pixivは2022年7月28日付けでプライバシーポリシーを改定しました詳しいお知らせを見る

70
70

オンリー・ユー

オンリー・ユー - 70の小説 - pixiv
オンリー・ユー - 70の小説 - pixiv
12,129文字
ザップと一般人彼女シリーズ
オンリー・ユー
ザと喧嘩する話。名前変換あり。花言葉はネットで調べただけなので、間違っていたらすみません。

感想いただけると励みになります! お返事はTwitterにて。返信不要のコメントも有難く読んでおります。
https://wavebox.me/wave/9nl53z8mf0q9ot8o/
続きを読む
94942340
2021年8月28日 06:22

「ぉはざーす」
「おはようございま……ってどうしたんスかその顔」
「うるせえ黙れインモウ頭お前のそのアイデンティティ燃やして灰にすんぞ」
「おぉう……ビビるぐらい機嫌悪いな……」

 珍しく定刻ギリギリより早く出勤してきたザップの顔が真っ赤に腫れ上がっていた。驚いて指摘したレオに低い声を返したザップは、不機嫌なのを隠す気もないらしい。それに怯むほどレオも繊細ではなかったので「浮気でもバレたんすか?」と追撃すると、いよいよザップは「ちッげーわ!」と大声を上げてソファに座った。

「これはまた見事な手形だな、今度はどの女性を泣かせたんだ?」
「だァから違うって言ってるでしょーが」
「そっちの方がマシな顔に見えるんじゃない? 性根のクズさは滲み出たままだけど」
「あンだと犬女消し炭にすんぞ」
「ザップに一撃入れるとは……よほどの手練れかね?」
「……や、彼女にちょっと……」

 歯切れ悪く言ったザップにクラウスが目を瞬かせた。ザップの恋人といえば、先日ザップ被害者の会に拉致されるという散々な目に遭ったナマエのことか。仲良く手を繋いで帰っていく二人を――レオは決して悔しくなどなかった、決してだ――見送ったのは記憶に新しい。
 「ど、どうしたのだ? 我々の仕事のせいなら私が説明に……」とおろおろするクラウスを見て、ザップは「いやいやいや飛躍しすぎ」と手のひらを振った。その手を顎に寄せたザップが「正直俺もアイツがなんであんなキレたんかわかんないんすよね」と首を捻り、レオは「けどビンタされるってよっぽどでしょ? 何したんすか?」と聞く。(その「よっぽど」を頻発するのがザップなのだが、あえてレオはそこには触れないでおいた。)

「俺ぁあいつにプレゼントしただけだぜ」

 レオとチェインが(そして奥の方でスティーブンも)目を見張ってザップを見た。「えっあの万年金無しカツアゲ寄生ヒモ男のアンタが?」とチェインが言うと、ザップが「殺すぞクソ犬言葉に気をつけろ」と瞳孔をかっ開いた。苛立たしそうに鼻を鳴らし、ザップは話を続ける。

「昨日珍しくスロットで勝ってよォ、パトリックと飲みに行っても金が余ってたからトイショップで一番高けーヤツ買ったんだよ。そんで家出る前に渡したら殴られた」

 レオはこっそりこちらを見ていたスティーブンが白けた表情を浮かべるのを見た。そして自分も同じ顔をしているだろうなと思った。けれどもしかすると、万が一いや億が一ぐらいの可能性もあるので、レオはきちんと確かめることにした。

「……ザップさん、一応聞きますけどそのトイショップっていうのは子供向けではなく……」
「当たりめーだろ人間界から異界製までなんでもござれのアダルトショップだ」
「理由わかりきってんじゃねえかよ!」

 レオは一瞬でもザップを心配した自分を殴りたかった。そしてナマエに同情せざるを得なかった。「いや前に別のオモチャやったときは笑ってたんだよアイツ」「それもそれでたいがいだな……」爆速でその同情も後悔した。ザップ・レンフロという男と付き合うにはそれぐらい器が大きくないと続かないのかもしれないな、とレオは思った。

