第6話 祓葬開始

「魍魎が目視で確認されたのは今から十八時間前。噂自体は数日前からありました。最初の不確かな目撃情報の時点で負因子妖素の高まりが確認され、我々補佐師の結界で現場を封鎖しておりました」


 時刻は午後三時。

 奏真とクラム、そしてこの依頼を受けていた別のメンバー二組が集まるのを待って、退魔補佐師から説明を受ける運びとなった。


「自走式ドローンが確認したところによりますと、確認できた魍魎は西洋魍魎のスラックトパスに、極東魍魎の鬼丞鰐キスケワニ。それぞれ五等級と四等級ですね。これらが群れをなし、鬼截路きせつろ発生手前で負因子妖素は飽和寸前という状態になっています。このまま放置すれば実像空間の異空間化鬼截路が発生するでしょう」


 実像空間の異空間化。それは現実世界に象を結んでいるこの空間が、負の因子を内包した妖力粒子――妖素によって書き換えられる現象だ。


 妖素はハドロンに近いもの――それを構成する妖素が強固な結びつきで相互共鳴を起こし、現存のあらゆるエネルギー資源を上回るエネルギー変換効率を誇っている物質であるとされているのだが、その妖素の中でも負の因子が強いものは閾値を超えると実像空間を蝕み、異空間化を引き起こすことが確認されていた。

 奏真は物理学に対して造詣が深いわけではないので、ハドロンがどうとかクォークがどうのとか、果てには閉じ込めがどうだとか言われてもわからないが――専門知識がない彼でもこれくらいのことは退魔師界隈の一般常識として知っていた。


 さても魍魎が撒き散らす負因子妖素を止めるには、端的にその魍魎を祓葬ばっそうするのが手っ取り早い。

 にべもなく言えば「世界に悪影響が出る前に魍魎どもをシバいてこい」というのが魍魎退治の根幹にある、退魔師とそれを管理監督・運用する退魔衆の総意である。


「さて、今回は新人さんもいらっしゃいますが。……ご安心を、黒塚少年は本土で上等級退魔師をされている方のお孫さんで、シェンフィールドさんは見ての通り竜族。油断さえしなければこの程度の相手に遅れは取らないでしょう。

 失礼、わたくし、退魔補佐師の深山秋次みやましゅうじと申します」


 深山補佐師の言いたいことは、端的に表現すれば油断するなということだろう。つまり、祖父の七光りで図に乗らないようにと、釘を刺しているのだ。

 考えすぎかもしれないし、こうやって額面通りに言葉を受け取れないというとネガティブに思えるが、思慮深いといえば冷静沈着な退魔師という印象を与えることができる。

 奏真たちは深山補佐師の言葉を聞いている風を装いつつも、それに動揺したり気を荒立てたりする素振りは見せなかった。


 色々な規則、学生であれば学則があるのは当然だが、現場で戦闘職を生業とする戦闘員型の退魔師の場合腕っ節で成り上がるのが常である。舐めた態度を取られ、それがまかり通ると知られればおしまいだ。

 だからこそ弱みや悩みというのは真に心を許せる仲間やバディにしか漏らさないのである。退魔師同士の恋愛やブロマンスを描くドラマなんかが極東に多いのはそれが理由だった。

 それに腕っぷしとはいえ、ある程度の話術や処世術も出世には必須。よしんばそれらが欠けていたとしても、度を超えた横暴な態度や失言は、将来上に行く際に禍根になる。


「質問がないようですので、打ち合わせ通り黒塚君たちは南側から、吉井君たちは西、久保坂君は北からお願いします」


 三ペア六名でこの依頼にあたる。吉井と呼ばれた二組は三等級と四等級の、学生ではなくここを拠点にしている一般退魔師で、久保坂と呼ばれた二人は四等級二名からなる三年生だった。

 七年制度の学園の中では三年生でもまだ半分は行っていない。燦月学園では卒業までに高校と大学を合わせた期間をここで学ばなくてはならないが、卒業証書という箔がつけば退魔衆のみならず、一般企業でもいい待遇で就職できる武器になる。それが理由で学園に――特に就活のための者は退魔師コース以外を選んで――くる。

