渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ビリヤードの流れ

2023年01月09日 | open


200年前のビリヤードを小型に
したような初期の遊戯具。
バンクと呼ばれる土手に穴が
あり、また、台上に穴がある。
ビリヤードから派生してピン
ボールが生まれた。

初期のピンボール構造の現代物。


戦後アメリカで発明された電気式
ピンボールマシン。
1950年代に大流行し、日本にも
入って来た。ゲームセンターの
定番だった。


日本人が発明した立て起こし式
のピンボールがパチンコだ。
1946年に名古屋で発明された。


手打ち式の進化版。
戦後日本の代表的な国民的遊戯
となった。


私が高校生の頃はまだ手打ち式
が店舗に残っていた。超速連打
をする。狙い通りの手技で釘の
間を確実に通した。
釘を見て、出る台出ない台は判
った。パチンカーと釘師の勝負
のような世界で、偶然性は無く、
かなり面白かった。
1976年頃に使われていたのは
もろにこの台。


初期の電気式。
東京では駿河台下の人生劇場
などで登場当初から導入され
た。
だが、手打ちも人気で、徐々
に電動に切り替えられて行った。


スマートボールもビリヤードから
の派生遊戯だ。
東京では上野アメ横に流行りの
店があった。パチンコと同じく、
景品交換の店。
特定景品は交換所で現金買取し
てくれるシステムで、パチンコ
もスマートも賭博には該当しな
い。


今でも観光地にはスマートボール
がある場所もある。


1958年に爆発人気ゲームが発明
された。それが野球盤だ。
ピンボールの変形。
めちゃくちゃ面白い。
私の小学生時代は、男子は大抵
野球盤で遊んでいた。


広島空港の喫茶店に置いてあった
木製ピンボール野球盤。
これもビリヤードから派生した
遊具だ。
時間潰しに玉を弾くだけでも楽
しめる。


ピンボールやパチンコは遊戯だが、
ビリヤードはスポーツとして確立
した。
ビリヤードからの派生は多岐に
る。ゴルフもビリヤードからの派
生種目だ。
ゴルフのほうが台上撞球のビリヤ
ードよりも初期の原初ビリヤード
の形を残している。
ゴルフもビリヤードも、種目自体
はめちゃくちゃ面白い。
難しいから面白い。


ただ、難しさの中身がゴルフとビ
リヤードは違っていて、ゴルフ人
口はとてつもなく多い。
しかし、ゴルフは1970年代末期
までは金持ちしかやれないスポ
ーツだった。
まず道具が高い。練習費が高い。
コースの会員になるのが高い。
コースに行くには自動車を所有
していなければならない。
1950年代などは乗用車は今の
貨幣価値と生活水準からすると
1台の現在価格が数千万円に相
当するので、車を持っている家
庭などは超大金持ちしかいなか
った。一般住宅も戦前と変わら
ず、公団団地が夢のマンション
として文化住宅として垂涎の的
だった時代だ。
公団団地でさえ、抽選申し込み
には所得制限があり、安定した
企業に勤めるサラリーマンや
大学の教職者や弁護士等が多か
った。
「中流意識」「中流階級」とい
う概念と括りは、戦後の洋式文
化住宅の公団団地と共に成立し
て来た。
さらに、1960年代には「コーポ」
と呼ばれる現在でいうところの
高級マンションが都心部ど真ん中
に登場した。
このコーポは一般庶民は住めない。
少し前でいう億ション、今なら
タワーマンションのようなもの
で、当時の分譲金額は今でいう
億超えだった。
こうした所に住むのは日活映画
の中に出てくるような人々で、
「あら、なさらなくてよろしく
てよ」というような日常言葉
使うご婦人たちが住んでいた。
分かりやすくいえば、映画の中
の浅丘ルリ子系(笑

その1950年代〜1980年代まで
は、ゴルフをやるのはごく一部
の国民だった。
だが、国民遊戯としてビリヤード
は手軽な事もあり、戦前から戦後
にかけて、とんでもない数の撞球
人口がいた。ゴルフは僅か。
それが、自動車の普及と生活水準
の向上により、ゴルフ人口は釣り
人口にも匹敵する程に増えた。
今やゴルフとビリヤード人口は
完全に逆転した。
今ビリヤードをやる人たちはご
く僅かだ。

でも、個人的にはそれでいいと
思っている。
本気でやりたい人だけが本式、
本格的に真面目にやればいい。
興味半分で、きちんとした玉屋
で躾も礼儀も教育されていない
パリピがワーワー騒いで玉を集
団で突っつき回したり、チョーク
も着けずにキューを立ててラシャ
を破きまくったり、キューを折っ
たりするのはやめてくれろ、て
なのがある。
ゴルフもビリヤードもまず礼儀
ありきのスポーツだ。
ゴルフはコースに行くので、礼儀
作法、振る舞いは徹底されている。
無礼虜外の者は排除される。存在
自体が赦されない。
しかし、ビリヤードは、街中に
ゲームセンターのようにあるの
で、節度も規律も秩序も無い。
あるのはきちんとした玉屋=ビ
リヤード場だけだ。
それさえも今は激減している。
店の者がきちんとしているビリ
ヤード場が極端に減っている。
無頼の客を注意したりする以前
に、店の者自身が躾も礼儀もな
っていない店舗だらけになって
いるのである。
ゴルフとは大違いだ。
あまり、日本のビリヤード界に
は、明るい未来は無いと見える。

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