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中村新子はまだ十代で父の宮内忠正を亡くし、その後はお行とは離れて四十代までは伯家神道とも離れ普通の主婦として暮らしていたが、片山源栄とたまたま京都で会い、和学教授所を継ぐように説得されて、跡を継いだという
石井鹿之助や小笠原大和は中西・片山時代に修行した門人であったようだ
今、和学教授所を名乗る自称継承者の方々は、中村新子の弟あるいは甥という高濱浩か、弟子の新宮幸勝の弟子だと名乗っているが、高濱浩も新宮幸勝も和学教授所は継承していないし、自称継承者たちも大なり小なり大和本学に関わっていたようなので、直接和学教授所を名乗れるのかは定かではないようだ
大和本学を創設した小笠原大和は京都の松尾神社の神職で、石井鹿之助と神祇官復興運動をしているので、戦前に伯家神道の修行をして三種(免許皆伝)を受けたらしい
伯家の修行の天才で名目上の継承者である中村新子に見込まれていたそうだが、その後不和となったようだ
終戦と共に和学教授所が消滅し
このままでは伯家神道の伝承が危ぶまれたため、大和本学を創設して、伯家神道のお行を継続して門人を多数育てた
中村新子はあまり門人を育てられず、中村新子没後に門人がほぼ大和本学に移って修行した
その中の一員が禊教教祖の坂田安儀であり、大和本学から伯家神道を学び、身曽岐神社を建てた
今の禊教は開祖の井上正鐡が伯家神道の祝の神事を継承したとしているが、それは坂田家系統の禊教だけが昭和50年代以降に言っており事実ではない
井上正鐡は祝の神事は行っていなかったし、坂田家以外の井上の門人は誰も祝の神事を行っていなかったことでも、井上の教えではない事が証明されるようだ
江戸時代の白川家の門人の神職でも祝の神事は行っていなかったようであり、広く行われるようになったのは、和学教授所よりも大和本学が某官幣大社の神社主催で祝の神事の修行会を行ったからであり、その時は中村新子の養女の安見晴子や新宮幸勝の承認を得て修行会を行っていることは注目したい事実だ
坂田の禊教が昭和に祝の神事を取り入れた事実については、荻原稔氏の論文や著作に書かれている
kokugakuin.ac.jp/assets/uploads
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