東日本では“まれ”な系統の土器が大量発見 時期は弥生時代前期 長野市の塩崎遺跡群

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塩崎遺跡群で出土した弥生前期から中期初頭の土器を調査する石川教授(左)ら=昨年12月5日、長野市の県埋蔵文化財センター

 長野市篠ノ井塩崎の塩崎遺跡群から、県内をはじめ中部・関東では出土が少ない弥生時代前期(紀元前3、4世紀ごろ)の遠賀川(おんががわ)系統の土器が数百点まとまって見つかったことが4日、分かった。発掘した県埋蔵文化財センター(長野市)や土器を調べた明治大文学部の石川日出志教授(考古学)によると、遠賀川系統の土器はこれまで西日本を中心に出土し、東日本ではまれで「今までにない数」。県内で弥生前期に人々がどう暮らしていたかはよく分かっておらず、歴史の空白を埋める可能性もある。

 弥生時代は朝鮮半島や大陸経由の渡来人が西日本に渡り、稲作をもたらし農耕社会を築いた。センターによると県内では弥生中期以降の遺跡が確認されている一方、前期は針塚遺跡(松本市里山辺)や林里遺跡(下伊那郡豊丘村)などで遠賀川系統の土器数点や墓の出土例はあるものの、住居や水田など暮らしの痕跡は見つかっていない。

 福岡県を流れる遠賀川沿いで最初に見つかった弥生前期の遠賀川系統の土器は、木の葉の模様や複数の横方向の線、ひもを通す細かい穴などが特徴で、北九州から近畿、東海地方で多く出土。東日本では限られて…

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