先に、この度、指定国立大学7校が指定されたことを受けて、それに先立つ国立大学三類型を踏まえた四階層での構成比を算出しました。
「そんじゃ、ついでに」と言ってはなんですが、旧来からの国立大学の歴史的な序列(?)である旧帝大・旧官立大・「駅弁」などについての構成比も描いてみました。
ここでは、下記のように5区分としました。
1つ目は「旧帝国大学」で、戦前の帝国大学令に基づき設置された総合大学の後継大学群です。言わずと知れた東京大学・京都大学・北海道大学・東北大学・名古屋大学・大阪大学・九州大学の7校からなります。ただし、戦前からの総合大学といっても、北大・阪大・名大の文系学部は戦後に設置されています。
2つ目は「旧官立大学」で、戦前の大学令に基づき設置された国立の単科大学の後継大学群です。医科6校(千葉・新潟・金沢・岡山・長崎・熊本)、商科2校(一橋・神戸)、文理科2校(筑波・広島)、工科1校(東京工業)の計11校が後継大学として現存しています。このうち、医科6校は特に「旧六医」といわれ、医学部・大学病院の中でも旧帝大に次いで格式が高いとされています。また、これら旧官立大学のうち、一橋と東工を除いた9校は、戦後に総合大学化され、比較的優遇されて拡充が図られています。
なお、以前に示したとおり戦後になってから旧制の官立大学となった大学もあります。これらは主に医科大学であり、戦後の医師不足に対応すべく急遽旧制医学専門学校から昇格したものですが、旧制大学になって直ぐに新制大学に移行したものですから、あまり旧官立大学とは言われません。ただ、この時に昇格した東京医科歯科大学、弘前医科大学(現・弘前大学)、前橋医科大学(現・群馬大学)、松本医科大学(現・信州大学)、米子医科大学(現・鳥取大学)、徳島医科大学(現・徳島大学)、広島医科大学(現・広島大学)、鹿児島医科大学(現・鹿児島大学)は上記「旧六医」に対して「新八医」と呼ばれており、新八医を含む旧医専は戦後の新設医学部・大学病院より格上と見なされています。
3つ目は、「複合型地方新制国立大学」と言われるもので、上述の地方の旧医専も合併されてこちらに含みます。この複合型地方新制国立大学の大学群を巷では「駅弁大学」とも言われますが、これはWikipediaによれば「1946年(昭和21年)の学制改革に基づいて、1949年に新設され急増した新制大学を揶揄する呼称」でして、「当時、急行列車の停車する駅では弁当(駅弁)が売られていたが、それらの駅がある町(主要都市)には新しい大学があるという意味であり、大宅壮一の造語である。それ以前には帝国大学をはじめ20大学ほどしかなく稀少であった旧官立大学に対して、50大学ほど新たに設置され、ありふれたものである新設国立大学を呼んでいるもの」だそうです。このように戦後の学制改革に伴い、多くの国立大学が地方都市も出来たのですが、これは「文部省が総合的な実施計画を立案するに当たり総司令部より国立大学の大都市集中をさけ、かつ高等教育の機会を全国的に均等化するため一府県一大学の方針が強く要請された。そこで文部省は二十三年六月、新制国立大学設置に関し一府県一大学を中心とする十一原則を定め、多くの大学、高等学校、専門学校、師範学校等につき統合か独立かを図った」結果、各県内で複合して大学となったものです。旧帝国大学や旧官立大学も皆戦後に新制大学として再出発を切ったのですが、一般的にはこの新設大学の類には含まれない扱いです。ただ、この十一原則では「国立大学は、特別の地域(北海道、東京、愛知、大阪、京都、福岡)を除き、同一地域にある官立学校はこれを合併して一大学とし、一府県一大学の実現を図る」となっており、前述の旧官立大学のうちでも特別の地域ではない旧六医や神戸・広島は、旧官立大学とその他の旧制高等教育機関(師範学校を含む)とが統合されたことから「駅弁大学」と見られる場合もあります。当ブログではそういう旧官立大学であっても除外して複合型地方新制国立大学としています。
