政治家のBlogにおいて「真実」という言葉をタイトルに付す意味は重たい。私は事実ではなく、真実として本件を取り上げる。安倍元総理が凶弾に倒れた、その直後から自民奈良県連は動いていたことを証言します。奈良県の政治家たちは、安倍元総理をあんなところで街頭演説をさせた結果として、テロリストの手により失う現況を作ったこと、守れなかったことに責任を感じてきました。
一部には過激な議論もあり、なかには陰謀論に近いものもありました。それは言論の自由であるとして私は否定するものではありませんが、スナイパー説のみならず、自民奈良県連の奈良市青年局長(民間人)が犯人扱いされたり、また奈良県連の女性職員が同じく疑いをかけられたり等、明らかに言論の自由を越え、個人攻撃や誹謗中傷の類もありました。ぐっと堪え、ただただ慰霊碑の建立に奔走してきたのです。
「この慰霊碑のことは高市早苗奈良県連会長ご自身が先頭になって建立を推進してきた」と、新澤良文議員(奈良県町村議長会会長・高取町議会議長)が明確に証言しています。本稿では尽力したと聞き及んでいる功労者たちの名前の一部を紹介します。書いていて涙が出てくる議員の名もそこにある。
今から述べることは、当時は「出せなかった情報」であり、私が彼等と共有してきた情報です。そして「なぜ出せなかったのか」という理由の説明と、この形になった背景になります。左派からの攻撃(一部の声の大きな層)を受け、建立自体がダメになる危険性があったこと、また当該土地の取得が極めて難しい事情等がありました。
私がこの証言を行う理由は、奈良の保守系政治家たちの名誉のためです。そのことに”奈良の自民県連の極めて動きが悪かった”とか”やる気がなかったが、いま動き始めた”という言説は誤りです。私の顔見知りもおります、私の同志を含むことは否定しませんが、彼らは本当に頑張った。そのことは正しく評価されるべきだ。あまりに報われない。
その中には、自らの(政治生命のみならず)身命を賭して自決という言葉を口にした政治家すらおりました。組織全体で責任をとって行こう、皆で背負うしかないという方針に決まるまでの殺伐とした空気はその場にいた者しか分からない。誰から言うまでもなく、慰霊碑建立の話は「皆でやるんだ」といううねりになったのです。
ネットの声が力になったと私も感じておりますが、共に喜ぶ方向であれば良いけれども「動きが悪い奈良の保守系政治家を、自分たちの声(罵詈雑言)が動かした」という歪んだ喜び方は、道義的に許せない。高市早苗県連会長が率いる、自由民主党奈良県支部連合会は、事件直後から慰霊碑建立に動いてきたのです。ただ耐え、黙って調整を続けてきたのです。現職・前職国会議員を含め、地方議員らにもその情報や進捗は共有され続けてきました。
誰しもが青天の霹靂だった、私にとっても、貴方にとってもそうだった。
前日に安倍元総理が来県されると聞いた奈良県連のスタッフや、現地にいた地方議員たちにとっても、その凶弾は同じく青天の霹靂だった。
『日本にとって、とても大切な政治家を、自分たちの奈良で喪ってしまった。』『申し訳なくてどうしていいか分からない。』
呆然とする中、責任論の一端は彼等にも降りかかりました。それを甘受してきました、耐えてきたではないか、奈良の政治家たちは。慰霊碑の建立、それは誰もが当然のことだと思うだろう、私も当然のこと、当たり前のことだと思う。
その「当たり前」を実現するために、涙をこらえ耐えて耐えて調整を続けてきた政治家たちがいる。
そのことを知って欲しい。
※1 本稿では、この情報を事前に知っていた政治家の名前なども列挙します。
※2 裏の取り方や検証方法も公開します。
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(OGP画像)
まず、この項目を独立して書いておきます。
当たり前の政治事実なのですが、敢えて章タイトルとして記載する。
現職国会議員は当然のこととして、前職国会議員ふくめ、「高市先生と連絡がつく方は単独犯・複数犯なども高市早苗先生に聞いてくれればいい。」とは奈良の地方議員が発した偽らざる声です。
この慰霊碑建立の話は、高市先生を支える奈良県の地方議員らが主導したもので、今回の建立計画が事件直後から議論されていたことを証言する地方議員は多数存在する。
誰か名前を示せと言うならば、事前に許可を得ているので一人だけ名前を出します。
奈良県町村議会議長会の会長を務める、新澤良文議員です。
大阪港湾・武漢MOUの際には、高市早苗・経済安全保障担当大臣に私を含む地方議員たちを面会させてくれました。大臣就任直後は挨拶が多数入り、簡単にとれるアポイントではありませんでした。
また、何の用件かを事前に明示し、大臣室で面会するということは軽いものではありません。それは、市議会の議場で市長が答弁するようなものであり、重みが全く異なるものです。
