新しい世紀の幕が開いた。顧みれば、わが国と中国とは隣国として長い交流の歴史を有しており、特に経済面では、中国の改革・開放以来、両国間の交流が飛躍的に発展して、いまや両国は経済的に高度な相互補完関係にある。
しかしながら、一方で両国の国民の間には互いへの不信感がなお存在することも否めない事実である。それは、歴史認識や安全保障問題など主として政治の領域に属するものであり、しばしば両国間の経済交流の発展を阻害する要因ともなってきた。
日中関係は現在、政治、経済などさまざまな意味で、両国にとって最も重要な2国間関係の一つとなっている。WTO(世界貿易機関)への加盟を目前に控え、中国はグローバル化に伴う多くの課題に直面しつつあるが、中国と経済的に強い結びつきを有するわが国は、かかる課題の解決に積極的に協力し、グローバル化がもたらす果実を可能な限り大きくし、ともに一層の発展を目指す必要がある。そのためには、両国間の経済交流の発展を阻害する要因を取り除き、相互の信頼関係をより一層強固なものとしなければならない。
アジアにおける経済大国である日中両国の関係の良否は、アジアの繁栄と安定にも重大な影響を及ぼしうることから、世紀の節目にあたり、両国国民の信頼を確立し、日中経済交流のさらなる発展を図るために、われわれはこれまでの日中関係をふりかえるとともに、今後の日中経済交流のあり方について提言を行なうものである。
1949年の中華人民共和国成立後、中国は重工業優先の経済発展戦略を採用し国家建設に努めたが、1978年末、改革・開放による市場経済の導入へと大きく路線を転換した。その後20年間のGDPの年平均成長率は9.8%を記録、世界屈指の経済成長を達成した。世界銀行によると、1999年におけるGDPは9,912億米ドルであり、すでに世界第7位の経済規模に発展している。中国政府は、今後も年平均7%の経済成長を維持し、2010年にはGDPを2000年の2倍に増大する旨公表している。
目覚ましい経済発展を続ける中国であるが、一人当たりのGDPでは791米ドル(1999年)にすぎず、世界銀行の定義による低位中所得国への仲間入りをようやく果たしたにすぎない。また、沿海部と内陸部、都市部と農村部の経済格差が大きく、例えば上海市の一人当たり所得は内陸部最下位である貴州省のそれの12倍以上となっている。加えて、汚職・腐敗の蔓延や各種犯罪の増加、失業問題、構造改革の遅れ、砂漠化や黄河の断流に象徴される生態環境の破壊など、抱える問題は少なくない。
アジアの中の中国
1999年の中国の貿易額に占める対アジア貿易の割合は56.6%で、対中直接投資においても香港・マカオ、日本を含めてアジア地域からの投資が全体の8割近くを占めている(1999年末累計)。もともとアジアでは華僑・華人が多く活躍しており、そのネットワークを通じた活動は、経済分野にとどまらず、アジア全域に大きな影響力を及ぼしていることも無視できない。
アジアにおける地域協力の枠組みとしては、経済の分野でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)やAFTA(ASEAN自由貿易地域)などがあるが、いずれもEU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易協定)等に比べ、緩やかな枠組みとなっている。1997年の経済危機の教訓から、アジア諸国は域内における経済協力関係を強化する必要性を痛感しており、APECやASEANプラス3(日本、中国、韓国)等の枠組みがこの地域の主要な討議の場となりつつある。2000年5月のASEANプラス3蔵相会議では、中国も他の国と足並みを揃えた結果、域内の為替安定化のためのいわゆる「チェンマイ・イニシアティブ」(注)が発表された。これは、アジア経済の安定と発展に中国が参画し、自らの役割を担おうとする意思を端的に示したものと評価しうる。
軍事面でも、核保有国である中国はアジアの中で大きな存在となっており、ARF(ASEAN地域フォーラム)等の枠組みを通じた中国の安保対話への参加は、アジア諸国・地域にとって大きな意味を持つ。また中国は、朝鮮半島からロシア極東にわたる北東アジアの安定と経済協力にも強い影響力を有しており、日本、米国、ロシア、中国に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、韓国を含めた6ヵ国による枠組み作りには中国の参画が重要な要素となっている。さらに、視点をアジア・太平洋地域に広げるならば、日本、中国、米国という3ヵ国の関係がとりわけ重要な意味を持つといって過言ではない。
