410話 魔法部隊
魔の森の一角。
人が入っては帰ってこないと言われた魔境に差し込まれた、一筋の光。
モルテールン家によって切り開かれた、文字通りの橋頭保がそこにある。
襲い来る魔物を返り討ちにしながら排除すること七たび。
切り立った険しい崖に、モルテールン家の魔法部隊による力技で九十九折りの斜面が作られ道が出来たことで、国軍が真剣にモルテールン家の部隊ごと引き抜きを交渉すること三度。
【発火】によって周囲の森がこんがりローストされ、そこを【掘削】することで焼き畑の農地と建設用地が出来上がり、国軍を含めた人海戦術で土塁のような防壁が出来、晴れて安全地帯が完成したという訳だ。
切り立った崖の下。北の崖を背にした形で半径三十メートルほどの半円状の防壁に囲まれた、中々の城壁都市である。城壁の中はまだ掘っ立て小屋しかないが。
九十九折の道の下に出来た空間。人が魔の森で寝起きするにはまだまだ不安が大きいが、それで動じるような人間は居ない。訓練の賜物であろうが、何処でも寝られる者たちが集まっている。魔の森に人類の拠点が出来たとすれば新たな歴史の一ページといっても過言ではない。
更に崖を登れば、そこにもまた防壁と堀があり、魔の森の開拓における正真正銘の最前線。今、人類が最も未知と向き合い、最も危険を冒し、最も夢があふれる場所。
ここの防衛が目下の国軍第三大隊最重要任務となっている。
「つくづく、魔法というものは反則だな」
「気持ちは分かります」
バッツィエン子爵の呟きに、部下の一人が同意した。魔法というものがどれほど強力なものかを、ここしばらく嫌というほど味わわされてきたのだから。
そもそも魔の森で無かったとしても、家が幾つも入りそうな大きさの城壁を用意するのは容易なことでは無い。
簡単に出来るぐらいなら、今頃は誰でも彼でも防壁を作って防備を固め、堀を作り、無防備に襲われる村や町は無くなっている。そうなっていないのは、やらないからではなく出来ないからだ。
まず、深い穴の掘れる地面というものが有るかどうかが最初の関門。
人が住みやすい場所というのはどういう場所かといえば、地盤が安定しているところだ。地面が砂地や沼地である場所に家を建てたいと考える人間は少ないだろう。砂上の楼閣と呼ぶまでも無く、基礎工事の時点で難航極まるはずだ。
普通は、家を建てるならしっかりとした場所に建てたがる。
例えば、小高い場所。
南大陸では昔のモルテールン領のような場所を除いて、雨量には恵まれている地域が殆ど。時には、低い地面が浸水してしまうような大雨が降ることもある。
川の氾濫や水害を防ごうと思えば、少し高い場所に家を建てた方が良い。
しかし、小高い場所というのは、長年の風雨に晒されつつ、その形を保っている場所でもある。
つまり、柔らかな土壌は既に粗方流出してしまっていて、草木生い茂る表層はともかく、基盤は岩盤質な硬い土壌や、密度の高い粘土のような土壌であることが多いのだ。
こういう場所は、穴を掘ると言っても押し固められた粘土や岩盤が邪魔をして、まともに掘れない。つまり、堀を作れない。
堀が作れないとなると、防備を整える為にはより高い壁が必要となるわけだ。
高い壁を作る為に、別の場所から石を運ぶ。これはかなりの大仕事である。
また、仮に柔らかい土壌が分厚くなっている場所に家を建てるとしても、それはそれで壁を作るのは問題が有る。
地盤が軟弱である場所に石のように重たいものを積み上げると、地盤が沈下してしまうからだ。
ピサの斜塔のように、柔らかな地盤の上に重たいものを積み上げると思わぬ地盤沈降をおこし、最悪崩れる。
城壁都市を作るというのは、年単位、十年単位の長い時間と、膨大な人手。そして天文学的な費用が掛かるのだ。
作り上げるのに馬鹿みたいな費用が掛かるはずの城壁都市。それを、前人未到の地に作り上げてしまうのだから、魔法というものの凄さを感じさせる。
魔法というものは、使い方次第で戦場の花形になれる。一騎当千の活躍を見せるという話は、神王国人であれば誰しもが知る事実。吟遊詩人が情緒たっぷりに歌いあげ、舞台では役者が堂々と演じるのが魔法使いの活躍というもの。
だがしかし、魔法というものを本気で“内政”に使えばどうなるのか。その結果が、子爵の目の前の結果である。
なるほど、モルテールン家の御曹司が自信満々に国軍を要請する訳だと、ここにきて初めて納得した。
常人の常識では量り切れない異常。いや、偉業。
これは、モルテールン家だからこそ成しえたことなのだろう。
「あの魔法部隊。どうにか国軍に貰えませんか?」
「……何度もモルテールン卿に頼んではみたのだがな。魔法使いを貴族家から軍に引き抜くというなら、それ相応の手続きと対価を寄越せと言われてしまった」
バッツィエン子爵は、部下の言葉に渋い顔をした。
ひと月ふた月の僅かな期間で、何処にでも深い堀と頑丈な城壁を用意できる部隊。
工兵部隊として運用すれば、どれほど効果的だろうか。
仮に敵中のど真ん中であっても、あっという間に城が出来てしまうのだ。敵にすれば何とも厄介で、味方と思えばこの上なく頼もしい。
