418話 社会常識と非常識
「義兄上、お久しぶり、というほどでもありませんが、お邪魔します」
「ようこそ。いつでも歓迎するよペイス。何なら、もっと頻繁に来てくれていいからね」
ハースキヴィ家のお屋敷のエントランス。
義理の兄弟として挨拶を交わすハースキヴィ準男爵家当主ハンスと、モルテールン家次期領主ペイス。
普段であれば二人の間には親密な雰囲気が流れているのだが、今日は若干緊張感が漂っている。
他ならぬハンスが、ペイスに連絡をしてきてもらったからだ。
忙しいペイスを呼びつけておいて、普通の用事という訳にはいかない。
「立ち話もなんだ、お茶でも用意させようか」
「お気遣いありがとうございます。お茶は最高級品でお願いします」
「ははは、相変わらず遠慮がない。普通はお構いなくとでもいうんじゃないかな?」
「構って貰いたくて来てますので」
あははとお互いに笑いながら、応接室に移動する。
応接室には、見慣れた女性が待っていた。
「ペイス、いらっしゃい」
「ビビ姉様、お邪魔します」
「いつでも来てくれていいのよ」
「ははは、ビビ。それはさっき私も言ったよ」
ハースキヴィ夫妻に勧められて、椅子に座るペイス。
「最高級品をご所望だったから、とっておきのお茶を用意した。我が家で用意できる、最高のお茶だよ?」
「これは……モルテールン産の豆茶ですか!?」
「その通り。やはり慣れ親しんだものはすぐにわかるかな」
「これが最高級品と言われてしまうと、何も言えませんね。義兄上に一本取られましたか」
「天下の神童からの一本というなら、家宝にするべきかな」
最高級のお茶をとペイスが冗談めかして要求したことに対して、最高級のお茶だとモルテールン産のお茶を出す。
実にウィットに富んだ挨拶である。
ハースキヴィ家のハンスもペイスの扱いに慣れてきたということだろうか。或いは、ビビの入れ知恵だろうか。
どちらにせよ、義兄弟の家の当主が頼もしく成長しているというのならペイスにとっては喜ばしいことである。
「それで、今日の御用事は?」
「……薄々察しは付いていると思うが」
「コローナ嬢のことですね」
「ああ。彼女の結婚相手について。改めて色々と各所に相談してみた」
「いかがでした?」
ペイスの問いに、ハンスは渋い顔をした。
そもそもコローナ=ミル=ハースキヴィという女性は、結婚をさせようと周りが動いて大失敗してしまった過去が有る。結婚する予定だった相手の男を公衆の面前で無様なまでに叩きのめしてしまい、自分より弱い男とは結婚したくないと言い放った剛の者。
今でこそモルテールンに馴染んで多少は柔軟な思考も出来るようになってきたが、それでも生来の生真面目さや無骨さが無くなった訳では無い。
良妻賢母を是とする神王国の価値観からすれば、大分結婚相手としては点数が低くつけられてしまう女性だ。
時代が違えばモテていただろうモデル体型の高身長美人なのだが、神王国の美人評ではあまり好まれない。少なくとも結婚相手として選ばれにくい性格と気質なのは、ハンスも承知するところ。
加えて、既に二十歳を越えている。この世界であれば、結婚適齢期を過ぎてしまっている年齢。薹が立っていると俗に言われてしまう年である。
貴族社会において結婚というのは、家の存続、子孫繁栄を目的に行う。子供が居ない家は非常に不安定となってしまうことから、結婚したなら子作りが必須で求められる。夫婦で子供を作ろうとするなら、当然男女どちらも若い方が結婚相手として好まれる。適齢期を過ぎていればだが。
若い方がより子供を産むチャンスは多いと考えられるし、健康な子供が生まれやすいと信じられてもいる。
年嵩の、暴力的な、夫にも逆らう、家格も低い女性。
更に過去に失敗している前科が有るとなれば、どうしても色眼鏡で見られるし、厳しい査定をされてしまう。
「一件だけ。当人同士を会わせてみてから考えたいという返事を貰えた」
「ふむ、お見合いですね」
ただ、ハンスがペイスを呼んだのは、それでも本人を見てから決めていいというなら、会ってもいいと言ってくれる相手が居たからだ。
最近話題のモルテールン家の親戚であり、領地替えの噂も有るハースキヴィ家の親戚の娘というならば、という打算の上にも打算の政略結婚であるが、結婚は結婚。
政略結婚して幸せになった夫婦などというのは幾らでもいるので、形に拘るよりも相手との相性に拘った方が良いと、ハンスはペイスに相談する。
「この話がうまく纏まってくれればと。ご協力願えようか」
「勿論です。当家にとっても意味のある事。是非とも協力しましょう」
ペイスは、最善を尽くすと約束した。
◇◇◇◇◇
「本日はお日柄も良く」
王都の最高級レストランの一室。
王族や高位貴族が利用する場所を、どういうコネで用意したのか。ペイスが最善を尽くすと言った通り、手配に関しては完璧に整えられたお見合いの場。
「ハースキヴィ家と御家の御縁を取り持てるのは当家としても光栄なことでございまして、この場をお借りして篤くお礼申し上げます」
場を取り仕切るのはペイス。
女性側の立会人として、付き添っている。
「では折角ですので食事をお楽しみいただきつつ、ご歓談の時間とさせていただきます」