昨今、経済の発展に伴い、アジアでは環境汚染問題が深刻となっている。汚染は一国にとどまらず、地域全体、地球全体に影響を及ぼすものであり、アジアでの環境協力の枠組みが必要とされている。また、経済成長に不可欠なエネルギーの確保、開発といった点でも、今後アジアにおける協力の枠組みが必要かつ有効であると思われる。
(注) 2000年5月6日、タイのチェンマイで開催されたASEANプラス3(日中韓)の蔵相会議において合意。従来のASEAN通貨スワップ協定を全加盟国に拡大するとともに、日本、中国、韓国を協定のネットワークに含めることとなった。短期資本の急激な移動などによる通貨危機の予防と拡大防止のため、IMFによる緊急融資などの国際的な制度を補完する域内の金融支援メカニズムの確立を目指すもの。
世界の中の中国
中国は、1971年に台湾に代わって国連の代表権を得るとともに、安全保障理事会の常任理事国となり、国際政治の場で大きな地位を占めている。また、1980年にはIMF(国際通貨基金)・世界銀行のメンバーとなって国際金融への参加も果たし、中国が念願としてきたWTO(世界貿易機関)への加盟も、日本をはじめとする先進諸国のサポートによりいよいよ間近に迫っている。中国にとってWTO加盟は、国際社会への参画という点で一つの重要な到達点であり、世界とともに歩む中国の姿勢を象徴するできごととなるであろう。
市場経済化の進展や所得水準の向上等を受けて、投資先として、あるいはマーケットとしての中国に世界の注目が集まっている。1998年9月のクリントン米大統領訪中の際には約1,500名の経済人が同行するなど、特に欧米各国は官民一体となって中国との関係拡大を図り、積極的に中国市場の開発に努めている。
中国が国際社会との協調を図るうえで、良好な対米関係を構築することが肝要であろう。米国政府はかつてのように中国に対し「封じ込め政策」(Containment Policy)をとるのでなく、中国を国際社会に積極的に関与させる方針に転換している。米国は中国に対し、グローバルなシステムに参加する前提として、これまで以上に国際的な規範やルールに則って行動する責任と自覚のある国になることを希望している。われわれとしても、これに対する中国の積極的な対応を期待している。
日中間の相互交流と相互依存関係が深まり、日中関係の重要性がますます高まる中で、日本をライバルではなくパートナーであると認識している中国人は決して少なくない。一方、日本人の中にも、古くから高い文明を誇り、日本文化に大きな影響を与え続けた中国に対して憧憬や尊敬の念を持つ人、また戦争中の行為に対する償いとして中国の発展に助力したいという気持ちを持つ人もいる。しかしながら、同時に、両国が隣国であるがゆえに、互いに対して複雑な感情を有している人も少なからず存在することも否定できない。中国における「日本軍国主義」への批判や日本における「中国脅威論」、最近の対中ODA(政府開発援助)に対する批判的論調なども、こうした感情に起因していると言えなくはない。
中国に対する親近感についての総理府の調査によると、天安門事件の起きた1989年以降、中国に対して「親しみを感じる」、「どちらかというと親しみを感じる」と答える日本人の割合は50%前後に下降している。他方、中国人の親日感情については、朝日新聞社が1997年に行なった世論調査によれば、日本が「嫌い」(41%)、「どちらともいえない」(35%)、「好き」(10%)と答えている。
戦前・戦中の日中関係
戦前・戦中の日中関係について、日本政府は先の大戦終了50周年にあたる1995年8月15日、「村山談話」を発表した。その中で、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」としており、われわれもこのような認識に立つものである。日中間に横たわる「歴史問題」は決して過去の問題として片づけるわけにはいかない。日中両国民一人ひとりが向かい合わねばならない問題であり、未来に向けて自らの歴史を真摯に問いただすとともに、相互理解に向けて粘り強い対話が重要であると考える。
戦後の日中関係
第2次世界大戦後の冷戦構造の中で、中国と日本との間には、1972年に至るまで外交関係がなかった。しかし、その間もさまざまな分野における交流が、民間によって担われてきた。
両国を取り巻く困難な政治状況を乗り越えて、1952年に最初の日中民間貿易協定が締結されたが、58年のいわゆる長崎国旗事件によって両国間の貿易は一時全面的に中断した。1962年に半官半民の貿易覚書が締結され、64年からはLT(寥承志氏と高碕達之助氏の頭文字)貿易が開始されて、以後日中間の貿易は急拡大した。