「全くくだらない。クラウス、心配する必要はないよ」
「うむ……私には手出しできない問題のようだ」
「時間を無駄にした。俺は忙しいんだ、悪いが続きの相談は他所でやってくれ」

 やや赤い顔でクラウスが自席に戻り、スティーブンも溜め息を吐いてザップたちから視線を外した。
 そこでレオは、スティーブンの手にあるのがヘルサレムズ・ロットの美食ガイドであることに気づいた。この時間のスティーブンはいつも世界各国の新聞を読んでいるのに、別のもの……それもグルメ雑誌とは珍しい。「何かあるんですか?」と聞いたレオにスティーブンは「特にないよ」と言ってから少し考える素振りを見せると、「いや、若者の意見も聞いた方がいいか……」と小さく呟いた。

「実はもうすぐ恋人の誕生日なんだ。それでディナーに丁度いい店を探してるってわけさ」
「あーそれでその雑誌」
「モルツォグァッツァも考えたんだが、何かの祝い事に取っておこうかと思ってね」
「HLトップクラスのレストランを出し惜しみしますか……」

 ザップとは違う意味でレオは少し引いた。霧を越えてまだそう日が経っていないレオでも、そのレストランの名は知っている。スティーブンは「冗談だ、流石にそこまで豊かな懐は持ってない」と笑ったが、どうも信じがたい。しかしレオに追求する勇気はなかったので、「何が条件なんです?」と会話を先へ進めた。

「そうだな……ワインと料理が一級品で夜景が綺麗に見えるレストラン、かな」

 さらりと言ってのけたスティーブンを、レオはやや唖然として見つめた。それに気づいたスティーブンが「俺のプランはお気に召さないかい?」と口端を上げる。勢いよく首を振ってから、レオはおずおずと口を開いた。

「や、なんか、映画やドラマみたいだなと」
「そうか? 普通だと思うが」
「いや~……僕は庶民の出なのでそういうのとは無縁っていうか……考えはしてもなかなか行動には……」
「まあHLじゃ霧のせいで難易度が上がるのは確かだけどね。リストランテ・アナスタージは前の記念日に使ってしまったしな……」

 ソファで煙草の煙をくゆらせていたザップが「……ア゛ッ!?」と突然大声を上げた。「うるさいわね銀猿」とチェインが言うもいつものような反論はなく、レオたちは怪訝な顔でザップへ視線を向けた。
 ザップは煙草を持ったまま「ヤベェ……マジでヤベェ……」と震えていた。どうせ自業自得で何か“ヤバイ”状況に陥っているのだろうとはわかっていたが、レオは仕方なく「今度はどうしたんすか」と声をかけた。

「…………だわ」
「え? なんて?」
「……今日、付き合って一年だわ、多分」

 いつも慌ただしいライブラ本部が急に静まり返った。この静けさにデジャヴを感じるのは気のせいだろうか? 「だからアイツ今日平日なのに休み取ってたのか……」と呟く目の前のクズ男を、レオは頭を抱えて見た。

「……つまり、一年記念日にギャンブルに勝ったお金で買ったアダルトグッズをプレゼントしたってことですか?」
「オウ、そうなるな」

 堂々と頷いたザップに、最早レオは大きな声を出す気力もなかった。というか、この男のためにこれ以上労力を使いたくなかった。それでもやはりナマエが気の毒になったので、「そりゃ怒るわ……ビンタされて当然だわ……」と呟く。

「てかよくビンタ程度で済んだわね。帰ったら荷物放り出されてるんじゃない?」
「鍵でも変えられてたりしてな」
「流石にそこまではしないのではないか?」

 他の面々はレオほど疲れていないようだった。こういうしょうもないことに慣れているのか、ザップの言動でいちいちアップダウンするのも無駄だと思っているのか。当のザップも「いやアイツやるときはトコトンやるんで、下手すると引っ越してる可能性も……」と真剣に考えている。ハッと顔を上げて「俺今日から宿無しかもしんねえ」と冷や汗をかくザップにレオは思わず「気にするとこそこかよ」とつっこんだ。
 やはり先ほどの同情は正しかった。(ゴメンナサイ、とレオはこっそり内心謝った。)記念日にそんな爆弾を落とされたら怒って当然だとレオは思う。息を吐いたザップが「……レオ、金」と最後まで言い切る前に、レオは「貸しませんよ」ときっぱりとした口調で遮った。

