人口1万人 「世界の医療、ここから変える」
水曜の昼下がり。診療所の庭先のテントから、看護師と高齢女性の話し声が聞こえてきた。
「検査どうでした?」「ずいぶん良くなってるって。安心しました」
診察を終えた森徳郎院長(37)も、愛犬スプー(スプートニク)を連れてやってきた。白衣を脱いで木の椅子に腰掛ける。「久しぶりに暖かいですね」。コーヒーを飲み、10メートル以上はある庭の木々を見上げた。
この日は週1回のテントカフェの日。切り盛りする看護師の秋貞真弓さん(27)は「患者さんも医師も看護師も、立場を超えて話せる場なんです」。
◇ ◇
千葉県白子町で100年以上の歴史を持つ大多和医院は1915年に開院した。森さんは2021年4月、院長に就任した。
北海道で生まれ、中学、高校時代を九州で過ごした。パイロットに憧れて防衛大を受験したが、「厳しい寮生活は高校までで十分」。併願していた北里大医学部に進んだ。研修で各科を回り、誘われた総合内科を選んだ。
神奈川の中核病院に勤務し、年に数カ月は山間部や離島の支援に出かけた。「半径200キロの範囲に医師は自分しかいない。そんな場所では、何科の医師かなんて関係ないと分かった」。中核病院では、末期がん患者の緩和ケアチームの立ち上げにも携わった。
◇ ◇
医師として経験を積む中、日々の業務に疲弊する先輩たちを見てきた。違うことをしたいと、発展途上国などで医療支援をする認定NPO法人「ジャパンハート」(東京)に入り、17年にカンボジアへ渡った。
毎日のように訪れる重い病の子。自分の腕の中で体温を失っていく子がいた。「何かを変えたい」。1年だった渡航期間を延ばし、ミャンマーやラオスで医療の仕組みづくりなどを手がけた。「スポンサーを獲得するために、病院の外の人と話す機会が増えた。その経験は大きかった」
20年春、ジャパンハートの新型コロナの医療事業に加わるために帰国した。次の活動の場を調べていた時、医師のマッチングサイトで大多和医院が院長を探しているのを知った。先々代が亡くなり、県外にいる親族の医師が院長を兼ねている状態が続いていた。
外房地域は学生時代に遊びに来たことがある。敷地はサッカーコートより一回り大きい。「いろいろとできそうだ」。心を決めた。
◇ ◇
人口約1万人の白子町は全国から若者らが訪れる「テニスの町」。だが、人口減や高齢化が進む。内科は三つしかない。「町の延長線上に、へき地医療がある。ここで新しいモデルをめざしたい」
念頭には「社会的処方」という英国発の考え方がある。「気分が落ち込む人に薬を処方するのではなく、趣味の集まりにつなぐ。地域の資源を使って、患者の健康や幸福度を高めていく。そのために、医療者が地域のいろんな人と関わっていくべきだ」
草が伸び放題だった庭を地元住民が整え、昨夏、子どもたちと一緒にひまわりを植えた。「サマースクール」では、診療所の中も使ったかくれんぼや木工体験をした。
◇ ◇
テントカフェは「生活に楽しみがない」と話す高齢者の声をきっかけに、屋台営業の許可を取った。春には常設の店になる。秋貞さんは「町づくりに力を入れている会社の協力で、木の小屋を建てる。店先のウッドデッキは地域の人と一緒に作れれば」。森さんの考えに共感したコーヒー焙煎(ばいせん)士も県外からやってくる。
敷地はまだまだ広い。「いずれは公園を中心に、お年寄りと子どもたちが一緒に楽しめる場所にしたい」。そんな構想を持っている。昨年11月、中学3年生に講演した森さんは、こう語った。「白子町から、世界の医療を変えていこうと思う」(相江智也)
◇
休日や夜に白子の海を訪れることが多い。お供するのは、大多和医院の「セラピードッグ」として親しまれている愛犬スプートニク。古(ふる)所(ところ)海岸から中里海岸にかけて歩き、リフレッシュする。「いろんなことを整理できる必要な時間」
白子町は、九十九里浜の地引き網の発祥の地としても知られている。16世紀半ばに紀州から伝わったとされ、南白亀(なばき)川の河口近くに記念碑がある。
有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。