ともすると、生活にも行き詰まり、悲惨な人たちが集う場所と思われがちだが、実態は少し違っていた。当たり前に人が培うべきアイデンティティを求めにくる人たち。繰り返される日常を生き抜き、年末年始に自分の存在を確かめる。

 そこで思ったことがある。自分のアイデンティティが確立できていない人は、もっと他の場所にいる。

釜ヶ崎の住人よりもネット民のほうが孤独なのでは

 昨年、ネット配信された私の記事がSNS上で炎上することが度々あった。酷いものでは、ネット上での誹謗中傷をなくすことを訴えるある被害者が、論外なことをツイートしただけで、私を誹謗中傷する書き込みのオンパレードとなった。その人たちの多くは、私の書いた内容を正確に理解できていなければ、読みもしないで、口汚い言葉で罵り続ける。自殺した女子プロレスラーの木村花さんの気持ちもわかる気がする。それでもこの人たちは、それが許されると信じている。

 誰かを一斉に攻撃することで、ひとつの価値観を共有する集団に所属していると感じられる。インフルエンサー的なリーダーがいれば、より効果的だ。そこから自分は正しく、攻撃されるべき相手は間違っていると区別し、優越感に浸る。そうやってアイデンティティを確かめる。そうでしか自分の居場所を見つけられない人たち。

 不満や怒りが爆発して、釜ヶ崎暴動は繰り返された。ネット上の炎上もそれと変わりない。むしろ、もっと寂しい人たちが溢れているのではないかと感じさせられる。それに比べたら、いまの釜ヶ崎のほうがよほど天国に違いない。