コローナは、ハースキヴィ家に代々伝わる家伝の宝飾品を身に着け、白を基調とした清楚なドレスで着飾っている。
勿論、化粧はモルテールン家も協力した上で専門家を雇って施したし、髪型も流行りを取り入れつつ小顔に見えるようにセットされていた。
何処から見ても完璧な良家の子女。先ほどから口数も少なく、黙ってじっとしていれば深窓の令嬢に見えなくもない。
食事を挟みながら、両家の探り合いはコアな部分まで及んだ。
相手方はコローナの悪い噂は本当なのかなども突っ込んで聞いて来たし、ハースキヴィ側も何故コローナを選んだのかという事情まで聞いた。
どちらも打算が含まれるものの、お見合い相手そのものは朴訥な青年といった雰囲気。
純朴そうな、何処にでもいる青年とペイスは評した。
体型と言えば中肉中背。鍛えられている訳では無さそうだが、かといって目立つほど太っている訳でもない。背も高いとは言えないが、低すぎるということも無い。男前とは言えそうにも無いが、かといって醜男という訳でもない。丸顔であり、顔つきや雰囲気からは怜悧さや英邁さは見て取れないが、受け答えを無難にこなす程度には常識と良識もありそうだ。
「一つお聞きしても良いでしょうか」
「勿論です。何でもどうぞ」
歓談も終わりそうになったころ。
相手の男から、質問が飛んだ。
コローナは口数少なく黙っているので、ペイスが代わりに応答した。
「“コローナ嬢“は、もし結婚して子供が出来ても、仕事を続けるつもりでしょうか」
「……コローナ、どうですか?」
「そうしたいと思います」
「なるほど、そうですか」
相手方の男が、一瞬だけ表情を曇らせる。
だが、それは本当に一瞬のこと。
もしもそれをコローナが望むのであれば、自分も協力してあげたいなどと話が繋がり、会話は更に弾んでいく。
「中々良い相手じゃないですか?」
「……そうですね」
お見合いが終わったところで、ペイスがコローナに声を掛ける。
相手方の感触も良かったし、ハースキヴィ家がモルテールン家と親しいこともアピールできた。コローナが大事にされていることもはっきり伝わっただろう。
しかも、婿に来てくれるという条件。
今後、モルテールン領の村を預かり、代官として活躍しようというコローナからしてみれば、何一つとして非の無い条件であった。
しかし、コローナ当人はあまり乗り気ではないらしい。
「やはり、今回のお見合いは断ろうと思います」
「何故ですか?」
「どうにも、何か物足りない気がして」
言葉ではっきり言える訳では無いのだが、どこか今のままだと後々まで後悔しそう。
そう、コローナは感じていた。
何がと具体的に指摘できないのだが、何かが足りない。そんな感じ。
「貴女がこの国で“普通”に生きていくなら。ここで少なくとも婚約を決めておかねばならないことは分かりますか?」
「はい」
神王国の常識、この世界の当たり前を語るペイス。
女性は家に居て、夫を支え、子供を産み育て、良妻となることを強く求められる社会。
女性の活躍が進むモルテールン家とはいえ、常識が無くなるわけでも無い。女性は守るべきものであり、家に居るべきだ、と考える人間は多い。また、それが常識であり“普通”なのだと考える人間は、圧倒的多数。
モルテールン家は“非常識”が許容されているからこそ、今のコローナの境遇も許されているのだ、というのがこの世界の当たり前である。
ごく普通に、誰にも非難されない生き方をしようと思ったなら。ここで結婚に道筋をつけておくのが間違いなく正しい。
ペイスが諭す道理には、コローナも頷く。だが、その上ではっきりと口にする。
「この婚約。お断りします」
「……それで、今までの話が全て無くなるかもしれないのですよ? 出世の道も無くなるかもしれない。本当に良いのですね?」
モルテールン家としても、代官職を預けるのならば譜代の従士家に預けるのが常道。
新しく家を興し、跡を継ぐ人間あってのお家であろう。
ここで真っ向から、婚約を否定するのは、モルテールン家としても将来に渡って大きな影響が出る。
もしかすると、コローナに代官をという話も立ち消えになるかもしれない。
そう、ペイスは言う。
「自分は、ありのままの自分で居たいと思います。自分を曲げてまで出世しようというつもりは有りません」
だが、コローナははっきりと断った。
それが、自分の道であると、心に決めたのだ。
「その覚悟。見事です。気に入りました」
「え?」
「心が揺れている人間に、重職は務まりません。やはり、代官はコローナにお願いすることにしましょう」
ペイスは、にかっと笑顔を見せる。
「はい……いえ、是非やらせてください。目の前の仕事に向き合うことで、自分の中の何かが掴める気がするんです」
「そうですか。貴女が自分の進む道を決められたというのなら、今回のお見合いも意味が有ったのでしょう」
ペイスは、コローナに対して軽く頷く。
「改めて命じます。コローナ=ミル=ハースキヴィ。貴女は、新たな村の代官職を務めるように。有事においては率先して村民を守り、村の為に尽くし、
「謹んで拝命致します」
その日、モルテールン家の歴史上で初めて、女性の代官が誕生した。