「俺から借りたお金でなんか買っても尚更怒らせるだけですよ」
「言わなきゃバレねーだろいいから貸せよ」
「いーや俺が言うんでバレますバラします!」
「オメーは俺が路上で野垂れ死んでもいいのか!」
「アンタみたいな最低男はそうなったらいいと思いますね」
「テッメェこの野郎上等だ骨も残らず死にたいらしいな」

 飛びかかってきたザップにレオも応戦し、取っ組み合いが始まった。またデジャブだ。いよいよ本当にザップの話を聞くのが馬鹿らしくなったのか、スティーブンはグルメ雑誌に視線を落としている。チェインもギルベルトに呼ばれて奥へ引っ込んでしまった。
 再び立ち上がったクラウスが「ザップ」とレオの髪を引っ張るザップに声をかけた。レオに頬を掴まれたままザップが動きを止める。

「今日が君と彼女にとって大切な日なのか、それはわからない。だが君が彼女を怒らせてしまったのは事実だ、そうだろう?」
「……まー、ハイ」
「君に悪気がなかったとはいえ、納得いくまで話し合うべきだと私は思う。必要であれば謝罪もしなければ。仮に今誤魔化しても、いずれ同じような過ちを犯すぞ」

 クラウスの言うことはもっともだった。ザップもそれは認めざるを得なかったのか、手の力が抜けていく。苛立ったように頭をかくザップに、クラウスが口を開いた。

「出勤してからで申し訳ないが、今日の君は非番にする」

 レオとザップが目を見開いた。「緊急事態でない限り君を呼び出すことはしない」とクラウスが続け、スティーブンが「おいおいクラウス、ザップを甘やかしすぎじゃないか?」と呆れたような声を飛ばした。

「今のところ大きな案件もないしいいだろう。これでは彼女が気の毒だ」
「あ、やっぱクラウスさんも彼女さんに同情してたんですね」
「……あ、いやそれは……まあ、元々ザップは今日、K・Kとシフトを交代したために出勤しているわけだし」

 ゴホンと咳払いをしたクラウスが「さあ、帰りたまえ。今日は世界よりも恋人の心を救うのだ」と言った。「傷つけたのザップさん自身ですけどね」とレオは苦笑する。スティーブンも諦めたのか、「早く帰れ」と言わんばかりに手を前後に振った。

「……あざす!」

 「必ず仲直りするように」というクラウスの言葉に片手を上げ、ザップは勢いよく事務所を出て行った。



「……とは言っても、どうすっかねェ……」

 事務所を飛び出したザップは、ゲットー・ヘイツ近くの公園にあるベンチに座っていた。最初の煙草に火をつけてからかれこれ十分は経っている。三本目を吸い始めたザップは霧に包まれて久しい空を見上げた。

 ザップにとって所謂「記念日」というものは、平日もしくは普通の日と同義語だった。誕生日やクリスマスぐらいは流石に少し意識するが、付き合ったのがいつかなんて「だいたいこのぐらいの時期だったな」という程度にしか覚えていない。正直な話、今日でナマエと付き合って一年だという確証もなかった。だから先ほどスティーブンが言っていた記念日ディナーなんて無縁にもほどがあるし、プレゼントだって考えたこともない。(まあ、ザップは誕生日もクリスマスもまともなプレゼントを贈れたことはないのだが。)
 レオが言った通り、ここで人の金を使って適当にジュエリーや化粧品の一つでも買って帰ったとしても、火に油を注ぐだけなことはザップにもわかっていた。そもそも記念日にプレゼントを贈るという考えを持たないザップが、その場しのぎで何かを買うのもどうなのか? では今朝渡したオモチャの何が悪いのかとも思うし、余計にわけがわからなくなってくる。