その調整を一発でつけてしまうほどには、信頼関係の構築されている地方議員です。そこには保守とか左翼とかイデオロギーとか政策というレイヤーではなく、ただ単に長年にわたって支えてきたこと、苦楽を共にしてきた年月がなしうる厚みというものがある。
私自身も新澤議員から「慰霊碑建立」の計画が水面下で進められていることは聴いておりました。また、私のみならず多数の地方議員が同じ話を聞いており、情報としては共有されておりました。
ネット上で騒動になったこともありましたから、私から長尾敬先生にも上記情報は報告させて頂きましたし、新澤議員からも直接報告したと伺っております。
進捗についても逐次、細かく教えて頂いておりました。
また、この動きは自民党の現職国会議員らの内部でも共有されており、慰霊碑建立については相当に前から動きがあったことは、それなりに名の通った著述業・インフルエンサーであれば誰でも検証できる情報です。
ちゃんと情報源をもっている著述業の方ならば、簡単に裏取りできる情報だということは述べておきます。
では、なぜこの情報が表に出てこなかったのか。
より正確に言えば、なぜ表に出せなかったのか。
実は、まさに凶弾に倒れた土地を取得し、せめて花壇にしたいという主張を新澤議員は述べてきました。新澤議員は仲川市長(奈良市)と近い、奈良市議の重鎮の前議長にあの場所に花壇を、それがダメならせめてプレートをとお願いしてきた政治家です。
また近隣の土地についても収容できないかという調整を奔走してきたのは、新澤議員だけではありません。あのとき、何もできなかった、無力感に打ちのめされ、一生をもって責任を背負うと後姿で語った奈良県の多数の政治家たちです。
特に行政用の土地というのは、右から左にポンポンと動くものではなく、いま発表されたということは凄まじいまでの長期間の事前調整があったことは常識としてご承知おきください。そして、それは事件発生直後から全力で動いてもこれだけの時間がかかることを一人のプロとして述べさせてください。
奈良県は、それでも難しいのです。
あの場所は、奈良県内でも都心であり交通量の多い箇所。もともと道路工事を行っていたのであり、それは市の事業計画に基づくものでした。新澤議員はその土地の収用も希望する側の議員であり、その声は多数あったものの、こことは都市計画(意外に変更の難易度が高い)の絡みで実現には至っておりません。
何が難しいのかと言えば、文化財です。
どこを掘っても文化財が出てくる。まっすぐな道路を一本通すだけでも難航し、バイパス一本に苦労する。道路整備や公共事業が極めて難しいことは、県外からは理解しがたい奈良の現実です。
過去のことにはなりますが、線路や駅舎を建てる際も苦労があったのではないでしょうか。駅に最寄りのデパート等、あれだけの施設を一か所に寄せることが極めて難しい土地柄です。大和西大寺駅前の渋滞解消、駅前交差点の道路整備は簡単な事業計画でもなかったのでしょう。
計画変更も視野に様々な調整がなされていきました。
あれはできるのか、これはできないのか、市の土地を買いとる形はできないのか。
ネットではボコボコにバッシングされながら、誰にも何も言わず、耐えて耐えての調整が続きました。
うまく行った話もあった、計画のみで終わった案もあった、
公式・非公式を問わず、凄まじい苦労がそこにあったことは私は証言します。
文化財だらけの奈良県には、奈良ゆえの難しさがありました。
慰霊碑を建立する、全国から見れば”ただそれだけのこと”が極めて難しかった。
新澤議員の主張した、花壇案についての進捗。下記は、新澤さんから送られた文章のまま、本人の許可を得て掲載します。
>奈良市の有識者や一部の市民があの場所に形のあるものを残すと市民が前を通る時に悲しい事件を思い出してしまうとの訳のわからない理由で花壇はダメになりました。
>凶弾に倒れた場所へのプレートの設置はまだ諦めてません。
>これからも言い続けて行きます。
奈良の地方議員たちからは、以下の先生たちのお名前をお伺いしました。
冒頭で述べたように、県連会長として高市先生が率先して動きました。
奈良県連会長代行の堀井巌・参議院議員も凄まじいご尽力をされていたこと。全国の人は知らないかもしれない、堀井先生は清和会の、安倍派の先生です。
そして小林茂樹衆議院議員。奈良一区選出、まさに大和西大寺を選挙区に含む先生で、あの時に傍にいた先生。二階派の所属、実はウイグルの街頭活動にも参加してくれた先生です。
佐藤啓参議院議員、あのとき安倍元総理から応援を受けていた候補です。安倍派の、清和会の先生です。
つかぬ調整を何とかすべく地方議員の多数が奔走しました。ベテランも新人も問わず、心ある先生たちが走り回った。責任を噛み締め、言い訳ひとつせずに。その後ろには、奈良県の国会議員たちの姿があった。
振り返って欲しい。
自民党の現職国会議員で、誰か苦言を呈しただろうか。
否定的なこと、奈良を攻めた者がいただろうか。
高市早苗・県連会長が率いる奈良県連を、誰か批判したろうか??
