すでに陽は西に大きく傾き、丸い月が顔を出していた。三角公園には、炊き出しを待つ人の列ができている。
だが、そこに悲壮感はなかった。公園内にはステージも設置され、ロックバンドや演歌歌手が入れ替わりながら、ちょっとしたコンサートを行っている。『第53回釜ヶ崎越冬まつり』と銘打ったこのイベントは、毎年支援団体が12月30日から1月3日まで開催している。そこで炊き出しが行われる。
「テレビやドキュメンタリーは悲惨なものばかり求める」
それも、「越冬」とはいうが、ここでの炊き出しは救済というより、むしろ「まつり」の振る舞いに近いものがある。
「テレビやドキュメンタリーは、悲惨なものばかり求めるから、このあたりの実態が正確に伝わっていないところがある」
高齢の関係者が話していた。ここは居場所のない人たちに、集まれる場所を提供しているのだ、という。
人は集団に所属して生きている。その集団との関係において、アイデンティティを見出していく。
ここにやってくる労働者たちも、故郷をあとにしてやってきた。最初の頃は、関西という土地柄もあって、沖縄の人たちも少なくなかったそうだ。彼らがいわば日本の経済を支えた。東京でいえば、上野に上京してきた集団就職のイメージだろうか。そうした労働者には、故郷には跡取りの長男がいるなど、二男や三男も多かった。故郷にいても居場所を探さなければならない。出てきてもひとりぼっち。年末年始に仕事が休みになって、いくところもない。そこで居場所を作る。人といることでアイデンティティを確かめる。だから、毎年のお盆になると『夏祭り』を主催して、やっぱり炊き出しをする。そうやって自分の存在を確かめる、そんな場所を提供しているのだ。私の耳にはそう届いた。