 ザップは、ナマエが笑うと思っていた。前回似たようなものを買って帰ったときは「何これ異界製のヤツってこんななの? 使ったら死ぬわ」と二人でひとしきり笑ったから、今回もそうなるだろうと。しかしザップの予想に反して、包みを開けたナマエは少し期待したような笑みを凍らせた。そしてザップの頬を思い切りひっ叩いたのだった。

 生理は先日終わったばかりのはずだし、いつもなら何か虫の居所が悪くなることが起きるとザップに愚痴ってくる。何か兆しはなかっただろうかと、ザップは記憶を辿った。
 ゲームでザップがボロ勝ちした……は違う。ネットで買った服のサイズが間違って届いたのも交換していた。ザップが勝手にボトルを空けた、もなけなしの金で一カートン買って事なきを得た。

 そこでザップはふと、先日ナマエに今週の休みがいつか聞かれたことを思い出した。水曜だと伝えたときに一瞬顔を輝かせていたような、いないような。アルコールが入っていたので定かではないが、「じゃあその日休もうかな」と言っていた気がする。いや多分言ってた。
 「アー……」ザップは煙を吐きながら空を仰いだ。どうりでザップが起きてすぐに「姐さんと代わったから仕事だ」と言ったとき、あの顔になったわけだ。

 休みはカレンダー通りのナマエが珍しく平日に有給を取っていたことと、彼女と付き合い始めた時期を考えると、恐らく今日が「一年記念日」なのは間違いなかった。でなければ――自分で言うのもなんだが――“この程度のこと”でビンタを食らうはずがない。今朝家を出る前、最後に見たナマエの顔を思い出したザップの口から、溜め息とともに紫煙が零れた。
 ――……キスも見送りもナシで家出たの、久々だな。

「すみません、この花に合う花束をお願いしたいんですが」
「はい、かしこまりました」

 耳に入った声にザップが顔を上げると、色とりどりの花を乗せたリヤカーが近くに停まっていた。花の移動販売をしているようだ。それを見たザップの頭に、いつだったか彼女と交わした会話がフラッシュバックした。

「友達がこないだ彼氏と付き合って一年だったらしいんだけどさ、あのリストランテ・アナスタージでディナーだったんだって」
「へーあのHLミシュランガイドで三ツ星のか。まァ場所はゲットー・ヘイツだけどな」
「そう。夜景も綺麗だったらしいけど、花束持って約束の場所で待ってたらしい。ヤバくない? しかもプレゼントは別で用意されてたとか」
「コエーコエー、金持ちはやることが違げーな。九十年代……いやもっと前の映画の観過ぎじゃねェか? 」
「わかる、ザップとは何もかも規格が違う。あと多分年齢も違う」
「いやアッチのサイズは絶対に負けてねえぞ」
「どこで張り合ってんの? ……まあ、昔は花束なんて貰っても困るって思ってたけど、意外と貰ったら嬉しいのかもね~」

 もしやこの会話は布石だったのだろうか? ……いや半年以上も前の話だ、ただの世間話だったのだろう。実際何度かその「友達の彼氏」の話は聞いたことがあるし、その度に次元が違うと笑ったものだ。……そういやさっき似たような話を聞いた気がするな。

 花束を受け取り去っていく男をぼんやりと見ていたザップは、短くなった煙草の火を消して立ち上がった。「スンマセン、花買いたいんスけど」と店主に声をかけると、レジを閉めた中年女性が「はい、どの花をご希望ですか?」とザップへ笑顔を向けた。
 どの花と言われても、残念ながらザップの目には色の違いしかほとんどわからなかった。とりあえず花といえばこれだろう、という安直な考えで「えーと、じゃあバラで」と答えると、続けて「お色はどれにしましょう? 他の花も合わせますか?」と聞かれザップは更に困ってしまう。