特に安倍派(清和会)の先生たちが何か言及しただろうか。
私からは、これがネット上で誰しも把握できる最大のソースだと思う。
もし何もされないのであれば、誰よりも怒りの声を挙げたのは清和会だったろう。
他でもない、総裁選で絶大な支援を受けた高市先生が県連会長を務めているからこそ、清和会所属の国会議員らも何も言わなかった。それが全てだ。
この動きがあることも、そして実現に向けて奔走していることも、
併せて奈良県においては土地取得が極めて難しいことも含め、みんな分かっていた。
表に出せば、逆に難しい状況に陥ってしまうことも理解していたのだろう、
だから黙った。少なくとも私はそうだった。他の地方議員や国会議員も同様だと思う。
ここまでお読みの上で、下記の産経の記事を熟読して頂きたい。地方議員の名は、新聞記事では略されることが多い。私の知り合いも、そしてこの記事を書くにあたって協力してくれた現場の地方議員たちが、その行間に確かに息づいている。
この記事の後段部分は、Twitterで出回った画像では見切れている部分なんだ。
そして、ここに本当に戦った人たちの思いと願いが込められている。
高市早苗先生を支え、そして奈良県を守るため戦う者たちの顔が見えてくる。
頼む、彼らを後ろから撃つのはやめて欲しい。
では、記事をさらに補足していこう。事態が見えてくる。
新聞では書ききれていない部分がある。
奈良県は保守王国と言っても過言ではなく、奈良一区で野党に小選挙区を明け渡すも(自民は僅差で比例復活)、小選挙区の全ての支部長が現職であり、参議院(奈良県は1人区)表裏の2名ともが自民党だ。
しかし、それは結果のみであり、実は相当に難しい土地柄であることは、政治に詳しい者は知っている。例えば奈良市長選は激戦が繰り広げられた過去があり、自民党の独自候補は敗退。立憲系の市長が当選したのだが、問題はその得票分布にある。維新が猛追している選挙区でもあり、自民党が独自候補を立て続ければやがては陥落することは誰の目にも明らかだった。
のち、現職(元・立憲系)に自民党が推薦を出す形となっているが、これは奈良県連として維新の浸透と対決する意思表示だと考える。日本地図は頭に入っていると思いますが、奈良市は大阪に非常に近く、奈良市民であっても大阪で就職している方は多い。
かつ、奈良県全体が保守王国であることが事実だとしても、「奈良市」単独で見ると左派色もある。今回、非常にピリピリして動いていたのは、慰霊碑建立の話が(本格的に決まる以前に)表に出れば、世論が拮抗してしまう危険性を恐れた。基地問題などで住民投票が行われる場合があるが、仮に奈良市単独で慰霊碑建立の是非を問う構図にでもなれば、万が一があるとすら言われていたのは事実です。
(このあたりは、政治に詳しい人、ポイント表を読める人にとっては常識です。自民党の現職議員らが(恐らく意識して)黙った理由はここにある。)
奈良市民を左派のように言うつもりはありませんが、文化や芸術関係が強い地域においては、なぜか保守が弱い事例は他にもある。要因については正確には分からないが、奈良市単独の話に持ち込まれると非常にまずいことになる。政治問題化させず、水面下での徹底的な調整がはかられた理由はここにあると思っています。
無論、維新が反対してくるとは思わない。
しかし、これは争点にはできない。
争点化すべきではないのだ、自民支持者にとっても維新支持者にとっても。
あくまで「日本国の元総理」の話なのだから、政党間の話ではない。
また、奈良市単独の話でもない、それはネット保守と同じことを奈良の議員たちも思ったのでしょう。
だからこそ伏せる、ただ黙る。
自分たちがサンドバック状態になったとしても、どんなに苦しくとも悔しくとも、「絶対に慰霊碑を建てるんだ」という覚悟をもって。
来たる統一地方選において、奈良県知事選が開催される。
現職の去就も注目されているが、高市先生が支持する「平木(ひらき)しょう」奈良県知事選予定候補者の存在もある。
奈良県連が平木(ひらき)予定候補に一本化するまでにもひと悶着あったようだが、高市早苗県連会長の判断もあっての擁立だと理解している。現職知事も出馬方針を示しており、保守分裂となる危険も内包している。