 無論奏真は退魔師としての腕を磨くことが目的なのだが、それはさておき。


 旧学舎の南には施錠された昇降口への扉があった。頑丈なスライド式の鉄扉であり、補佐師が物理的なロックを解錠して結界術の札を剥がし、封鎖を解いた。

 ほかの西と北でも同じことが行われたのか、旧学舎に抑え込まれていた負因子の気配がやや漏れ出す。

 甘ったるいような、生暖かいような感覚。不思議と不愉快になる――そんな感じだ。

 余談だが、これに耐える訓練をひたすらするのが五等級資格を取る上で必須の課題であったりする。


 旧学舎に入ると、その嫌な空気はいや増す。死んだ生き物の腐敗臭、へどろのようなひどい臭いが立ち込めている。

 殺意を禁じられた度胸試しのような対人戦闘ではない。ここはもう立派な戦場で、少し油断すれば即座に死に至る領域である。


 奏真は腰の刀に手を伸ばし、柄をしっかりと握り込んでから親指でシンプルなデザインの円状丸型鍔を押し上げて鯉口を切る。

 蛭巻塗の黒と藍色の鞘から顔を出した白銀の刀身が窓から差し込む日差しを照り返し、鋭く煌めいた。

 刀身には竜の骨とも角とも言われる素材を用いており、それに月から持ってきたと噂される特殊な金属を合金しているとされている。

 本当に月の金属かどうかは知らないし、嘘かもしれないが、家の巻物にははっきりと月の金属の文字が踊っていたのを覚えていた。


 輝夜竜征かぐやたつまさ。それがこの刀の名前だ。


 隣のクラムは式符から一振りの斧槍を顕現し、両手で握り込む。

 彼女はそれをバトンのように扱ってから構えをとった。身の丈ほどもある武器を手足の延長のように滑らかに扱う技量はさすがと言えよう。


「なんとなく嫌な感じがする。キスケワニは本土にいた頃戦ったことがあるけど……」


 窓から差し込んでいる日差しが埃を浮き上がらせ、浮き彫りになる光の柱を妙に神々しく見せている。

 あたりの空気の嫌な感じが増し、奏真たちは魍魎が近いことを悟った。

 いっとう気配の濃い教室の前で頷き合うと、奏真がドアを開いた。

 そこにはうずくまって何かを貪る――飛び散っている血液量からして人か妖のどちらかだろう――スラックトパスがいる。


 ヘドロスラッジダコオクトパスの名の通り、全身を悪臭の漂うべたべたした液体で覆っていた。この校舎に迷い込んだ動物の腐敗臭の何倍もきつい。

 そのスラックトパスが反応し、こちらに体を向けた。数は四体。奏真は刀を手に意識を研ぎ澄ましつつも、あたりに気を配る散漫な集中状態に入った。この手のスイッチの切り替えは幼い頃から祖父に教え込まれている。

 クラムも視線を鋭く尖らせ、同胞の命を喰らう化け物を睨んだ。

 死体は獣の尾を生やした妖怪だったのだ。


「来るぞ——祓葬開始!」


 スラックトパスが体をたわませ、飛び掛かってきた。奏真とクラムはそれぞれ左右に飛んで回避。擦過したスラックトパスの一体をクラムが放った斧槍の一撃が粉々に砕く。

 ぐしゃりと潰されたヘドロダコは動きを止め、完全に沈黙。薙ぎ払う一撃でそれを払い飛ばすと、残る三体を確認。


 低姿勢で駆け抜ける奏真が今まさに飛びかからんとしたスラックトパスに斬撃を叩き込んだ。綺麗にスライスされ二つに切り分けられたそいつは何が起こったかわからないというふうに足をバタつかせ、命を終える。

 一息の間に二体が絶命し、スラックトパスは色めきたったように足を床に叩きつけた。血溜まりがぴちっと跳ね、奏真は食い荒らされた死体の惨状を見て奥歯を噛む。


 自分は妖怪ではない。けれど妖怪の死体を見て無感動を装えるほど、妖怪の存在を他人のように思うこともない。

 そう思うのは、恐らく長らく妖怪の土地であった裡辺で過ごしてきた先祖の血が深いところで流れているからだろうか。


 クラムが腰に引いた斧槍を突き出し、スラックトパスの一体に刺突を放った。飛び跳ねて回避したものの、次の瞬間勢いよく振り上げられた斧刃に叩き切られてべしゃりと床に落ちた。

 最後の一体。クラムに向かって飛びかかるそいつを、奏真の真っ向唐竹割が横合いから炸裂して頭からヘドロダコ叩き切り、あっけなくフローリングの地面に墜落させた。


「ここはどうにかなったな」


 刀にべったりとへばりついた血とヘドロがぱきぱきと乾燥し始めた。目を転じれば魍魎の死体もまた一気に乾燥するように、まるで炭のように炭化し、次の瞬間ざあっと吹き払われるようにして消え去った。

 あたりに飛び散ったスラックトパスの血とヘドロも同様である。


 が、そこに——、


「奏真さん!」

「わかってる!」


 後ろに飛び退いた。次の瞬間教室のドアを突き破ってキスケワニが現れる。

 後ろ足二本で歩行する大鰐——全長はゆうに二メートルを超え、体高は奏真の胸まである。体重は恐らく三〇〇キロ近いのではないだろうか。

 深い緑色の外皮には青黒い鱗の模様がところどころに浮かび、てらてらと煌めいている。


「血の匂いに誘われたんだろうな」

「四等級を引くなんて、持ってますね私たち」

「こんなやつを引く運なんていらないよ」


 グルル、と喉奥を鳴らすキスケワニ。足がぐっとたわまれ、奏真とクラムは示し合わせたように左右に散った。

 飛びかかり、思い切り噛みついてきたキスケワニの一撃を回避。クラムが振り返りざまに斧槍を叩きつけ、顔面に痛打を叩き込む。びりっ、と響く手応えにクラムは奥歯を食いしばり、力任せに張り飛ばした。