「あー……こんだけしか金ないんで、他のはキツイっすかね……」
「この予算ですと、バラだけなら十本ほどご用意できますね。青や黒などは他に比べて一本の値段が上がるので、本数は減ってしまいますが……如何なさいますか?」
「えェと……じゃあ白で、十本いけます?」
「かしこまりました。プレゼント用ですか?」
「まあ、ハイ」

 ザップのなけなしの全財産を見ても、花屋の女性が笑顔を崩すことはなかった。流石はプロである。レオやチェインが見たらブーイングの嵐を食らっているだろう。「……やっぱ、少ないスかね、十本じゃ」とザップが言うと、花束の用意を始めた女性は「大事なのは気持ちだと思いますよ」と微笑んだ。気持ちねェ、とザップは手際よく作業する店主の手元を眺めた。

「失礼ですが、渡されるのはご家族やご友人ですか?」
「あーいや、彼女に……今朝喧嘩しちまったんで」
「まあ、仲直りにお花なんてロマンチックですね」
「や、そういうワケじゃないんスけどね」
「よろしければ、こちらのメッセージカードを使われますか? 無料でおつけできるものです」
「はあ、じゃあお願いします。ペン借りていいすか?」

 ザップにカードとペンを渡した女性が「ご存知ですか? バラは色や本数で意味合いが変わるんですよ」と鋏でバラの茎や棘を剪定しながら言った。「へェ、そうなんすね」何を書こうかと思案していたザップは目を丸くして女性を見た。花言葉というものがあるのは知っていたが、色や本数まで関係するとは。

「白いバラの花言葉は『純潔』、それから『尊敬』というのもありますから、仲直りにはいいかもしれないですね」
「そりゃいいや、アイツ花言葉とか調べそうなんで助かります」

 女性ができあがった花束を「こちらでどうですか?」と、メッセージカードを書き終えたザップに見せた。先ほど買っていった男性のものに比べてかなり見劣りはするが、それなりに綺麗なのではないだろうか?
 代金を払おうとしたザップはふとバラの本数を数えて「アレ、一本多くないすか?」と首を傾げた。女性は「一本オマケしておきます」と十一本の白いバラを差し出した。

「十一本のバラは『最愛の人』、仲直りできるといいですね」



「へっくしょい!!」

 録りためた連続ドラマ一シーズン一気見マラソンを決行していたナマエの口から盛大なくしゃみが出た。「誰か噂してんな、ザップだったら最悪だな」とブツブツ呟きながらロックグラスをあおるナマエの唇は、真っ赤な口紅で彩られている。仕事へ行くときよりも濃い化粧をしたナマエはグラスの中の酒を飲み干すと、ドラマを一時停止して煙草とライターを掴んでベランダへ出た。
 ベランダの外には霧に包まれたダウンタウンが広がっていた。雑踏音に混じって時々銃声や轟音、けたたましいサイレンが聞こえるのに慣れてしまってからどれぐらい経つだろうか。二つある椅子の片方に腰かけた
ナマエは、煙草に火をつけてヘルサレムズ・ロットを見渡した。

 一年前の今日、ナマエはザップと付き合い始めた。勿論ナマエはザップが付き合った日付を覚えていないことなんて最初からわかっていたし、プレゼントも期待していなかった。ただ今日がたまたま休みだと聞いたから、二人でゴロゴロしながら「そういや一年経つね」なんて話ができたらと思っただけ。
 ……いや、期待していないつもりで、心のどこかでは「もしかしたら」と願っていたのだろう。だから今朝あんなに腹が立って、ザップの頬に思いきりビンタを入れてしまったのだ。
 タイミングが悪かった。期待した自分もよくなかった。今日休みを取っていなければ、ザップがK・Kと出勤日を交代したと先に聞いていれば……プレゼントが、あんなくだらないものでなければ。今日もザップに「気をつけてね」とキスをして、見送りができたはずなのに。