なお、琉球大学は戦後米国統治下の中で設置された大学で復帰後に日本の国立大学となったため、一府県一大学の対象ではありませんでしたが、当ブログでは機能的に複合型地方新制国立大学の一画と見做してここに含んでいます。
4つ目は「旧制高専等からの単科大学等」です。上記「駅弁大学」と同じく戦後に大学に昇格したものですが、主に上述の一府県一大学の対象外の特別な地域(北海道・東京・愛知・大阪・京都・福岡)の旧制高等教育機関などが単独で大学昇格した単科中心の大学群です。電気通信大学のように文部省以外の省庁の教育機関が大学になるものも含まれています。特別の地域以外では、宮城県は特別の地域となっていなかったため、師範学校も当初旧帝国大学の東北大学に合併されましたが、師範学校相当が後に再分割されて宮城教育大学として独立しています。また、奈良県では、十一原則で「女子教育振興のために、特に国立女子大学を東西二か所に設置する」とあり、その西日本の対象として奈良女子高等師範学校が奈良女子大学として昇格したため、県内に複合化する旧制高等教育機関がなく、師範学校が奈良教育大学として単独昇格しています。
5つ目は「新構想大学等戦後新制単科大学」の類で、戦前に起源を持たない戦後に新たに設置された大学群です。このうち新構想大学とは、文部科学省の『学制百二十年史』によれば「昭和四十三年ごろからのいわゆる大学紛争を直接の契機として、大学の在り方について各方面から多くの問題が指摘され、その改革が強く求められたが、これは、戦後の大学教育の急速な普及や社会経済の変化に対して、従来の大学に対する考え方や制度の枠組みでは対応が困難になっていたことによる面もあった。このため、大学設置基準の弾力化等制度面の改革と並行して、既存の大学の刺激ともなることを期待して、教育上の組識と研究上の組織を区分する試み(筑波大学)や、学長の職務を助ける副学長の設置(新構想大学全部)、学外の有識者の意見を反映するための参与会(筑波大学)や参与(筑波大学以外の新構想大学)の設置などを盛り込んだ、これまでの在り方にとらわれない新しい構想による大学の創設が進められた」ことにより設置されたものです。
新構想大学の中に、同構想よりも以前から「無医大県解消計画」あるいは「一県一医大政策」と呼ばれる医科大学が存在しない地域への国立医学部の設置の計画がなされ、その方針で設けられた単科大学がありますが「大学運営の上でも副学長制や参与を導入するなど新構想大学としての性格をも持つものとされた」ことから、純然たる新構想大学ではないものの、その一画とみなされる医科大学群が含まれています。浜松医科大学、宮崎医科大学、滋賀医科大学、富山医科薬科大学、島根医科大学、高知医科大学、佐賀医科大学、大分医科大学、福井医科大学、山梨医科大学、香川医科大学がそうでしたが、その多くが現在は前述の複合型地方新制国立大学と県内で合併しており、現在は浜松医科と滋賀医科を残すのみとなっています。なお、旭川医科大学については、「無医大県解消計画」よりも以前から構想されていたもので、後の「無医大県解消計画」の一画に含まれますが、新構想大学にはされていません。
また、「高等専門学校及び工業高等学校につながる高等教育機関として、現実的な課題解決能力のある指導的技術者の養成を目指し、大学院における教育に重点を置いた新しい工業教育の体系を確立することを目的」に技術科学大学が長岡と豊橋に設置され、「学術研究の著しい発展と社会の複雑・高度化に伴い、大学院に対する多様な要請が増大し、学部に基礎を置かない大学院独自の教育研究組織の必要性が高まった」のを受け、学校教育法の改正により、独立大学院の設置が可能なって、4つの大学院大学が設けられるなど、国立の新構想大学が増加しました。
