52.6%が読書すらしない…世界一学ばない国・日本の「1兆円リスキリング支援」が失敗すると言える3大理由
プレジデントオンライン / 2023年1月14日 11時15分
■いまなぜ「リスキリング」なのか
時代の変化が激しくなる中で、働く個人も学び、変化し続けることが求められています。「学び直し」「リカレント教育」など、これまでも生涯にわたる学習の重要性は長らく叫ばれてきましたが、2022年、それらに代わって社会人の学び領域の一大キーワードに躍り出たのが「リスキリング」です。
この言葉が注目されるようになったきっかけは2018年、世界経済フォーラムの総会、通称ダボス会議で提唱された「リスキル革命」ですが、遅れること数年、日本でもブームがやってきました。22年10月には、岸田首相の所信表明演説において、5年間で1兆円をリスキリングの支援に投じることを表明し、大きな話題になりました。Googleの検索トレンドでも検索が跳ね上がり、経営や人事業界だけではなく、世間的にも耳目が集まることになりました。
その背景の1つは「DX」(デジタル・トランスフォーメーション)の潮流です。デジタルを活用したビジネス・モデルの転換を意味する「DX」は、2010年代中盤からすでにバズワード化していましたが、2020年からの新型コロナウイルスの猛威によって一気に不可逆的な流れとなりました。この分野における日本の遅れが一気に危機感をもって認識され、企業では、旧来のIT部門とは異なる「DX推進部」が矢継ぎ早に作られました。リスキリングが、以前からある「リカレント教育」や「生涯学習」といった言葉よりも、「デジタル」や「ジョブチェンジ」と結び付けられることが多いことも、技術進歩とビジネス・モデルの変革によって既存の職業が大きく影響されていくという前提があります。
ここに、経営に大きな影響を与えるもう一つの世界的な流れが加わります。「人的資本経営」の潮流です。「人的資本」とは、個人が持っている知識やスキル・能力や資質などを、付加価値を生み出すための資本とみなすコンセプトで、もともと経済学における基本概念です。今、企業の「人的資本」を重要視し、その領域への投資を企業の外へと開示していくことが求められ、多くの企業の経営課題として浮上しています。
■学ばない日本人は変わるのか
よく知られていることですが、日本は先進国の中でもGDPにおける人材投資の規模が極めて低い国です。企業の人材投資額は、バブル崩壊後に大きく下がり、そのまま低水準で推移しています。国際比較を見ても、極端に低い傾向にあります。
人的投資も個人の学び続ける習慣も極めて弱く、パーソル総合研究所の調査でも、社外学習・自己啓発「何も行っていない」人の割合は断トツの1位、52.6%のビジネスパーソンが読書すらしていない実態が明らかになっています。
経済成長の鈍化が続く日本が環境変化にこれ以上取り残されないためにも、リスキリングは「社会課題」そのものです。これまで有識者たちが繰り返してきたような働く個人への「お説教」や「啓蒙」程度では、この現実は動きません。リスキリングを推進する企業や政府といったプレーヤーがどのような施策を打っていくかによって、この「ブーム」の行く末は決まるはずです。
■従来の「工場モデル」の発想ではうまくいかない
では、官民合わせた大合唱となっているこのリスキリングの潮流により、日本経済は再生するのでしょうか。現状を見る限り、その行く末は残念ながら暗いと筆者は考えています。日本の社会人領域の学びの推進には、かねて指摘されてきた困難がいくつも存在しますが、今のリスキリングをとりまいている議論と実践は、その課題を解決するような水準にないからです。
リスキリングについての政策議論、有識者の議論、企業で交わされる言説の内容を眺めていると、各所で行われている「リスキリング」をとりまく議論は、ずいぶん昔から聞いたことのある言葉のオンパレードです。
「リスキリングを進めるには、まずこれから不足するスキルや仕事を明確にすることが必要だ」
「未来のスキルのニーズと既存従業員のスキルと照らし合わせ、そのギャップを埋めていくべきだ」
「企業が求める人材像を、これからの経営戦略・人材ポリシーに沿って明確に描くことが求められる」
ほとんどの発想は、「未来に必要なスキルを明確化し」→「そのスキルを新たに身に付けて」→「ジョブ(ポスト)とマッチングする」という線的なモデルを前提にしています。これはリスキリングの「工場モデル」と呼べる発想です。
