pixivは2022年7月28日付けでプライバシーポリシーを改定しました詳しいお知らせを見る
ヘルサレムズ・ロット──かつて紐育と呼ばれ世界の金融市場の中心でもあったこの街が、“大崩落”により異界との境界点となってから三年が経った。一夜にして“ゲート”が開き、一夜にして異界のどうたらこうたら……という細かい話はさておくとして。
ここに、レオナルド・ウォッチという一人の青年がいる。最近この霧けぶる異境都市へやってきたレオは、公園のベンチに座りジャック&ロケッツのダブルバーガーを食べていた。ひょんなことから就職したライブラの仕事は午前中だけで、アルバイトまで多少の時間がある。腹を満たしておかねば午後からの肉体労働に支障が出る、ということで昼食を調達したのだった。
ちょうど昼時ということもあり、残念ながら店内はヒューマーで満席だった。そのため思いつきでアルバイト先近くの公園へやってきたのだが、自然に囲まれて食べるバーガーはなかなかに美味かった。また天気のいいときにやってもいいな、と考えてからレオは気づく。常に霧が立ち込めるこの街に、快晴など存在しない。
「あれ?」
レオが懸命にバーガーにかじりついていると、誰かが通りかかった。視界に入ったのは見覚えのある顔で、レオの口からつい「あ、ザップさんの」と声が出た。
立っていたのはライブラの先輩であるザップ・レンフロの恋人だった。確か名前はナマエ・ミョウジだっただろうか。一般人であるにもかかわらず、クズ人間代表ザップ被害者の会に誘拐されたり、付き合って一年記念日にアダルトショップで買った異界製の玩具をプレゼントされたりと、(一応)散々な目に遭っている人だ。
「えっと……あれだ、インモーくん」
「嘘でしょ俺らほとんど話したことないのにその覚え方」
思い出したように手を打ったナマエから出てきた言葉に、レオは耳を疑った。レオがナマエと会うのは、誘拐騒ぎで初めて顔を合わせて以来だ。あのときもまともな会話を交わしていないのに、そのワードチョイスはひどい。そんな印象を与えたであろうザップはもっとひどい。
ナマエはまったく悪びれる様子もなくケラケラと笑い「ウソウソ。ごめんなさい、ミスタ・ウォッチ」と謝った。流石あの銀猿と対等に渡り合うだけあって、冗談のレベルがキツイ。レオは苦虫を噛み潰したような表情でナマエを眺めてから「レオでいいですよ」と膝の上にバーガーの包みを持ったままの手を置いた。ナマエが「じゃあわたしもナマエでいいよ」と言い、レオの隣を指す。レオはジャック&ロケッツの袋を寄せてベンチにスペースを空けた。
「昼休憩すか?」
「そーお昼ご飯にね。これでも働いてんのよ」
「……ザップさん養ってますもんね……」
「それはノーコメント」
レオの横に腰を下ろしたナマエが「わたしもここで食べちゃおっかな」と袋からハブウェイのサンドウィッチを取り出した。レオもバーガーを食べる手を再開する。ナマエが膝に乗せたサンドに向かって手を合わせた。日本のアニメでよく見る動作だ。アジア系の顔立ちだし、日系なのだろうか?
