プロフィール
前 川 和 治
1977年(昭和52年)生まれ
A型 やぎ座
好 き な 番 組 : のど自慢 ・ 探偵!ナイトスクープ!
好きな食べ物 : おにぎり ・ のり
趣 味 : ボクシング ・ マラソン
特 技 : 地理(地理検定に合格しました)
尊 敬 す る 人 : 坂本龍馬・両親
好 き な 言 葉 : 正々堂々・困ったときはお互いさま
略 歴
1977年
大晦日、敦賀市沓見で生まれ
沓見小学校
松陵中学校
敦賀工業高等学校 建築科
卒業後、
京都建築大学校 建築科へ進学。
中型バイクの免許を取得し、学生生活を楽しむ。
後に、
大型免許、大型特殊免許、車両系建設機械運転者も取得。
『米づくり、ビオトープづくり、現場工事、除雪やってます!』
後に、
慶応義塾大学 法学部に進学。
通信課程にて、主に政治学・経済学・フランス語を学ぶ。
『ドイツ語も勉強中です!』
1998年
中央興産株式会社(大阪)に就職し、サラリーマンとして社会人スタート。
営業課に配属され、リゾートマンションの販売を担当。
1年目は鳴かず飛ばずだったが、2年目には年間最多販売を記録し『最優秀営業マン』として表彰される。
実績が認められ、東京に転勤し関東周辺のリゾートマンション販売も担当。
リゾートマンションは、軽井沢・那須塩原・伊豆・川奈・伊勢志摩などのリゾート地にあるため、移動は主に飛行機移動。1週間に1回は飛行機に乗る出張生活でマイルをせっせと貯めていた。
休みは月に1回程度しか取れなかったが仕事は楽しく充実していた。
会社には、毎日満員バス、満員電車で通う日々も良き思い出。
・営業のスキルを学んだ。
2001年
一念発起し、滋賀県長浜市にてソフトクリーム店を出店し起業する。
実業家として経営を学ぶ同時に、黒壁スクエア商店街のまちづくりを肌で学んだ。
長浜では、歌舞伎にも挑戦し女方で舞台に立ったことは良き思い出。
・起業のノウハウと、まちづくりを学んだ。
2004年
再度、サラリーマンとして旅行会社に勤務。
日本中、世界中の観光地をツアーコンダクターとしてまわった。
47都道府県はすべて行き、世界は30か国以上行った。
福井県内、石川県内の小中学校の修学旅行も担当し、思い出の1ページをお手伝いできたことが宝物。
・世界中の観光政策を学んだ。
2005年
旅行会社で働きながら、夜は「市議会議員と話そう!」を主催。
税金の使い道を正そうと、市民と議員の語る場をつくった。
当時の市議10名に「敦賀市の税金の使い方はもったいない!」と追及するが、税金の使い方は改められることはなかった。
これでは税金の使い方が変わらないと考え、市議会議員に立候補する決意を固めていった。
2007年4月
敦賀市議会議員選挙に立候補!
29歳、普通のサラリーマンで友人も少なく、地域活動もほぼゼロ、PTAなどの役職もなし(つまり肩書ゼロ)
‘‘びっくりするぐらい絶対に政治の世界には向かない普通の感じの会社員・サラリーマン(当時)‘‘
自己資金70万円。(コツコツと貯めた貯金)
いわゆる、地盤(支持基盤なし)・看板(知名度ゼロ)・鞄(お金ない)なし状態。
あるのは、情熱だけ。
『もったいない!』税金の使い道を変える!ことを街頭演説と選挙で訴えた。
選挙資金は、供託金に30万、選挙カー関係に20万、政策リーフレット作成に10万、選挙期間中の経費に10万、合計70万円
政策リーフレットは、友人の会社のカラーコピーを使用させてもらい安く作成できるよう工夫した。
※敦賀市は、選挙ポスター代、選挙カーのレンタカー代、選挙カー運転手代は公費負担あり。
議員としての経歴と活動
2007年
敦賀市議会議員1期目
敦賀市議会議員選挙に立候補し、トップ当選(1797票)
・同時期に当選した、渕上隆信氏(現在、敦賀市長)と2人で会派「愛敦会」を結成。
・敦賀市議会初の組み替え動議や、修正動議の手法を駆使し、 敦賀市の予算の使い方を徹底的に改めた。
・敦賀市議会基本条例の素案づくりも担当し、議会基本条例を制定。
・議員の立場から、「市議会議員と話そう!」を主催し、市民の声を市政に反映。
・小学校、中学校、高校で「議員の仕事って?」をテーマに講師として授業の一コマを受け持つ。
2010年10月 ふくい若手議員の会を結成。
党派・地域関係なく、福井県内の若手議員一人一人に声を掛け『ふくい若手議員の会』を結成。
福井県内各地で「若手議員と語ろう会」を開催し、 住民みなさんの声を政治に反映させる仕組みづくりを行った。
当時は、議会報告会をしている市町議会はなく、若手議員で率先し「語ろう会」を県内各地で行うことで、議会報告会を開催する市町議会が増加した。