1972年9月、田中首相の訪中により日中国交正常化が果たされ、78年8月には日中平和友好条約が締結された。同年2月には、日中長期貿易協定取決めが調印されている。日中国交正常化を謳った「日中共同声明」と、主権や領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政への相互不干渉、平等・互恵・平和共存の原則のもとでの両国間の恒久的平和友好関係の発展を柱とする「日中平和友好条約」は、現在の日中関係の最も重要な基礎となっている。
ふりかえると、日中関係に携わる人々の熱意と努力が両国の国交正常化を遂げさせ、さらに平和友好条約に結実したといっても過言ではない。
1998年11月の江沢民国家主席来日時に、「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」と33項目の具体的事項に関する「日中両国の21世紀に向けた協力強化に関する共同プレス発表」が合意され、両国が共通の目標に向け、ともに行動を取るための枠組みが具体化した。すでに両国の首脳レベルが毎年交互に相手国を訪問することが約束され、99年7月には小渕首相が訪中した。さらに、2000年10月には朱鎔基首相が来日し、2001年には森首相の訪中が予定されている。
経済面では、2000年の両国間の貿易額は850億ドルを超え、過去最高を記録した。中国から見て日本は8年連続で最大の貿易相手国であり、日本から見ても中国は米国に次ぐ第2の貿易相手国である。日本から中国への直接投資は1990年以降急激に増大し、99年末までの累計は248.8億ドル(実行ベース)で、香港・マカオを除くと米国に次いで日本が第2の投資国・地域となっている。現在、中国で操業している日系企業は2万社といわれ、100万人以上の雇用を産み出し、貿易の拡大やハイテク技術の中国への導入にも貢献している。
対中ODA(政府開発援助)については、日本は1979年度以降、99年度末までに総額145億ドル(支出純額ベース)を供与している。内訳は、いわゆる円借款が約107億ドル、無償資金協力が約8億ドル、技術協力が約29億ドルである。中国にとって日本は最大の援助国であり、他の国を大きく引き離している。他方、日本から見ると、累積金額で中国はインドネシアに次ぐ第2位のODA受け取り国になっている。なお、中国に対するわが国のODA以外の公的借款は、日本輸出入銀行(現:国際協力銀行)によるアンタイド・ローンがおよそ210億ドルである。
日中間の人的交流も年々増加している。法務省統計によれば、中国を訪問した日本人の数は1996年に100万人台に乗り、以後99年まで100万人台を保っている。他方、中国人の新規日本訪問者数(正規入国者のうち再入国者を除く人数、台湾および香港からの訪問者を含む)は、98年には約15万人に達した。2000年9月からは、北京、上海、広東省からの中国人団体観光客に対する観光ビザの発給が解禁され、制限付きながら中国人の観光目的での訪日が可能となった。これにより、将来的に中国人観光客の増大が見込まれる。また、中国からの留学生数は約3万2,000人にのぼり、海外からの留学生数の54%超を占める。友好都市関係も250組以上あり、学術交流も年々増加している。
1978年末の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期3中全会)で改革・開放路線に転換した中国は、政府主導の傾斜生産方式で戦後復興を遂げ、高度成長に導いた日本型産業政策を参考とし、今日の目覚ましい経済発展を達成した。しかしながら、現在の中国政府を支えているテクノクラートは、WTO加盟をも睨みながら急速な市場経済化を進めるとともに、IT分野などでデファクト・スタンダードを構築し、成長を続ける米国経済モデルへの関心を強めている。中国市場では、自動車産業ではフォルクスワーゲンやGMが先行しており、携帯電話ではモトローラ、ノキア、エリクソンが上位を占めている。また、最近は情報関連機器の生産が年率30~40%で成長しており、コンピュータソフト産業も40%の伸びを見せている。
12億人の人口、広大な国土、そして多様な地域を有する大国の経済発展モデルは、現在までのところ世界には存在しない。今後中国は、日本や欧米諸国の例を参考にしつつ、独自のモデルを築いていくことになろう。中国は米国経済モデルに関心を示しつつあり、中国における日本の経済的・技術的なプレゼンスが相対的に低下してきている。こうした変化をわれわれはよく認識し、対中協力のあり方をあらためて考え直す必要がある。
