教義と修行体系33 | 法友(とも)へ

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私はだ~れ?

 

この瞑想は、肉体、感覚、心、観念に対して行うものである。

 

神仙の会時代には、信徒向けの集中セミナーで6時間連続でこの瞑想をやらせている。

 

この事について麻原は、昔に比べれば随分楽になった。

 

昔は地獄の特訓と呼ばれるほど厳しいものだったと述べている。

 

まあ、この時代の信徒はその先辞めるか出家するかしているので、悟るか狂うかはオウムの昔からの伝統であることは確かだ。

 

 

実践においては、身体と心についてだけ考えれば良い。

 

感覚というものは、肉体に付随し心がその善悪を判断している。

 

ベースになるのが肉体と心なのだから、感覚だけを別にする実践は効果的ではない。

 

観念についても同様で、様々な観念の中で最も大きな障害となるのは、私を身体と同一視することであり、私を心と同一視することである。

 

したがって、身体と心についてのみ実践を行えばいいという事になる。

 

五蘊無我だとか六識・六処だとかいう専門用語は全く必要ない。

 

悟りを得るためには、現代の日本語があれば十分である。

 

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