昼下がりの公園のベンチに並んで座り、黙々とそれぞれの昼食にかぶりつく。普通なら目立ちそうなものだが、何せここはヘルサレムズ・ロット。白昼から魔導ドラッグをキメてHLPDに追いかけられている民間人や、チェスを指しながらパンは柔らかめか硬めかで大激論する異界人たちに比べればよっぽど地味である。
「そういや、こないだはありがとね」
不意にナマエが口を開き、レオはキョトンとして隣を見た。食べてしまわないように髪を耳にかけながら「ほら、わたしが誘拐されたとき。よくわかんないけど、レオが見つけてくれたんでしょ?」と言われ、レオはようやくお礼の理由を理解した。
ナマエが誘拐された際、レオは“神々の義眼”を使って彼女の足取りを追った。レオがいなくともライブラの情報網を持ってすればいずれ発見できたのだろうが、時間を短縮できたのは確かだ。レオは笑って「いや、俺はちょっと手伝っただけで。ナマエさんを助けたのはザップさんすよ」と手を振りながら言った。
ザップが義眼の話をしなかったのは、ナマエの身を案じてだろうか? あの男もそれなりに恋人を大事に思っている。……のか? 普通に説明するのが面倒臭かっただけのような気もする。いや多分そうだ。
「レオって最近ここに来たんでしょ? どう、慣れた?」
「最近つっても結構経ちましたけどね。まあ、それなりには。仕事が仕事すからねえ」
「確かにね。生き延びてて偉いよ」
死なないだけで褒められるのもどうかと思うが、レオは否定できなかった。なんたってこの街は、種族も大小も問わずあらゆる組織が跋扈し、思いつきで世界を滅ぼそうとする輩も絶えずいて、なんでもありなのだ。その上レオが身を置くライブラは、世界の均衡を揺るがしかねないヘルサレムズ・ロットの大事件を日夜解決している。他の構成員たちはこの世界が長いからか、日夜と言わざるを得ないレベルでそんな事象が起きていることがまずおかしいのだと気づいていないようだ。
レオはたまたま“神々の義眼”を持ってしまっただけで、レオ自身に特別なスキルはない。クラウスやスティーブン、そしてナマエの恋人ザップのように、血液をどうのこうのして血界の眷属と戦う術もない。四六時中危険が降ってくるヘルサレムズ・ロットにおいて、超ド級の危険に突っ込んでいく仕事をしているレオがここまで生き延びてこられたのは、正直運がよかっただけなところが大半だ。
「ナマエさんはいつここに来たんですか?」
「わたし? わたしは崩落の前からここで働いてたよ。実家は西部だけど」
「エ゛ッじゃあ超ヘルサレムズ・ロッターじゃないすか」
「何その新しい言い方」
ナマエがまたおかしそうに笑う。なんでもないように言われたが、大崩落当時のニューヨークがどんな状況だったか、ライブラで働き始めたレオには想像に難くない。いやそれよりももっとひどい有り様だったのだろう。まさかこんな身近にも“サヴァイヴァー”がいるとは思わなかった。
「まあ確かに実家もずっと帰ってないから、そのうちヘルサレムズ・ロット歴のが長くなるかもね」
芝生で超次元級のバドミントンを繰り広げる鳥頭の異界人たちを眺めながらナマエが言った。レオが目を丸くして「ずっとって、まさか三年間ずっとここにこもって……?」とナマエを見ると、ナマエは「うん」とあっさりと頷いた。その様子に、残り少ないハンバーガーを口に詰めていたレオは、驚きのあまり咽てしまった。これからエネルギーに変わるハンバーガーを飛ばすわけにもいかず、悶絶して苦しむレオにナマエが「大丈夫?」とセットで買ったらしいコーヒーを差し出す。ナマエに背中を擦られながらコーヒーをガブ飲みしたレオは、ようやく苦しみから解放されて大きく息を吐いた。
「し、死ぬかと思った……!」
「どう考えても今までもっと死にそうなときあったでしょ」
「いやマジで一瞬ばあちゃんが見えました。……じいちゃんだったかな」
果たして向こう側で手を振っていたのはどちらだったか考えながら、レオは手に持ったカップの存在を思い出した。もうほとんど中身が残っていないことに気づき、慌てて「すっすいません、俺新しいの買ってきます」と立ち上がろうとしたレオに、ナマエは「いいよいいよ。気にしないで」と微笑む。レオは申し訳なさを抱きつつも「ありがとうございます」と言ってコーヒーを飲み干した。
