この世に絶対はない。
そういう人がいる。
それは全く正しい。
なぜなら、この世は相対の世界だからである。
では、絶対はどこにもないのだろうか?
その答えはノーである。
絶対はある。
この世の外側に。(笑)
この世界の外側に至る理論と実践。
それがヨーガである。
で、前回の続き。
>わたしはある」の状態から生存渇愛を切り離すことが
である。
私はあるの状態がすでに日本語としておかしいというのは理解できたと思うが、まあ、それはいいとして、その後の文章との繋がりもまたおかしいことに気付くだろうか?
この文章は、
①私はあるの状態ではない。
↓
②私はあるの状態に生存渇愛がくっついている。
↓
③私はあるの状態から生存渇愛を切り離す。
と順番で状態が変化すると考えているということになる。
この考え方のどこが論理的におかしいか、自分の頭で考えて答えを見つけてもらいたい。
もちろん、仏教やヨーガの知識は一切必要ない。