ふくい若手議員の会の取り組みが評価され、創設から4年後には新聞の論説に。
また、テレビ報道番組に出演するなど注目を集めている。
ふくい若手議員の会 初代会長・創設者
2011年
敦賀市議会議員2期目
敦賀市議会議員 2期目(1942票)
得票数を145票伸ばし当選。
2014年7月 地方自治学習会を創設。
全国の自治体議員との情報交換の場、学びの場として、セミナーを多数開催。
これまで述べ1000人以上の県議・市議・町議がセミナーに参加。
全国の市長、町長、議員と連携し、政府機関の地方移転に関する提言。
地方自治学習会・創設者
2015年
敦賀市議会議員3期目
敦賀市議会議員 3期目(1373票)
慶応義塾大学 法学部に入学。通信課程・オンラインにて政策を学び、市政に反映する。
昼は議員活動、夜は大学生として、二足の草鞋を履いて政策づくりと勉学に励む。
政策づくりとして「ふるさと納税」をテーマに論文を書く。
ふるさと納税の展望について考察し、敦賀市に対して、ふるさと納税に力を入れて取り組むよう議会でも提言。
2017年 4月 最優秀政策賞 受賞
地方議員が政策を発表し評価するプレゼンテーション大会において最優秀賞(1位)を受賞
2年連続で、マニフェスト大賞コミュニケーション戦略賞ノミネート受賞。
2017年 第12回マニフェスト大賞コミュニケーション戦略賞ノミネート受賞
市民参加型の「みんなde議会」(「市議会議員と話そう」からネーミング変更)が評価され、マニフェスト大賞ノミネート受賞。
(応募総数 2,597件中108件)
2018年 第13回マニフェスト大賞コミュニケーション戦略賞ノミネート受賞
市民参加型の「みんなde議会」が評価され、マニフェスト大賞ノミネート受賞。
(応募総数 2,242件中109件)
2019年
敦賀市議会議員4期目
2020年4月 嶺南未来構想会議 創設
嶺南地域の将来都市像を考える「嶺南未来構想会議」を創設。
嶺南6市町の議員が、嶺南全域の将来都市像を話し合い嶺南全体で行う政策を思案中。
2020年10月 沓見ビオトープの発展
友人と近所の子どもたちと一緒につくったビオトープの生物多様性が評価され、公共事業の一環としてビオトープを保存する動きとなった。
自分たちでつくったビオトープが公共事業の一環として発展し自然環境を未来永劫残せることは嬉しいの一言。
2020年11月 マニフェスト大賞 W受賞
2020年 第15回マニフェスト大賞 優秀コミュニケーション戦略賞 受賞
市民参加型の「みんなde議会」が評価され、マニフェスト大賞優秀コミュニケーション戦略賞を受賞。
(応募総数:過去最多 2,842件中35件)
マニフェスト大賞プレゼンテーション賞 第1位。
発表と内容の両方が評価されてマニフェスト大賞ダブル受賞となった
『現在、取り組んでいること』
子ども、孫に囲まれ楽しく安心して暮らせる敦賀市を目指しています。
最新マニフェストは下記をご覧ください。
政治を志した理由。
~初心忘れることなく~
私は、敦賀市の沓見小学校、松陵中学校、敦賀工業高校建築科を卒業後、京都建築大学校 に進学しました。 卒業後は、大阪の会社に就職。朝6時半に家を出て、終電で帰宅する日々でした。 当時は、仕事に明け暮れ、税金は給料から天引きされていたため、「自分がいくら税金を納めて いるのか?」すら知りませんでした。
26歳の時に転機が訪れ、敦賀にUターン就職。 ふるさと敦賀はいつの間にか、大きな箱物や、オブジェができていました。 ふと、「誰のお金(税金)で箱物やオブジェを建てたのか?」 お金の出どころを考えたとき、沸々と怒りが湧いてきました。
一市民として、自分が納めた税金の使い道を正そうと、「市議会議員と話そう会」を企画・主催し、 当時の議員と市民との語り合いの場を設けました。 参加いただいた議員は延べ10名でしたが、残念ながら誰一人、自分が納得のいく税金の使い方 をしてくれそうな議員はいませんでした。 誰かに任せるよりも、自分の力で税金の使い道を正そうと心に決め、「もったいないをなくす!」 を公約に掲げ、29歳の時に市議会議員選挙に立候補し、トップ当選を果たしました。
現在、敦賀市議会議員4期目ですが、初心を忘れることなく、26歳当時から開催していた「市議会議員と話そう会!」の進化形として、税金の使い道をみんなで考える市民参加型の「みんなde議会」を 3ヶ月に1度のペースで議会前に開催し、市民の声が議会に届く仕組みづくりを継続しています。 一人ひとりの市民の声が税金の使い道を正していくことを実感しています。
これからも初心を忘れることなく、少しでも敦賀市が良くなるよう頑張ります。