このような論理の運びは、何十年も前から繰り返されてきたものです。人材育成・人材開発についての学術的な研究は、わが国でも多くの知見が積み重ねられてきましたが、「リスキリング」の一般的議論は、まるで先祖返りしているかのような単純さが目立ちます。だからこそ、ベテランの人事や研究者と話すと、現在のリスキリング・ブームを「学び」の新しい売り文句程度として冷ややかに見ている人も少なくありません。
いまのリスキリング・ブームを単なるブームに終わらせないためには、なによりもこの「工場モデル」を乗り越えなければいけません。そこで、ここでは具体的に工場モデル発想の欠点を三つ挙げておきましょう。
■工場モデルの欠点①――「スキル明確化」の困難
最初に、工場モデルの欠点は、「必要なスキルを明確化」することをリスキリングのスタートに置く点です。
すでに述べたとおり、現在のリスキリングは、「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」というさらに広義なバズワードと紐づいています。工場モデルの発想とこのDXという経営課題が結び付くと、「リスキリングのためにはまずはDX戦略を明確化し」、「DXに必要な人材の像や必要なスキルを明確化することが必要だ」という議論がまことしやかに語られることになります。
しかし、この「スキルニーズの明確化」をスタートに置く時点で、リスキリングの議論は現実味の無い、「教科書的なきれいごと」へと墜ちていきます。
チャールズ・A・オライリーらによる『両利きの経営』論を持ち出す必要もなく、不確定要素に対する「探索」的な経営行動であるDXについて、スキルや能力の「正確な鋳型」が作れるはずはありません。各社のDXが非連続的で革新的なものであろうとすればするほど、「どんなスキルが、どんな規模で、いつ必要になるか」は、ほとんどの企業において「神のみぞ知る」領域です。
この「スキル明確化」論が現実的でないもう一つの理由は、マーケットにおけるスキル需要の変化速度に適応できない発想だからです。リスキリングにおいて各社がこぞって学ばせようとしているデジタルの領域のスキルこそが、技術的なアップデートが極めて速い領域です。「スキル明確化」は、リスキリングのプロジェクトをスタートさせるための目標調整といった「内に閉じた」機能は持ちますが、結局正しいかわからない作業に思考とリソースを割くのは、非本質的です。
■工場モデルの欠点②――学びの偏在性
第二に、工場モデルは、「学ぶ人しか学ばない」という学びの偏在性を解決できません。
「必要なスキル」をどれほど正確に示されたとしても、それだけで個人の学びへのモチベーションが上昇するわけではありません。学校が「目指す生徒像」と「一週間の授業表」を精緻に作り、教室の壁紙に貼っておきさえすれば生徒のやる気が引き出せると考える教師などおそらくいませんが、なぜかリスキリングの話になるとそうした論法が蔓延(はびこ)ります。
先ほど見た通り、国際的には「勤勉」のイメージで知られる日本人は、社会人になったとたん国際的にも圧倒的に「学ばない国民」となります。ビジネスの現場では、組織の中の人材の割合を示す時に、「2:6:2」という言葉がよく用いられます。組織には意欲的に働く優秀層が20%いて、普通に働く層が60%いて、意欲やパフォーマンスの低い層が20%いることを示す言葉です。その中で、学ぶのは常に「上の2割」だけであり、「残りの8割」が学んでくれない。リスキリング課題の多くは、この問題に集約されます。
これこそが「学びの貧困国」である日本においての最大の課題とも言っていいのですが、スキル明確化を出発点にし、個へのスキル注入に重点を置く「工場モデル」は、この問題を全くカバーできません。
■工場モデルの欠点③――スキルの「獲得」と「発揮」の等値
工場モデルの欠点の三つ目は、スキルの「獲得」と「発揮」を等値してしまっている点です。
ヒト・モノ・カネという古典的な三つの経営資源の中で、最も「伸縮性」が高いのがヒトという資源です。機械やロボットと違って、人は、置かれた環境によって発揮できる能力やスキルの幅を大きく増減させます。
例えば、スーパーエンジニアや新規事業開発の玄人など、「その領域のプロフェッショナル」として鳴り物入りで入社した人材が、転職先の企業で全く機能せずに辞めていってしまう事例など、枚挙にいとまがありません。
工場モデルの問題は、スキルの「獲得」と「発揮」という本来最も重要なプロセスへのパースペクティブ(将来の見通し、展望)があまりに素朴すぎるという点です。集中講座や研修やトレーニングで短期的にテクノロジーの「記憶」や「知識」を詰め込んでも、その「発揮」まではずいぶんと距離があります。リスキリングや学び直しは、具体的な仕事の現場で、変化を起こさなければ何の意味もありません。しかし、工場モデルはこのことを十分に検討できていません。