21世紀において日中関係をより良好なものとし、両国間の経済交流を一層発展させるためには、両国国民の相互信頼の確立が不可欠である。先に、政治問題に起因する両国間の不信感について触れたが、かかる不信感を払拭し、相互信頼を確立するために、以下の事柄に積極的に取り組むべきである。
歴史認識
いわゆる「歴史認識」に関する問題は、日中関係に常に影を落としてきた。日本は過去の誤った国策と行為を厳しく反省し、1995年には先に触れた「村山談話」を発表した。現在も大多数の日本人が、過去の歴史を繰り返さない、軍事大国にならないという基本方針を支持している。われわれは、2000年10月の朱鎔基総理訪日時の「中国側は歴史の問題で日本の国民を刺激することはしない。日本側もあの歴史を忘れないということが必要だ」という発言を評価しており、この問題で不規則発言などにより、お互いの感情を傷つけることがないように慎重に対応すべきである。
日中歴史教科書対話
両国国民の間で、歴史に対する認識が異なる大きな理由の一つは、お互いの歴史教育や歴史教科書の違いにあるといえる。双方の認識を完全に一致させることは不可能であるが、共同研究等を通じて互いに事実関係を共有することが望まれる。そのため、日中の歴史専門家同士によるいわゆる「教科書対話」のための環境整備に双方の政府が取り組むことが必要と考える。
台湾問題への対応
台湾については、われわれは「日中共同声明」や「日中平和友好条約」に示されている認識を尊重しており、中国と台湾との関係に関しては基本的に中国の内政問題であると考えている。中台双方は、すでに経済面では強く結びついており、こうした経済面での現状を踏まえ、話し合いを通じて平和的な解決が行なわれることを期待する。
人的交流の促進
日中関係に限らず、国と国とが互いの理解を深めて友好関係を構築するためには、人と人との交流を促進することが最も有効な手段である。両国間の知的交流、文化交流、地域間交流、青少年交流といった多層的な対話や交流が拡大されねばならない。
首脳レベルによる相互訪問はすでに定期化されたが、両国政府間のさまざまな階層でコミュニケーションを密にすることで、相互理解を深化させることが肝要である。さらに、市民交流や地方間(姉妹都市)交流、ビジネスや留学、NGO活動等を通じた民間レベルでの交流も一層活発にする必要がある。例えば、民間企業自らも中国からの研修生受入れなどを通じて、将来の中国を担う若手の人材育成に協力するとともに、日本に対する理解を深めてもらうことも有効であろう。民間の有識者による知的交流も推進すべきである。
経済交流の理念と規範
経済交流に際しての基本理念は、相互理解、相互信頼、平等互恵、長期的視野、地球的視野である。かかる基本理念のもとで、中国との交流を行なう企業、特に現地で事業活動を展開する企業には、経団連が定めている『企業行動憲章』および『地球環境憲章』を遵守して「良き企業市民」となるべく努力し、日中交流を促進していくことを期待する。中国の政府や企業、国民には、日本企業が対中経済協力に真摯に取り組んでいる姿や問題意識を理解してもらいたい。
日中経済交流における問題点と提言
貿易・投資
過去20年にわたる中国の高度経済成長は、改革・開放政策による対外貿易と外国直接投資(外資)の増大に負うところが大きい。WTO加盟を前に、中国は貿易・投資の自由化、グローバル化への対応に努めており、以前に比べて大幅に自由化、透明化されてはいるが、以下の諸点についてなお一層の改善を求めたい。
金 融
中国では、朱鎔基総理のイニシアティブにより、1998年から金融システム改革が進められている。しかしながら、金融機関の健全化と金融の近代化を進め、さらに今後も外資の円滑な流入を維持・拡大するためには、下記の改善が求められる。
インフラ整備と西部大開発
(注) 1960年代に入り、中ソ関係の悪化、ベトナム戦争の拡大などで、中国は核戦争の脅威を自覚するようになった。こうした中、毛沢東は1964年以降、上海など沿海部や、ソ連と国境を接する東北地方の(軍事)工場を四川、貴州、雲南など内陸奥地へ疎開させた。一般に、沿海地域と国境地域を「第一線」、内陸の西南地域を「第三線」、第一線と第三線に挟まれた地域を「第二線」という。
IT革命への対応
中国では、インターネット利用人口がすでに1,690万人に達しているとされており(2000年6月末現在「中国国際経貿消息」による)、2003年には米国に次ぐ第2のインターネット大国になると予想されている。2001年から始まる第10次5ヵ年計画の中でも、IT産業を経済発展の柱にすると位置づけており、通信網の整備や電話普及率の引き上げ、IT製品生産増加率を年25%にするなどの目標を掲げている。ITは従来の社会、経済、政治などのシステムを根本的に変革するものであるため、中国もIT革命への対応にあたっては国際的視野をもって進める必要がある。特に、知的財産権や個人情報の保護問題、ハイテク犯罪への対応、電子商取引のルール整備等、国際的に整合性が必要とされる問題に、中国も積極的に対応すべきである。
