計十数億円寄付の意向 上田城の櫓の復元向け 複数の市民、市に相談
■今春にも有志が推進団体
江戸時代に7棟あったとされる上田城本丸の櫓(やぐら)の復元に向け、複数の上田市民が計十数億円を寄付したい―と市に相談していることが6日、分かった。国史跡の上田城跡を巡っては市教育委員会が2022年度、復元を見据えた新たな事業に着手。市も23年度に組織改正して推進する方針を示しており、寄付はこうしたタイミングも踏まえた動きとみられる。
現在は3棟あり、4棟が復元の対象=地図。寄付は過去にもあり、直近では18年12月上旬に市民有志らでつくる「上田・城下町活性会」が100万円を寄付。これを契機に、匿名の市民が同12月末に10億円を寄付した。関係者によると、今回、市に相談しているのは別の市民。寄付の方法や時期などについて検討している段階という。
櫓の復元には従来、現存した頃の写真や詳細な地図などの根拠が必要とされ、めどが立っていなかった。転機は20年、国の文化審議会が決めた新基準だ。国史跡などで歴史的建造物を復元する際、調査を尽くしても本来の意匠などを示す資料が見つからない場合に「復元的整備」として再建できる手順を示した。不明確な部分を明示し、元の建造物に忠実な「復元」と区別する。
現存する3棟のうち西櫓は唯一、解体も移築もされず江戸時代からそのまま残る。市教委は西櫓を復元的整備の参考資料として認めてもらえるよう、文化庁と協議を進めている。一方、22年度には武士が出陣前に集合した「武者だまり」の整備に着手。跡地にある旧市民会館を解体し、史跡をふさわしい姿に戻す。22年11、12月には発掘調査を行った。
今回、市民らと市を仲介した関係者によると、復元的整備の機運を高めるため、23年春にも市民有志が推進団体を発足する動きがある。クラウドファンディング(CF)を含め、市内外に寄付を募り官民一体で取り組む流れを生み出したい考えだ。
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〈上田城〉 戦国武将真田昌幸が1583(天正11)年に築城を始めたとされる。関ケ原の戦い(1600年)の後、徳川方に破壊され、その後に藩主となった仙石忠政が復興した。幕末まで7棟あったとされる櫓は明治時代に入って売却されるなどしたが、西櫓だけは解体や移築を免れた。払い下げられた櫓のうち、市内で貸座敷として使われた2棟は市民の寄付で買い戻され、1949(昭和24)年に北櫓、南櫓として復元完了。西櫓を含む3棟が県宝になっている。94年には南北2棟の間に東虎口(こぐち)櫓門も復元された。
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■上田城の櫓復元に役立てて 上田市に10億円、匿名市民が寄付(2019年2月19日付朝刊)
https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2023010700297
■上田城跡 「武者だまり」の写真を発見 明治時代に撮影か