平木(ひらき)予定候補は、総務省出身。岐阜県の副知事を務めており、岐阜は古屋先生の選挙区でもある。
平木省 公式ホームページ
https://hiraki-sho.jp/
仮に保守分裂となった場合、維新が台頭する危険性はすでに指摘されている。
その場合には、県連会長の責任を問う者も出てこないとも限らない。
そんな状態下で、まさに奈良県の命運をかけた中で、安倍元総理の慰霊碑建立は推進された。
もしも知事が陥落することがあれば、次は県内他市の市長が徐々に維新に。
すでに市議には多数の維新市議がおり、やがては小選挙区も狙われてくる。
つまり、高市早苗先生の奈良二区も含め、難しい状況に陥る未来だって覚悟せねばならない。
そういう危機感のもと、奈良の地方議員たちは奔走し続けてきたのです。
もしも、高市早苗県連会長、そして奈良の国会議員たちに「よく耐えた、がんばった」と思って頂けるなら、できれば”平木(ひらき)”という名前も覚えて欲しい。
政治家が、言論の自由に介入することは許されない。
なかには陰謀論みたいなものもあったろう、現場として言いたいこともあったろう、
慰霊碑のことなどは実際に進んできた話だった、進捗だって言いたかったろう、
悔しかったろう、人前では見せぬ泪をこぼした夜もあっただろう、
けれども、ただの一人も口を割らずに黙々と頭を下げ続け、なんとか建立を発表するに至った。
政治家の発信は重要だ、私も発信すべきだとは思う。
しかし、政治家の仕事は発信が第一優先ではなく、現実を変えることにある。
奈良の政治家たちは、安倍元総理の慰霊碑建立が発表できるだけの体制まで整えました。
私は何も言い返すことなく、ただ職務を成し遂げた彼等の流した汗を証言したい。
安倍元総理がテロリストの凶弾に、命を奪われました。
誰にとっても青天の霹靂、やり場のない怒りは現場にも向きました。
奈良の政治家たちは、それをまっすぐに受け止め、文句も言わずに調整を重ねてきました。
当たり前のこと、慰霊碑を建立する「当たり前のこと」を実現するため、耐えてきた人たちがおります。
いまは、彼等にも労いの言葉をかけて欲しい。
誰よりも責任を感じ、だからこそ黙らざるを得なかった者たちが、実は必死に戦ってきたこと。
どちらが偉いとかではなくて、共に喜ぶという姿を私は皆様に期待します。
とても悲しいことがありました、悼む思いは誰しも同じです。
奈良には、心ある政治家たちが確かに在ることを伝えたい。
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たった一言申し上げますね。
胸のつかえが取れた心地す。
そうでしたか。暫く前に現職の市長が慰霊碑建立に反対の立場だと読んだので、よその地区の行政が決められる事だと思い、仕方ない事だと思ってました。慰霊碑が建立されても、されなくても安倍さんの日本に対する強い思いと日本を強い国にして国民を守ろうとしていた、私達を導いてくれていた国家観のレガシーは私達の胸の中に遺っています。ただ、安倍さんの様な人はもう日本には二度と現れないのだと思って涙するばかりです。
野卑なマスゴミや特ア御用達の野党の連中、安倍さんになら何をしてもいい、何をやってもいいと声を張り上げ声闘していた徒党らが山上のようなモンスターを生む状況を醸成していたのだと気づかされ何も出来なかった、安倍さんを守る事が出来なかった私達は如何に非力であるのかを知りました。安倍さんの魂よ、安らかに。貴方が居なくなると、こんな惨憺たる日本にされてしまうのですね。衰退、劣化のスピードが速すぎて呆然としてオロオロしているばかりになりました。
今朝の遠藤さんの記事で安倍さんの慰霊碑建立を個人崇拝にしてしまおうとしているアベガー!族に一喝の鉄槌が下されています。
『東京駅構内には、大正十年十一月四日に丸の内南口で暗殺された原敬元首相の、さらに昭和五年十一月十四日に当時の第四ホームで銃撃された濱口雄幸元首相の遭難場所が記されています。
濱口元首相は一命を取り留めましたが、それでもホーム直下の現中央通路に印が施されており、後世の私たちに伝えているのです。安倍元首相の遭難場所がかき消されることへの抵抗は、当然のものと思います。』
http://endokentaro.shinhoshu.com/japan/post9437/