前回の答え合わせをしておこう。
発狂するのは誰か?
これはエゴである。
解脱するのは誰か?
これは誰もいない。
苦しんでいるのは誰か?
これもエゴである。
これらの当たり前の常識以前の事が理解できていないと、解脱したくてもできない。
というより、解脱するための正しい努力ができない。
努力の方法が間違っているのだから、当然に達成は不可能である。
原始仏典を捨てろと言っている理由はここにある。
原始仏典に書かれていることは要するに、サマディを修習しなさいということだけである。
そのための理論と実践方法が欠けているのだ。