古川陽明

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古川陽明
@furunomitama
神社本庁正階・教派神道教導職(神職・神道教師)・天照御影講社斎主『古神道祝詞CDブック』amzn.asia/d/blkOWeU 顧問神主として毎日祈祷中。道名は基密。ご連絡はmikagenoya@gmail.comまで
宗教指導者天照御影講社note.mu/koshintonorito2017年11月からTwitterを利用しています

古川陽明さんのツイート

固定されたツイート
明けましておめでとうございます 今年もさらに愚直に祈り続けます 今年の目標は何を言われても「うんうん、そうだね」と返事することです
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保江さんが言っている伯家神道の大巫女様というのは大和本学を小笠原大和から託されて某官幣大社で祝の神事の修行会の神事をなさっていた方ですが、保江さんは自分が大巫女様から伯家神道を継承したというのだけれど、実際はその大巫女様の娘さんが継承し、某官幣大社での修行会を継承していらした
坂田家の禊教以外にも、梅田神明宮でも晩年の中村新子を招いて祝の神事の修行をしていたようだが、現在では行っていないようだ また、晩年の高濱は東京で活動したが、その時の門人が御田八幡宮で祝の神事の修行を戦後くらいまで行っていたようだが、こちらも現在では行っていないようだ
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江戸時代の白川家の門人の神職でも祝の神事は行っていなかったようであり、広く行われるようになったのは、和学教授所よりも大和本学が某官幣大社の神社主催で祝の神事の修行会を行ったからであり、その時は中村新子の養女の安見晴子や新宮幸勝の承認を得て修行会を行っていることは注目したい事実だ
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今の禊教は開祖の井上正鐡が伯家神道の祝の神事を継承したとしているが、それは坂田家系統の禊教だけが昭和50年代以降に言っており事実ではない 井上正鐡は祝の神事は行っていなかったし、坂田家以外の井上の門人は誰も祝の神事を行っていなかったことでも、井上の教えではない事が証明されるようだ
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このままでは伯家神道の伝承が危ぶまれたため、大和本学を創設して、伯家神道のお行を継続して門人を多数育てた 中村新子はあまり門人を育てられず、中村新子没後に門人がほぼ大和本学に移って修行した その中の一員が禊教教祖の坂田安儀であり、大和本学から伯家神道を学び、身曽岐神社を建てた
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大和本学を創設した小笠原大和は京都の松尾神社の神職で、石井鹿之助と神祇官復興運動をしているので、戦前に伯家神道の修行をして三種(免許皆伝)を受けたらしい 伯家の修行の天才で名目上の継承者である中村新子に見込まれていたそうだが、その後不和となったようだ 終戦と共に和学教授所が消滅し
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今、和学教授所を名乗る自称継承者の方々は、中村新子の弟あるいは甥という高濱浩か、弟子の新宮幸勝の弟子だと名乗っているが、高濱浩も新宮幸勝も和学教授所は継承していないし、自称継承者たちも大なり小なり大和本学に関わっていたようなので、直接和学教授所を名乗れるのかは定かではないようだ
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中村新子はまだ十代で父の宮内忠正を亡くし、その後はお行とは離れて四十代までは伯家神道とも離れ普通の主婦として暮らしていたが、片山源栄とたまたま京都で会い、和学教授所を継ぐように説得されて、跡を継いだという 石井鹿之助や小笠原大和は中西・片山時代に修行した門人であったようだ
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白川家→高濱清七郎(以降、和学教授所)→宮内忠正→中西盾雄→片山源栄→中村新子(宮内新子、宮内忠正の娘)というのが和学教授所の系譜で継承され、中村新子の死亡と共に和学教授所は自然消滅している 和学教授所の門人には石井鹿之助(白峯神宮宮司)がいて、その兄弟弟子として小笠原大和がいる
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ちなみにこの免状の書式は、白川家ではなく、白川家の門人であった高濱清七郎が創設した和学教授所出身の小笠原大和が、和学教授所が戦後に消滅した時に、大和本学を創設した時に出した免状の書式 禊教の坂田教祖も他の自称伝承者たちも大和本学で学んだのでその免状の書式を踏襲しているのがわかる
引用ツイート
幣束
@goshuinchou
十種神宝八種相伝 古神道 神祇伯 ここまで見せてくれりゃわかる人はわかるだろう。神祇伯は宮中祭祀を執り行った神祇官の長官で白川伯王家が世襲でこれを名乗ってきたが近代に断絶、門人の流れや教派神道の一部がその行法を断片的に伝えていて現代にそういう神道系宗教となっている。神社神道とは別。 twitter.com/tanuki_08/stat…
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そして、私自身もそれ以降に伯家神道を深く学ぶことになり、毎朝の朝拝で白川流の祝詞や拍手や祭式を拝殿で一人行なうようになった 社家や他の神職は朝拝をしなかったのもあり、一人で思うように神様と向き合えたのは神職ならではの喜びだった 神様か眷属の要請で、拝殿にて時に経文や真言の読誦もした
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その神社の社家は吉田家からの免状であったが、江戸時代末期に社家が平田篤胤に入門し、平田門の推挙で白川家に入門したという流れがあり、神社には吉田神道の免状や伝書と、伯家神道の免状や伝書があったが、私以外は興味もなく、私が全て読み解いて復興したが、神社として公式に行うことはなかった
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その神社に奉職する際に面接で行った時に、これは良き稲荷だなと思う末社があって白川神祇伯の神額があり、ああここに呼ばれたのかと思ったことがあった そもそもその神社を紹介してくれたのも別の稲荷神社の女性神職であったし 私の経済面は御影稲荷に丸投げしているので、稲荷が働くことが多い
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トンデモ話 神職として毎朝、神社の末社などをお世話していると眷属と思われるモノが様々に語りかけてくることがある 通常の祭祀だけでなく、明治以前は仏教の天部であったモノは経典の読誦や真言読誦などを求めてくることもあった 忙しいので後でと断ることも多かったが、時に読誦すると喜ばれた
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返信先: さん
ありがとうございます。 疱瘡神・塔という発想はありませんでした 資料を漁ると日本の石仏という本に佐倉市内の疱瘡神塔の現況という表が載っており 畔田の春日神社に疱瘡神宮の石祠があるそうです もしかして深読みで正解かも知れません
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返信先: さん
この石宮がどこの神社の管轄だったかとか、民間で作ったものかとかで、事情も変わっていきますね 菊紋も神社の管轄だったらそこの神紋か菊を許された神社ならば末社や石宮でも紋を入れることはありますし 疱瘡神宮であれば珍しいので非常に勉強になります
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返信先: さん
はい、こういうのをわかっているかどうかで、霊験を出せるかが変わると思います 土用のおまじない始めました 気合が入りまくった灰と符でした ありがとうございます
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「疱瘡・神宮」じゃなくて「疱瘡神・宮」じゃないかなと思いつつ 疱瘡神は天然痘を神として祀り、ご機嫌を取って祀って天然痘にならないようにご機嫌を取るという意味で神宮の称号を与えたとも深読みできるけどまあ、疱瘡神・宮かな
引用ツイート
kinoe
@kinoe80398120
疱瘡神宮・・。 マジか、と思った #千葉県香取市
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