教義を理解するには、やはり文章読解力が必要である。
とはいっても、中学生程度で十分だとは思う。
おそらくだが、理解を妨げているのは、変な思い込みの方なのではないだろうか。
例えば、「心の解脱」という言葉がある。
これはもちろん心の解脱であって、私の解脱ではない。
つまり、私は解脱しない。(笑)
で、ここで最初に戻って、私はどうしたいのか?である。
その、私はどうしたいのか?の答えが私は解脱したいであれば、心の解脱は私が求めているものではない、ということになる。
もう一つ。
心の作用を止滅する。
ここで止滅するのは作用である。
心ではない。
単に作用と書くと何の作用か分からないので、心の作用と書いているだけである。
心に関するガイドラインは、
心
↓
作用
↓
想念
↓
雑念
というようになる。
意識は止滅出来ないし、心もまた止滅出来ない。
同様に、想念も雑念も止滅出来ない。
止滅出来るのは作用だけである。
したがって、作用に対するアプローチだけが有効となる。
これを爆弾に例えるなら、製造→起爆→爆発→破壊の様になる。
爆発してしまったら、もはや破壊を止めることは不可能である。
しかし、たとえ製造したとしても、起爆を止めれば破壊は起こらない。
この起爆を止める技術がヨーガである。