さらに、新構想大学の中に「新教育大学」というものがあり、「四十七年、教育職員養成審議会は、現職教員の研修・研究を目的とする大学院と初等教育教員に必要な幅広い総合的な資質を養うことなどに工夫改善を加えた、新しい構想による教員養成大学を創設すべきことなどについて建議」したのを受けて、文部省で調査・検討した結果、兵庫教育大学・上越教育大学・鳴門教育大学の3校が設置されました。ただ、制度的には新しいものの、兵庫教育大学は神戸大学から、鳴門教育大学は徳島大学から、上越教育大学は新潟大学教育学部高田分校から、それぞれ学部の教員養成課程が移管されており、それぞれがかつての師範学校の歴史を持つものですから、果たして全く戦後新制かというと、ちょっと違う感が無きにしもあらずです。ちなみに、北見工業大学と筑波技術大学は戦後の国立短期大学からの昇格なので、戦後の新設ではありますが、新構想大学ではありません。
なお、上記『学制百二十年史』からの引用にもありますとおり、新構想大学の代表格は総合大学の筑波大学ですが、当ブログでは同大を旧制東京文理科大学→新制東京教育大学の後継大学と見做して、以下では旧官立大学に含めています。
ところで、新構想大学についてはWikipediaでは「従来の大学では、大学全体の意思決定は評議会が中心となっていたものの、学部教授会の立場が強く、学長を中心とする迅速な意思決定ができなかったことと共に、学部・学科内では講座制による各講座の独立性の高さが、タコツボと批判されていたことに対する反省から構想されたもの」としており、学長への中央集権的な大学運営を目指したことが構想の中心だと指摘しています。大学紛争などを嫌がった文部官僚の動きなんでしょうね。この学長への中央集権的な方向は、現在の国立大学全体の「改革」の方向の一つとなっています。ただ、当ブログは管見にて、この新構想大学での中央集権的方向性が果たして成功だったかどうかを総括した検討結果を知りません。よもや先行した制度が大学として成功だったか失敗だったかを確認もせずに突っ走っているならば、無責任極まりないですね。どう新構想大学の評価をしたんでしょうかね? ちなみに、筑波大学は研究成果などで旧帝大を上回る存在に、まだ至っていないようにお見受け致しますが…。
以上、「旧帝国大学」「旧官立大学」「複合型地方新制国立大学」「旧制高専等からの単科大学等」「新構想大学等戦後新制単科大学」の5区分の対象大学は以下のとおりです。
【国立大学の歴史的区分】
旧帝国大学7校
東京大学、京都大学、北海道大学、東北大学、名古屋大学、大阪大学、九州大学
旧官立大学
(旧六医以外)5校
一橋大学、神戸大学、東京工業大学、筑波大学、広島大学
(旧六医)6校
千葉大学、新潟大学、金沢大学、岡山大学、長崎大学、熊本大学
複合型地方新制国立大学(いわゆる「駅弁大学」)31校
弘前大学、岩手大学、秋田大学、山形大学、福島大学、茨城大学、宇都宮大学、群馬大学、埼玉大学、横浜国立大学、富山大学、福井大学、山梨大学、信州大学、岐阜大学、静岡大学、三重大学、滋賀大学、和歌山大学、鳥取大学、島根大学、山口大学、徳島大学、香川大学、愛媛大学、高知大学、佐賀大学、大分大学、宮崎大学、鹿児島大学、琉球大学
旧制高専等からの単科大学等22校
東京医科歯科大学、東京農工大学、東京藝術大学、東京外国語大学、東京学芸大学、東京海洋大学、電気通信大学、お茶の水女子大学、奈良女子大学、北海道教育大学、室蘭工業大学、小樽商科大学、帯広畜産大学、宮城教育大学、愛知教育大学、名古屋工業大学、京都工芸繊維大学、京都教育大学、大阪教育大学、奈良教育大学、福岡教育大学、九州工業大学
新構想大学等戦後新制単科大学15校