■リスキリングに必要な三つの仕組み
さて、この「工場モデル」の限界を乗り越えるために、筆者はリスキリングに必要な「仕組み」を三つにまとめて提示しています。詳細はこれからの連載に譲りますが、少なくとも、リスキリングには単なる研修訓練の提供を超えた、スキルを活かすための「変化創出の仕組み」、「学びのコミュニティ化の仕組み」、キャリアについての「意思の創発の仕組み」の三つが必要です。これまで低すぎた研修訓練や人材開発費の増加はもちろんのこと、こうした仕組みを企業やリスキリング推進プロジェクトにビルトインしていく必要があります。
変化創出の仕組みとしては、例えば、目標管理制度の適正化や挑戦を促していくための工夫が必要です。いまや多くの職場で形骸化しきっている目標管理制度(MBO)を放置したまま、いくら研修場だけでトレーニングをしても、実際の行動変化は訪れません。
また、学びへの動機付けを個人に任せず、「学びのコミュニティ化」の仕組みを立ち上げることも必要です。いまブームになっている「人的資本」が人と人の信頼のネットワークである「社会関係資本」に支えられていることは多くの研究が示してきたことですし、日本という国は、なによりこの社会関係資本こそが欠如しています。この意味で、近年また一部の企業で動きが見られるコーポレート・ユニバーシティ(企業内大学)の動向は、注目に値します。
キャリアの「意思」を創発する仕組みとしては、企業の内部の人材流動性の質を変える、対話を通じた社内のジョブ・マッチングの仕組みが必要です。これまで日本企業では、社内公募や社内兼務のようなマッチング制度だけが導入されてきました。しかし、従業員が肝心の「意思」を持たないために、公募に手を上げる人が毎年わずか5%未満という企業ばかりです。また、ビジネスを遂行している事業部の側も、公募案件を出すことに消極的であり続けています。
このことは、企業がキャリア・カウンセリングや対話機会のような人を通じた個人の「意思の創発」に十分なリソースを割いてこなかったからです。世界的にみても自己肯定感が低く、学ぶ意欲も低く、エンゲージメントも低いとされる日本人にとって、キャリアへの意思は勝手に生まれてくるものではありません。ましてや、工場モデルの「スキル明確化」程度では、そうしたキャリアへの意思は調達できません。教室の前に貼ってあるカリキュラムをいくら見ても、希望する進路は決まらないのと同じです。
リスキリングがブームになるにしたがって、これからも世間には「こうしたスキルが儲かる」「こうしたスキルを学ぶべきだ」といった情報が氾濫するでしょう。各メディアや行政も含めて、まるでファミレスのようにバリエーション豊かな「スキルのメニュー・リスト作り」ばかりを行います。学ぼうとする個人も、そうした学びのメニューに短期的に飛びつくかもしれません。
しかし、そうした風景は、これまで幾度となく見てきた風景です。表面的な情報をいくら提供しても、リスキリングはごくごく一部の人にしか浸透しません。そこには、「キャリアへの意思」や、「学びへの動機づけ」や、「変化創出への誘因」を生み出すような要素が全くもって欠如しているからです。リスキリングを本気で社会課題として引き受けるために必要なのは、そうしたものを生む機能を持った仕組みの検討と実践です。
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パーソル総合研究所上席主任研究員
上智大学大学院総合人間科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。NHK放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年パーソル総合研究所入社。労働・組織・雇用に関する多様なテーマの調査・研究を行う。専門分野は人的資源管理論・理論社会学。『働くみんなの必修講義 転職学 人生が豊かになる科学的なキャリア行動とは』(KADOKAWA)、『残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?』(光文社)、『会社人生を後悔しない40代からの仕事術』(ダイヤモンド社)など共著書多数。
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(パーソル総合研究所上席主任研究員 小林 祐児)
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