まあ、とにかく、徹底的に自分の頭で考えることが必要だ。
経典に書かれているからどうだこうだと盲信していたのでは、この先何カルパかけたところで何もつかめないだろう。
ヨーガでは真我を説き仏教では無我を説いている、などという表現を見かけることがあるが、これは正しくない。
正しくは、ヨーガは真我も無我も説いているが、仏教は無我しか説いていない。である。
これは、釈迦牟尼の弟子たちが真我について理解できなかったため、無我を説いたところで止まっているということなのだろう。
釈迦牟尼自身はヨーガの修行によって悟りを得ているのだから、当然真我について知っているはずである。
そもそも、真我と無我を同列に語ることが甚だしい勘違いである。
無我と非我なら同列に語ることに問題はない。
しかし、真我は全くの別物で、そもそもが我ではない。
無我、非我、真我はエゴ、エゴ、真理であり、相対、相対、絶対であり、無常、無常、不変である。
真我を理解することなく無我だの非我だの言っていたところで、相対・無常・苦しみの世界から抜け出ることは出来ない。
てか、まさか、涅槃が何かを知らないのかな?