「……いやでもやっぱ六四……七三、いや八二でアイツが悪くない?」

 灰皿に灰を落としたナマエは、先日変えたばかりのネイルを見た。着ているのはお気に入りの服で、いつもつけている香水が煙の間を縫って鼻をくすぐる。
 ザップが出ていってから、
ナマエはムカついてとびきりお洒落をした。わざわざ平日のど真ん中に有休を取ったのだ、無駄にするのも腹が立つ。しかし平日ということもあり、友達は誰一人として捕まらなかった。唯一記者をやっている友人が取材の合間に折り返し電話をかけてきてくれたものの、ずっと続くはずもなく。サブマリンサンドを食べる間に今朝あった出来事を話すだけで電話は終わってしまった。
 そんなわけで結局
ナマエは、真昼間(というよりまだ朝に近い)からアルコールを摂取し、暇潰しに好きなドラマの一気見を始めたのだった。

「……見送りぐらいすればよかったな」

 ぽつりとナマエが呟いたとき、ヘルサレムズ・ロットに特大の爆発音が響いた。足から伝わる振動にナマエが顔を上げると、中心部の方で土煙が舞い上がっているのが見えた。やがてあちらこちらからも爆発が起こり始め、ナマエは慌てて煙草の火を消した。

「ハァイ諸君、みんなの堕落王フェムトだよ!」

 ――出た、災厄の権化。どこからともなく現れた無数の液晶に映った男(定かではない)・フェムトを見てナマエは思いきり表情を歪めた。この異界の王が出てくると、桁外れに厄介な事件がヘルサレムズ・ロットで巻き起こる。つまりはライブラが出動するということだ。

「今日も今日とて生産性ゼロの労働やアレソレで時間を無駄にしている愚かな人間諸君、調子はどうだい? え、恋人にフラれた? 会社がさっきの爆発で木っ端微塵に? それはおめでとう、新しい人生の門出じゃないか。けどね君たち、僕は最近心底退屈だ。そこで今朝、コーヒーを淹れるついでに新しい合成魔獣を創ってみた」

 あらゆる緊急車両のサイレンが鳴り始め、部屋に入ったナマエはテレビをニュースのチャンネルに切り替えた。「コイツらはとにかく繊細でね、頭の上にあるホクロ以外の体表を刺激すると爆発する。ついでに餌は人間にしておいたから気をつけたまえ」そんなド面倒な魔獣をコーヒーの片手間なんかで合成するな、とキレたいのはナマエだけではないだろう。
 ヘルサレムズ・ロットのローカルニュースでは、フェムトの実況解説ともに中継が繋がれていた。「こちら現場です! 例の合成魔獣があちこちで爆発しています! あっ、あそこにも人が……!」と文字通り命がけで中継するアナウンサーがいるのは、ゲットー・ヘイツ近くにある公園だ。アナウンサーが指した方を追ったカメラから送られてくる映像を見て、
ナマエは呆然とソファに座り込んだ。

「……ザップ……?」

 映像はやや乱れており遠目からなので鮮明ではなかったが、カメラの向こうで暴れ回っているのは間違いなくザップだった。担いでいた一般市民らしき女性を下ろしたザップが、何かを持った手で電話に向かって怒鳴りながら、猫のような耳を持った魔獣たちの“ホクロ”とやらをカグツチで刺そうと奮闘している。

「コイツらがHLを更地にするのが先か、君たちが一生懸命頑張って死者多数ながらもコイツらを殲滅させるのが先か、果たしてどっちだろうねえ」

 「精々頑張ってくれたまえよ、人類諸君」フェムトがそう言うと、ヘルサレムズ・ロットにバラまかれた液晶が消えた。ニュースの中継では相変わらずアナウンサーの現場解説の後ろで、米粒サイズのザップが次から次へと現れる魔獣に悪戦苦闘する様子が流れている。
 
ナマエはリアルタイムの映像を見ながらぎゅっと携帯を握り締めた。ザップに電話をかけたい、けれど今一瞬でも気を散らせたら彼は死んでしまうかもしれない。この公園へ行ってもいいが、その間に魔獣と遭遇してしまったら? こういう緊急事態では必ず自分の安全を最優先しろとナマエはザップからきつく言われていた。