 奏真はその頑強さを前に舌打ちしつつ、妖力を練る。


「術を使う」


 短く奏真はそう言って、練った妖力を呼び水に腰のポーチに刺していた天然水のボトル取り出し、片手でキャップを跳ね飛ばした。すると中身の六〇〇ミリリットルの水が左掌に吸い寄せられて渦を巻く。

 激しくうねりつつもどんどん圧縮されていく水。高圧に達したそれをキスケワニに向け、


穿牙せんが〉!」


 水のビーム。そう呼ぶにふさわしい、超高圧の水鉄砲が放たれた。

 キスケワニの横っ腹に命中したそれはわずかな抵抗の後、そのまま肉体を貫通。魍魎が悲鳴を上げてよろめいて、クラムが妖力強化で腕力を増した斧槍の一撃を、傷に二度打ちする形で叩き込んだ。

 水圧によって割れるように穿たれた傷口から入った刃が胴を抉るように切り裂き、そのままの勢いで内臓をズタズタに引き裂いて夥しい血をぶちまけさせる。

 振り抜いた斧槍を手にクラムはたたらを踏んで沈んだキスケワニを睨み、ぴくりとも動かないのを確認してから息を吐き出した。


 奏真は空っぽになったボトルをポーチのホルダーに戻す。


「いつもは圧縮ボトルを持ち歩いてるんだけど、……いや、言い訳はなしだ。俺の術式を封入しないと圧縮ボトルは作れないんだけど、それを後回しにしてた。裡辺の魍魎は本土とは別物って聞いてたけど、クラムの一撃で切れないとは思わなかった」

「そういうことですか。いえ、私も裡辺の魍魎については聞いていたんです。よその土地よりずっと強いぞ、って。慢心していたわけではないんですが、四等級なら一撃で仕留められると思っていましたよ。……それにしても、術を持ってるんですね」


 奏真は首を縦に振った。


「うちは水の術式……〈水竜操瑰すいりゅうそうかい〉を持ってる。明治時代くらいの先祖が蛟竜様から賜ったとかなんとか」

「やっぱり竜と仲がいいんじゃないですか、奏真さんのおうちって」

「仲がいい、ってよりは竜に気に入られた、って感じじゃないか? 俺も祖父さんの話を全部聞いたわけじゃないから」


 奏真は手元のエレフォンで依頼の進捗を書き込む。すると、他のチームはすでに二階、三階、四階を巡回して魍魎を撃滅したと書いてあった。

 奏真もそこに一階で起きたことを書き込んでから、他の教室を確認。残存魍魎がいないことを書き込んで、補佐師の帰投指示をもらってから旧学舎を出た。


 時間的には二十分たらず。とはいえ、裡辺特有の強力な魍魎に驚かされたおかげで精神的な疲れが大きい。なにぶん魍魎はヒトが発する負の因子を含んだ妖素——あるいは妖力自体が実体化したものなのだ。

 退魔師という職業を全うする以上、絶対と言えるほど全ての退魔師がメンタルケアを必要とするし、それゆえ心理カウンセラーという職業は退魔師にとっては欠かせない存在なのだ。当然、悩みを打ち明けたり仕事を共にする相棒の存在も必須といえ、単独行動する退魔師が極端に少ないのもメンタル面における理由が主だったりする。


「皆様、お疲れ様です。観測用に飛ばしたビットドローンの計測結果によりますと、負因子妖素濃度の低下が見られました。魍魎が存在しないといえる基準にまで低下しておりますので、皆様の祓葬に問題はないと思われます」


 旧学舎の外、補佐師の深山秋次が気を利かせて渡してくれたチョコレートバーを齧っているとそのような報告がなされた。吉井班、久保坂班の面々も、思い思いに深山補佐師から受け取ったおやつを食べている。

 なんだかんだで腹が膨れれば大抵の不愉快さは解消できる。特に甘いものはストレスを緩和させるし、ちょっとした休憩があるとないとでは仕事の効率が段違いである。


「手早い祓葬、お見事でした。ではもう少ししたらこちらに退魔衆の職員が来ますので、それまで羽を休めていてください」


 深山補佐師はその職員と連絡を取るため、エレフォンを両手に二台持ち、会話しながらメッセージを打ち始めた。


「リエラさんたちも上手くいってると思いますが、いやはや、入学式前に出会って一発で仕事がうまくいくとは……やっぱり、竜と竜好きは惹かれ合うんですねえ」

「そういえばクラムは竜王になるんだっけか。……操竜術は祖父さんから習ったけど、何年竜に乗ってないかな」

「乗ったことがあるってだけで驚きですよ。野生の竜ですか?」

「いや、祖父さんの知り合いが連れてた翼竜ワイバーン。空飛んでるとどんな悩みもちっぽけなことに思えて、好きだったな」

「機会があったら、私に乗せてあげますよ。あ、でも操竜術に関しては私妥協しませんから」


 自慢げに鼻を鳴らすクラムに、奏真は微笑んだ。


「そのときは全力を尽くすよ」

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