しかし、レオが驚いてしまったのも無理ないと思う。渡航制限がかかっているこの街を訪れる人間は少ないし、これまで人類が保有していたモノ以外の持ち出しも関門橋で厳しく取り締まられるため、ヘルサレムズ・ロットの実態を知る者は住民を除くとかなり限られている。だが“大崩落”は元ニューヨークだけでなく、人間界と異界の両方にも多大な影響を与えた。崩落を経験したのであれば普通外へ逃げたがるだろうし、ニューヨークの外にいた親類友人もまた、大切な人を未知の危険に溢れる場所に置いておくはずがない。
なのにナマエは、一度もこの霧の向こうに──元々住んでいた世界に、戻ったことがないと言ったのだ。他所からやってきたばかりのレオでも、崩落を経験してその決断をした人間は少ないだろうとわかる。
「……あ、そうだ。コーヒーのかわりに、にはちょっと釣り合わないんだけど」
思いついたようにナマエが言った。すっかりサンドウィッチをたいらげ、包装紙を畳みながら「四十二番街の近くに屋台ができたらしいんだけど、知ってる?」と聞かれる。
ナマエの問いに、レオは口さがない者たちから“ゲットー・ヘイツ”とも呼ばれる区画を思い浮かべた。四十二番街ならつい三十分ほど前に行ってきたばかりだ。そういえば入口のすぐそばに、先日行った際には見かけなかった行列ができていたっけ。あれがナマエの言う屋台だったのかもしれない。
「あーなんか行列できてましたね。あれなんなんスか?」
「なんかね、タピオカ屋さんなんだって」
「……タピ……?」
聞き慣れない単語にレオは眉根を寄せた。異界の食べ物だろうか? そういやそんな響きの俳優がいたな。そう思ったレオの前に、ゴミを片づけたナマエが「外で流行ってるんだってさ。レオ飲んだことある?」と携帯を出す。画面には太めのストローが刺さった、プラスチック製のカップの写真が表示されている。よく見ると少し茶色く濁った液体には黒い粒が浮いていた。
「いやー知らないっすね。なんすかこれ。飲みもの?」
「そう。中にタピオカが入ってるらしい」
「タピ……オカ、とは?」
「わかんない」
「なんじゃそりゃ」
レオは思わずずっこけそうになった。わからないもの同士が写真を見たってどうにもならない。ナマエが残念そうに「そっかー知らないか」と写真投稿のSNSをスワイプしていく。ハッシュタグで検索をかけているようで、進んでも進んでも似たような写真がずらりと並んでいる。タピオカなるものはよほど“外”で流行っているらしい。
「でさ、よかったらなんだけど、これ今度一緒に飲みに行かない?」
ハンバーガーの包み紙を丁寧に畳んでいたレオは、思わぬ誘いに顔を上げた。ナマエが笑顔のまま「ザップが世話になってるお礼に、わたしが奢るからさ。どう?」と続けてレオに聞いた。
どうと言われても、レオはそのタピオカとやらに毛ほども興味が湧いていなかった。一瞬通りかかっただけでもかなりの人数が並んでいたし、それならジャック&ロケッツに行くほうがいい。しかしナマエは先輩であるザップの恋人でもあり、正直に断ることができるほどの仲でもなかった。……いや、そもそも二人で出かけるのはまずいのではなかろうか?
悩み始めたレオに気づいていないのか、ナマエが「とりあえずアカウント教えてよ。都合いい日聞きたいから」と検索画面に戻る。それからナマエは巧みな話術(というか“圧”)でレオのSNSアカウントを聞き出してフォローした。ピコンとレオの携帯から通知音が鳴った。
「……あ、そろそろ休憩終わるから行かなきゃ。じゃあまたDMするね」
立ち上がったナマエがレオの肩を叩き、小走りで公園を駆けていく。ジャック&ロケッツの包装紙を手に、レオは呆気にとられてナマエの背中を見送った。
「……え、俺行くって一言も言ってなくね?」
青年レオナルドの呟きに答える者はいなかった。
時系列的にはオンリー・ユー(novel/15901277)の後です。久しぶりの更新にもかかわらず、出番の割合がザ2:少年8になってしまいました。何はともあれセカンドシーズン完結おめでとうございます!
感想いただけると励みになります! お返事はTwitterにて。返信不要のコメントも有難く読んでおります。
→https://wavebox.me/wave/9nl53z8mf0q9ot8o/
表紙素材はらこぺ様のillust/81821735よりお借りしました。