 今朝最後に見たザップの後ろ姿を思い出し、ナマエは息を呑んで胸を押さえた。暗い廊下を足早に抜けて乱暴に閉められた玄関の扉の音が耳に残って離れない。
 今の
ナマエにできるのは祈ること、ただそれだけだった。



 轟音や普段より数倍増しの喧騒が聞こえなくなってしばらく経った。ライブラが奮闘したのかHLPDが健闘したのか魔獣は全て殲滅されたらしく、HLNNは既に別のニュースに移っている。最近若者を中心に相次いでいる不審死の報道を聞き流しながら、
ナマエが今日何本目かもわからない煙草の吸殻を灰皿に置いたとき、タンタンと不規則な足音が耳に入った。
 開けっ放しだったベランダの窓を閉めるよりも先に廊下を駆け抜けた
ナマエは、勢いよく玄関の扉を開けた。丁度鍵をさそうとしていたらしいザップが驚いたように目を丸くしている。そのままナマエがザップに抱き着くと、満身創痍のザップは「イテテッ痛てえ死ぬ!」と悲鳴を上げた。

「……おかえり」
「……オゥ、ただいま」

 胸板に顔を埋めたまま鼻を啜ったナマエの頭に、ザップの大きな手が乗った。「あのなァ、俺だったからいいけど相手見て開けろよな。変な奴だったらどうすんだ」と苦言を呈しながら部屋に入ったザップに、ナマエは「足音でわかる」と熱くなった目元を拭って離れた。

「仕事は? まだ上がりじゃないでしょ」
「非番もらったんだよ。途中で“アレ”に巻き込まれて結局旦那たちと合流するハメんなったけどな」
「K・Kさんの代わりに出たのに、非番なんてもらったの?」
「アー……それは、その……アレだ」

 急にモゴモゴと言葉に詰まったザップに、ナマエは首を傾げた。そういえば先ほどからずっと後ろに隠れている左手はどうしたのだろう。中継でも何か持っていたように見えたことをナマエは思い出した。

「……今日、付き合って一年……だろ、多分」

 ザップの言葉を聞いてナマエがポカンと開けた。覚えていたのか? いや多分ということは、今朝のビンタでなんとなく理由にアタリをつけたのか。どちらにしろザップは正しかったが、ナマエは返す言葉が見つからなかった。

「俺ァよ、別に記念日とかそういうのどーでもいいし、これからも覚えるつもりねーけど。今朝のはマジでたまたまっつうか……タイミング間違えた、スマン」

 例えどれだけ自分に非があろうと滅多にそれを認めないザップが謝っている。明日はフェムトの新しい災厄が降りかかるかもしれない。気まずそうに頬をかくザップを見ながら、ナマエは頭の片隅でそんなことを考えていた。
 「……わたしも、勝手に怒ってビンタしてごめん。理由も言わずに」と俯いた
ナマエの視界に、何かが差し出された。赤い……いや、白かったらしいバラが一輪、ザップの手に握られていた。目を瞬いて顔を上げたナマエに、照れ臭そうに「誕生日もクリスマスもマトモなモン用意してねえのに、今さら一年とかでなんかやるつもりもねえんだけどよ」と言ったザップが目を細めて微笑んだ。

「……いつも、ありがとうな」

 白いバラを赤く染めているのは血だった。魔獣の血は青色だったから、これは人の……恐らくザップの血なのだろう。涙が滲むのを感じながらナマエは口元を覆った。その様子に気づかずザップが「いやーホントはあと十本あったんだけどよ、あのクソ猫もどきの相手してたらこれしか残んなくてよ。こんなになっちまったし」と続けたのを聞いて、ナマエは目を見開いてザップを見上げた。