是非とも麾下に加えたいと、バッツィエン子爵も考えた。
一度ならず二度三度と粘り強く頼んではみたのだが、やはりと言うべきかペイスは首を縦にはふらない。
そもそも魔法使いというのは、貴族家が抱える場合はとっておきの切り札になるもの。どこの家でも領民に魔法を使えるものが出れば、高給で抱え込む。
外交的にも、軍事的にも強力なカードと成りえる上に、内政にも使えるのは見ている通り。手放してほしいと言われて、はいそうですかと頷く貴族など居る訳がない。
そこをどうしても、有用な魔法使いを移籍させたいというのなら、貴族家に対しても対価がいるもの。一人の魔法使いを移籍させるにも、金貨が何百枚何千枚と動く大商いで。
ペイスは、常識的な金額として、全員が魔法使いであるとして金額を提示して見せた。
人数が人数だけに、国家予算並みの金額になった。
これはどう転んでもバッツィエン子爵や国軍だけで出せる金額ではない。
何とか値引きをと交渉もしたのだが、値引くぐらいなら移籍は出来ないとけんもほろろ。
ペイスの言うことは正論で有る為、引き下がるしかない。
「……あの魔法部隊は、量産出来るのでは?」
「我々は、何も知らないことになっている」
「そんな。あれほどの力を一貴族家が持つなど、宝の持ち腐れでしょう」
どう考えても、班で運用して隊を為すほどの魔法使いを、全て領内から集めたというはずが無い。魔法使いは二万人に一人と言われるほど稀有な能力であり、しかも能力自体は人によって様々。
同じ魔法を同じように使う同じ年代の人間が、同じ領内からごっそり見つかるなどという話は、不自然極まりない。
魔法使い班と言われている連中が、元々は普通の人間であったであろうことは明らかなのだ。
魔法を使える秘密。いつも舐めている飴が、実に怪しい。
魔法使いを“量産”出来るというのなら、モルテールン家単独で国崩しが出来そうである。
いざとなれば国内貴族やその軍隊の鎮圧を命じられる国軍の人間としては、モルテールン家を敵にした時を想像して背筋が寒くなる思いだ。
「秘密をバラせば、それで多少の利益は得られようが、モルテールン家を敵にするな。この力を敵にしたくはないものだ」
「そうですね」
バッツィエン子爵がしみじみと呟くなか。
ペイスが駐屯地にやってきた。
「バッツィエン子爵」
「モルテールン卿、戻ってこられたか」
「すいませんね、野暮用で」
「構わんとも。些事は我々に任されよ」
バッツィエン子爵の元にやってきたペイスは、笑顔を浮かべている。
早速とばかりに、新たな指示を与えるということだった。
「では、村づくりを始めましょうか」
「村づくり?」
子爵がペイスに問う。
「この駐屯地をもっと手厚くし、施設を整えて村としての体裁を整えようと思っているのです」
「ほう」
「国軍の皆さんには、引き続き周辺の脅威を排除してもらいたい」
「おお、任されよ。そのような仕事は得意だ」
ペイスの指示に、どんと胸を叩き、大胸筋を張りきらせて請け負う子爵。
早速とばかりに部隊を纏め、周辺の警邏に出ていく。
残るのは、ペイスとモルテールン領軍。
「まずはなにするんです?」
部隊の指揮官として残っていたバッチレーが、ペイスに尋ねる。
「そうですね。先ずは何をおいても水でしょう」
駐屯地の改良をして、村の体裁を整えるなら。
まずは何をおいても水の確保である。
「今、地図上ではここに川が通っています」
ぱっとペイスが取り出す地図。
どこまでも正確無比であり、まるで“航空写真”のような地図が、ペイスの【転写】によって描かれている。
すっと指さすペイスの指の先には、現在地から少し離れたところに川があった。
「貯水池からの用水路の延伸が、ここまで進展していますから、まずはこちらからもこう用水路を伸ばして、川を繋げます」
モルテールン領内を縦横に走る用水路。
魔の森に流れ込んでいる河川と結合させたこの人工河川が、魔の森駐屯地から南東方向を流れている。
ここから水を引き、かつ排水をまた川に戻す。
ペイスは指でルートをなぞりながら、バッチに指示をだした。
「次は、防壁の拡張ですね」
更に、水の確保が済んだ後の指示も忘れない。
川を引き込んだなら、色々と施設も必要となる。また、魔の森の中で駐屯地が孤立する場合も考えられる為、田畑も作っておきたい。
そうなると、今の城壁で囲まれた領域では少し手狭だ。
「堀も同時に整備して、用水路から水を引くつもりですから、同時に工事する方が手間もかからないですかね」
やがて、ペイスの指示とバッチの準備によって、魔法部隊が集まる。
「諸君、これより作戦行動に入ります。作戦の内容はかねてより計画していたものに沿って行いましょう。指揮はバッチレーが執ります。皆、指示に従って、安全に行動してください」
「はいっ!!」
従士たちの声が揃う。
兵士を使い捨てにするような勿体ない真似はしないのがモルテールン家だ。
安全には配慮の上にも配慮を重ねる。
「では……【掘削】!!」
モルテールンの魔法部隊によって、用水路は信じられない速さで整備される。
魔の森の村予定地までの延伸に掛ったのは、都合一週間ほどであった。