また、日本政府も、ITに関する両国間の政策対話のためのミッションを本年度中にも派遣する予定としているが、中国の上記課題解決に協力し、アジアの中でリーダーシップを発揮していかなければならない。
さらに、これに関連して、有能な中国人IT技術者を雇用し、日本において事業を実施しようとする際、中国人IT技術者の日本入国ビザの取得が大きな障害となることが多い。日本政府には、中国人IT技術者に対するビザの優先的発給や発給の迅速化を実現するよう望む。
エネルギー・環境問題への対応
中国は現在もエネルギーの70%弱を石炭でまかなっており、脱石炭方針により利用割合は低下しているものの、依然として重要なエネルギー源となっている。石炭は、炭酸ガスの排出量が天然ガスや石油よりも多いほか、硫黄酸化物、酸性雨、煤塵など多くの悪影響を引き起こす。したがって、石炭の利用に際して、省エネルギーや環境対策を考慮に入れた一層の技術導入が必要となる。
例えば、すでに開始されている選炭、脱硫等のクリーンコール・テクノロジーや流動床ボイラーなど、日本の優れた技術の移転を促進し、技術の普及に努めることが必要である。さらに、世界のトップクラスにある省エネルギー技術や、風力、太陽光、燃料電池などの新エネルギー利用促進等の分野でも、日本の技術が貢献できる分野は多い。
また、中国の環境産業は技術レベル、品質、サービス体制など改善しなければならない点も多く、設計から建設、運転に至る幅広いエンジニアリングの経験が不足している。トータル・エンジニアリング能力を有する企業の育成が必要であり、ISO14001(注)の取得と併せて、制度的な後押しも必要である。
なお、技術移転は民間企業が貢献できる分野であるが、これまで必ずしもスムーズに行なわれてきているとはいえない。許認可、技術移転条例、知的所有権問題など、WTO加盟を機に抜本的な見直しを行ない、日本の優秀な技術や経験を中国内で生かし、中国の産業発展に安心して協力できる環境を整備するよう期待する。
(注) 国際標準化機構(International Organization for Standardization)が定めた「環境管理システム」に関する国際規格。ISO14001の認証取得を行なうことにより、環境問題に対する自主的な取り組みと継続的な改善を進める環境管理システムの構築が担保される。
対中環境植林
1998年夏に長江や松花江で発生した大洪水は、まだ記憶に新しい。中国は、総面積960万平方㎞に対して森林被覆率がわずか14%しかなく(日本は67%)、特に河川の上中流域での土壌流失や中国内陸部での砂漠化が深刻となっている。
1998年8月と11月の江沢民国家主席と今井経団連会長との会談において、経団連が長期的な視点に立って、中国で環境植林を行なうことが合意された。経団連は実際に木を植えるとともに、フォーラムなどを通じて対中植林に対する世論の喚起に努めることにも重点を置いている。現在、2001年春に重慶で植林を行なうべく準備を進めているところである。
将来、中国政府がCDM(クリーン開発メカニズム)、すなわち日本が中国国内で温室効果ガス削減事業を行ない、それにより生じた削減分を日本の排出割当量に加えることができる制度を視野に入れながら、「モデル植林」となることを目指しており、これが日本企業による植林協力の輪につながることを期待している。
対中ODAのあり方
中国の改革・開放路線への転換と歩調を合わせて、1979年度から始まったわが国の対中援助は、インフラ建設への援助を主体とした円借款、教育・医療・環境保護等への協力を主とした無償資金協力や技術協力など、これまでに累計で145億ドル(支出純額ベース)の協力を行なっており、北京の中日友好病院(無償資金協力と技術協力)のように、北京在住の日本人からも高い評価を得ている事例もある。
中国では2001年から第10次5ヵ年計画がスタートし、西部大開発など21世紀における中国の新たな開発戦略が実施に移される。同計画の実施にあたって中国政府は、日本を含めた外国からの資金援助をどう位置づけ、活用するかを検討中だという。他方、日本国内でも、2001年度から対中円借款において単年度供与方式が導入されることもあり、対中経済協力のあり方についてあらためて考えるべき時期にさしかかっている。日本政府は、2000年度中に中国に対する国別援助計画を策定することとしているが、現在、日本国内には対中ODAに対する批判的な意見もあり、こうした意見にどう対応するかが課題となっている。中国への直接投資が増えたことから、対中ODAの必要性が相対的に低下していることは否めないため、今後は中国側のニーズを正確に踏まえた上で、民間資金で対応できない生態環境の保護・回復や教育、人材育成支援などの分野に焦点を絞って、ODAの有効性を高めることが必要と考える。なお、その際、日本のODAに関する日中両国民への適切なPRが行われることを強く期待する。
