運転してるD51重連の話です、D51運用線区と合わせて紹介します。 情報元の信頼性には少々疑問が残りますがご容赦ください。
国鉄の勾配区間では重連または後補機付き運転が各地で行われていました。 電化後はEL1両に運転士2人、更に1人乗務で済んだ区間に機関助手を含め4人乗務で運転してました。
【鉄道P誌1966年12月号より 以下同】
昭和40年代初頭には重連では牽引力不足で、D51三重連運転してる区間が東北本線、奥羽本線、播但線の三ヶ所ありました。 東北本線は昭和43年の盛岡-青森電化で、奥羽本線は昭和46年の秋田-青森電化で解消し、播但線だけが残り多くの撮り鉄マニアを集めました。
昭和41年のD51配置と運転線区の図に、重連・三重連運転区間を重ねた図です。 この図はあくまでD51単一形式の重連・三重連区間を表わしており、他形式本務機でD51補機は重連運転区間として記載されてません。
北海道から部分拡大で見て行きます。 主要線区では釧路以遠の根室本線、北見以遠の石北本線、音威子府以遠の宗谷本線は運用されてません。 逆に深川-留萌間と羽幌線一部で運用されてました。 重連運転は運炭路線に限られており2,400t牽引は夕張辺りの様です。
【狩勝峠 C57特集記事より転載】
C57特集では狩勝峠D51後補機の写真を紹介しました、この表で重連運転区間表示がないのは、D51x2両ではないからの様です。
東北地方は東北本線盛岡まで常磐線平まで電化されてました、D50主役の釜石線でも運用もあった様です。 重連運転区間は三重連の2ヶ所だけ記載されてますが、新庄-院内観雄勝峠越えにもD51補機がありました、本務機がD51以外?、それとも図が不完全???
超有名な奥中山の三重連、青森電化前年の夏に青森発上野行夜行急行(C61牽引)で眠りこけて通過してます、返す返すも残念です。
碇ヶ関で待機するD51補機です。 到着列車は本務機1両、前補機と後補機の三重連?、写真の待機D51は後補機でしょうか。
中部地方では信越本線が長野まで、北陸本線が富山まで電化されてました。 中央東線は電化されてましたが中央西線は未電化、多治見-篠ノ井間が重連運転区間になってます。 未電化の北陸本線富山以東と関西本線が主な職場、加太越えも重連運転区間です。
和歌山-紀伊田辺の紀勢本線と高山本線一部でのD51運用は機関車配置表から裏付け取れるのですが、図で太線運用線区になってる身延線は電化で間違いです。 また長野-直江津間の信越本線も電化前なのにD51運用線区に入ってません、これは明らかに間違いです。
信越本線長野-直江津間はD51運用線区であるだけでなく、重連運転区間でもありました。 全ての情報を正確に図示するのは難しいようです。
木曽谷中津川付近の後補機旅客列車です、後方3両は荷物車に見えます。
春日井は中央西線名古屋近郊で現在は住宅地になってます。 D51運用線区も淳連運転区間の図示もありませんが走ってたのですね。 でもこれが春日井付近とは驚き・・・。
加太越えD51重連は小荷物列車です。 東海道新幹線開業後ですが、関西と北陸方面列車大増発があり、関西-首都圏間の小荷物専用列車を関西本線経由にしたのかもしれません。
中国四国地方のD51運用線区は山陰本線と伯備線、山口線、呉線です。 伯備線は例の三重連ですが豊岡-長門間山陰本線が重連運転区間表記になってるのは解せません。
国鉄時代に四国は継子の様に扱われており、8620とC58で十分と言わんばかりの機関車配置で、D51やC57の本格配備もありませんでした。 また最後の特急が走らない4県でした。
九州のD51運用線区は幹線を除くと運炭路線と肥薩線です。 肥薩線は線路規格上はD51走行不可ですが、運輸大臣承認を受けて乗入れてました。
その肥薩線でのD51本務機/後補機運転です。
東北本線/奥羽本線の三重連運転区間は25‰勾配です。 と言う事は甲府-上諏訪電化前の中央東線でも重連運転があったのでしょうか? 資料が乏しく解りません。
ではまた。
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