「バッッッカじゃないの!?」
「ハァ?」

 思わずそう叫び涙目でザップを睨んだナマエに、一瞬で頭に血を昇らせたザップが「それが死に物狂いで帰ってきた彼氏に言うセリフか? まずは『ありがとうございますザップ様』だろうが!」と言い返した。「どうりでニュースの中継で変な動きしてると思った。これ庇いながら戦ってたってこと?」と受け取ったバラをナマエが示すように掲げると、ザップが顔色を変えて「エッ俺ニュース出てたの? マジ? いやあ~ファンが増えちまうなコリャ」と顎をさする。本当にバカだこいつ。救いようのない阿呆だ。今度こそグーパンで殴ってやりたい気持ちを抑えつつ、ナマエは「こんなものより、自分のこと優先してよ」と声を震わせた。

「花が残ったって、ザップが死んじゃったら意味ない!」

 いよいよナマエの目から涙が零れた。ぼろぼろと泣きながら「ザップのばかぁ……メッセも返事ないし、ライブラの人たちの連絡先知らないし、中継は切れちゃうし……」と血塗れのバラを抱き締めるナマエの前で、ザップは「あー……途中で携帯失くしたなそういや……」と呟く。ザップが「わーったわーった、俺が悪かった。明日旦那にも連絡先の話しとくから、な?」とナマエの肩を掴んで顔を覗き込んだが、ナマエの涙は止まらなかった。
 困ったように息を吐いたザップが、バラごと
ナマエを抱き締めた。香水と汗と、ナマエのとは違う銘柄の煙草の匂いがナマエの鼻をくすぐる。ザップが「生きてんだから泣くな」と言って深く息を吸った。

「これからも、お前ンとこに生きて帰ってくっから」

 ザップがカサついた指でナマエの涙を拭った。鼻を啜って「……嘘吐いたらザップのマグナム捻り潰すから」とナマエが言うと、ザップは「ウッワ止めろよ寒気したわ」と身震いした。続けてザップが「まあ俺の死体が残ってたらの話だけどなァ」とぼやいたので、ナマエはまた視界が滲みそうになる。それを見て、ザップは慌てて「嘘だって嘘、ほら~泣かない泣かない。いい子でちゅね~」と赤ん坊を相手する口調でナマエの頭を撫でた。

「……じゃあ、来世まで呪う」
「ハ、いいねェ来世まで俺を追っかけてくるか」
「ザップがわたしを追いかけてくるんでしょ」
「さあどうだろな」

 満足げに、そしてどこか嬉しそうにザップが薄く笑った。それから思い出したように「しっかし携帯……経費で落ちっかな……」とブツブツ呟き始めたザップを、ナマエは胸元でバラを抱えたまま見上げた。
 ザップが帰ってくると言うのなら、
ナマエはそれを信じるしかない。ただの一般市民でしかないナマエには、それ以外できることはない。だからナマエは、ザップを信じて待っていよう。いつだって彼を見送って、また「おかえり」と迎えられるように。

 ナマエが「……ザップ」と呼ぶと、ザップが緩く笑いながら「ン?」とナマエを見た。

「……ごめんね、ありがとう」

 「だいすき」と言って背伸びをし、ナマエはザップにキスをした。ニヤリと口端を上げてから目をすがめたザップは「……あァ、俺もだ」と呟いて、乾いた唇がまた重なった。

オンリー・ユー
ザと喧嘩する話。名前変換あり。花言葉はネットで調べただけなので、間違っていたらすみません。

感想いただけると励みになります! お返事はTwitterにて。返信不要のコメントも有難く読んでおります。
https://wavebox.me/wave/9nl53z8mf0q9ot8o/
続きを読む
94942340
2021年8月28日 06:22
70

70

コメント
作者に感想を伝えてみよう

関連作品


ディスカバリー

好きな小説と出会える小説総合サイト

pixivノベルの注目小説

  • 悪ノ大罪 master of the heavenly yard
    悪ノ大罪 master of the heavenly yard
    著者:悪ノP(mothy) イラスト:壱加
    『大罪の器』、『エヴィリオス世界』の全てが明らかになり世界は衝撃の展開を迎える!