日中経済交流関連会議のあり方
日中経済交流を充実したものにするため、日本の民間企業と国有・私有を含めた中国企業との間で、自由かつ率直な意見交換ができる場があることが望ましい。また、従来行なわれているトップレベルでの交流に加えて、具体的な協力の方策を詰め、フォローアップを行なうための専門家レベルでの交流の仕組みができることも望まれる。日中関係の経済団体についても、会員企業からは、それぞれの団体の設立当初とは状況や時代背景が大きく変化していることから、効率化を図るべく、整理統合を進めるべきであるとの声もあり、今後の課題といえよう。
これに関連して、巨大で多様な中国の社会現象をカバーできる研究者・研究機関の組織化が不可欠である。官民あげて、その充実を図るべきであると考える。
これまで日中関係は歴史的な経緯もあり、ともすれば特殊な2国間関係と捉えられがちであった。ビジネスにおいても、中国とのビジネスというと社会主義体制、一党独裁体制の国であるがゆえに、ややもすると特別な配慮が必要とされることがあった。
今日、経済のグローバル化が進み、国際協力の必要性が叫ばれている。こうした中、中国はWTO加盟への努力に見られるように、グローバル経済の中に積極的に参画しようとしている。WTO加盟に伴い、中国は国内の法制度やビジネス慣行をグローバル・スタンダードに基づき、透明性のあるものとすることが要請される。まさに厳しい試練であり,チャレンジである。わが国をはじめとする諸国は、中国がスムーズにWTO加盟ができるよう引き続き支援していく必要があろう。それが、世界経済の一層の拡大につながるからである。
地域経済協力の枠組みにおいては、アジアの経済大国として、日本と中国が協力することが地域の安定と発展につながる。その意味で、APECやASEANプラス3、ASEAN地域フォーラムで日中が協力することは、主に東アジアの安定と発展に寄与する。長期的には、南北朝鮮の統一、極東ロシアの動きなども視野に入れつつ、日中は協力して環日本海経済協力など東アジアにおける地域協力や、東アジア地域における自由貿易協定締結の可能性を探っていく必要があろう。
朱鎔基総理は2000年10月の来日の折、経済界との懇談会の席上において、「日本が国際関係と地域活動の中でより大きな、より積極的な役割を果たすのを目にすることを望んでいます」、「中国は地域経済に対する日本の影響と役割を重視し、東アジア協力の枠組みの下で、日本側と協調を強化し、東アジア協力が重点分野で実質的な一歩を踏み出すよう推進し、アジアの発展にしかるべき貢献をすることを望んでいます」と発言し、これまでとは違って、わが国が東アジアでの地域協力でリーダーシップをとることに中国も期待している旨表明した。
日中両国はお互いを2国間の狭い関係のみで捉えるのではなく、より幅広く、アジアや世界の中での日中関係のあり方や協力関係を真剣に模索していかなくてはならない。また、国連やIMF、WTOなど国際機関での活動においては、お互いの活動を牽制しあうのではなく、協力してアジアの声を代弁する時期にきている。日中両国は国際社会での多岐にわたる共同活動を通じて友情を深め、信頼と希望に満ちた21世紀を切り開いていかなければならない。
本提言は、日中の隣人が手を携え、明るい未来の創造に参画できることを期待し、日中間の主要テーマについて真摯に議論を重ねたうえでまとめたものである。日中関係のあり方については、さまざまな思いや考えがあろうし、本提言に漏れているテーマもあろう。
日中関係のあり方を考えることは、これからのわが国産業のあり方や外交のあり方という大命題を考えることにつながる。例えば、前者については、本提言の中では触れていないが、中国の製造業がこのまま成長を維持し、かつ国際競争力を強めれば、わが国の製造業にも大きな影響を与えるであろうし、わが国と東南アジア、中国との間に存する現行の国際分業体制にも重大な変化を及ぼすであろう。こうした変化にどう対応すべきかという点については、今後、真剣に検討する必要があろう。
本提言が21世紀の日中関係のさらなる発展に向けて、また、日中関係を通して21世紀の日本の姿を考えるうえで、議論を深めていくたたき台になれば幸いである。