旭川医科大学、北見工業大学、筑波技術大学、上越教育大学、長岡技術科学大学、浜松医科大学、豊橋技術科学大学、滋賀医科大学、兵庫教育大学、鳴門教育大学、鹿屋体育大学、政策研究大学院大学、総合研究大学院大学、北陸先端科学技術大学院大学、奈良先端科学技術大学院大学
さて、前置きが長くなりましたが、以上の5区分でさらに旧官立大学を旧六医とそれ以外に分けた6区分で構成比を描くと下図のとおりとなります。

結局のところ、七つの旧帝大に人も金も相対的に集まっているという実態かとみられます。これに旧官立大を加えた歴史的に古い大学群への集積が顕著であるといえるでしょう。
「そんじゃ、ついでに」と言ってはなんですが、旧来からの国立大学の歴史的な序列(?)である旧帝大・旧官立大・「駅弁」などについての構成比も描いてみました。
ここでは、下記のように5区分としました。
1つ目は「旧帝国大学」で、戦前の帝国大学令に基づき設置された総合大学の後継大学群です。言わずと知れた東京大学・京都大学・北海道大学・東北大学・名古屋大学・大阪大学・九州大学の7校からなります。ただし、戦前からの総合大学といっても、北大・阪大・名大の文系学部は戦後に設置されています。
2つ目は「旧官立大学」で、戦前の大学令に基づき設置された国立の単科大学の後継大学群です。医科6校(千葉・新潟・金沢・岡山・長崎・熊本)、商科2校(一橋・神戸)、文理科2校(筑波・広島)、工科1校(東京工業)の計11校が後継大学として現存しています。このうち、医科6校は特に「旧六医」といわれ、医学部・大学病院の中でも旧帝大に次いで格式が高いとされています。また、これら旧官立大学のうち、一橋と東工を除いた9校は、戦後に総合大学化され、比較的優遇されて拡充が図られています。
なお、以前に示したとおり戦後になってから旧制の官立大学となった大学もあります。これらは主に医科大学であり、戦後の医師不足に対応すべく急遽旧制医学専門学校から昇格したものですが、旧制大学になって直ぐに新制大学に移行したものですから、あまり旧官立大学とは言われません。ただ、この時に昇格した東京医科歯科大学、弘前医科大学(現・弘前大学)、前橋医科大学(現・群馬大学)、松本医科大学(現・信州大学)、米子医科大学(現・鳥取大学)、徳島医科大学(現・徳島大学)、広島医科大学(現・広島大学)、鹿児島医科大学(現・鹿児島大学)は上記「旧六医」に対して「新八医」と呼ばれており、新八医を含む旧医専は戦後の新設医学部・大学病院より格上と見なされています。
3つ目は、「複合型地方新制国立大学」と言われるもので、上述の地方の旧医専も合併されてこちらに含みます。この複合型地方新制国立大学の大学群を巷では「駅弁大学」とも言われますが、これはWikipediaによれば「1946年(昭和21年)の学制改革に基づいて、1949年に新設され急増した新制大学を揶揄する呼称」でして、「当時、急行列車の停車する駅では弁当(駅弁)が売られていたが、それらの駅がある町(主要都市)には新しい大学があるという意味であり、大宅壮一の造語である。それ以前には帝国大学をはじめ20大学ほどしかなく稀少であった旧官立大学に対して、50大学ほど新たに設置され、ありふれたものである新設国立大学を呼んでいるもの」だそうです。このように戦後の学制改革に伴い、多くの国立大学が地方都市も出来たのですが、これは「文部省が総合的な実施計画を立案するに当たり総司令部より国立大学の大都市集中をさけ、かつ高等教育の機会を全国的に均等化するため一府県一大学の方針が強く要請された。そこで文部省は二十三年六月、新制国立大学設置に関し一府県一大学を中心とする十一原則を定め、多くの大学、高等学校、専門学校、師範学校等につき統合か独立かを図った」結果、各県内で複合して大学となったものです。旧帝国大学や旧官立大学も皆戦後に新制大学として再出発を切ったのですが、一般的にはこの新設大学の類には含まれない扱いです。ただ、この十一原則では「国立大学は、特別の地域(北海道、東京、愛知、大阪、京都、福岡)を除き、同一地域にある官立学校はこれを合併して一大学とし、一府県一大学の実現を図る」となっており、前述の旧官立大学のうちでも特別の地域ではない旧六医や神戸・広島は、旧官立大学とその他の旧制高等教育機関(師範学校を含む)とが統合されたことから「駅弁大学」と見られる場合もあります。当ブログではそういう旧官立大学であっても除外して複合型地方新制国立大学としています。
なお、琉球大学は戦後米国統治下の中で設置された大学で復帰後に日本の国立大学となったため、一府県一大学の対象ではありませんでしたが、当ブログでは機能的に複合型地方新制国立大学の一画と見做してここに含んでいます。
4つ目は「旧制高専等からの単科大学等」です。上記「駅弁大学」と同じく戦後に大学に昇格したものですが、主に上述の一府県一大学の対象外の特別な地域(北海道・東京・愛知・大阪・京都・福岡)の旧制高等教育機関などが単独で大学昇格した単科中心の大学群です。電気通信大学のように文部省以外の省庁の教育機関が大学になるものも含まれています。特別の地域以外では、宮城県は特別の地域となっていなかったため、師範学校も当初旧帝国大学の東北大学に合併されましたが、師範学校相当が後に再分割されて宮城教育大学として独立しています。また、奈良県では、十一原則で「女子教育振興のために、特に国立女子大学を東西二か所に設置する」とあり、その西日本の対象として奈良女子高等師範学校が奈良女子大学として昇格したため、県内に複合化する旧制高等教育機関がなく、師範学校が奈良教育大学として単独昇格しています。
5つ目は「新構想大学等戦後新制単科大学」の類で、戦前に起源を持たない戦後に新たに設置された大学群です。このうち新構想大学とは、文部科学省の『学制百二十年史』によれば「昭和四十三年ごろからのいわゆる大学紛争を直接の契機として、大学の在り方について各方面から多くの問題が指摘され、その改革が強く求められたが、これは、戦後の大学教育の急速な普及や社会経済の変化に対して、従来の大学に対する考え方や制度の枠組みでは対応が困難になっていたことによる面もあった。このため、大学設置基準の弾力化等制度面の改革と並行して、既存の大学の刺激ともなることを期待して、教育上の組識と研究上の組織を区分する試み(筑波大学)や、学長の職務を助ける副学長の設置(新構想大学全部)、学外の有識者の意見を反映するための参与会(筑波大学)や参与(筑波大学以外の新構想大学)の設置などを盛り込んだ、これまでの在り方にとらわれない新しい構想による大学の創設が進められた」ことにより設置されたものです。
新構想大学の中に、同構想よりも以前から「無医大県解消計画」あるいは「一県一医大政策」と呼ばれる医科大学が存在しない地域への国立医学部の設置の計画がなされ、その方針で設けられた単科大学がありますが「大学運営の上でも副学長制や参与を導入するなど新構想大学としての性格をも持つものとされた」ことから、純然たる新構想大学ではないものの、その一画とみなされる医科大学群が含まれています。浜松医科大学、宮崎医科大学、滋賀医科大学、富山医科薬科大学、島根医科大学、高知医科大学、佐賀医科大学、大分医科大学、福井医科大学、山梨医科大学、香川医科大学がそうでしたが、その多くが現在は前述の複合型地方新制国立大学と県内で合併しており、現在は浜松医科と滋賀医科を残すのみとなっています。なお、旭川医科大学については、「無医大県解消計画」よりも以前から構想されていたもので、後の「無医大県解消計画」の一画に含まれますが、新構想大学にはされていません。
また、「高等専門学校及び工業高等学校につながる高等教育機関として、現実的な課題解決能力のある指導的技術者の養成を目指し、大学院における教育に重点を置いた新しい工業教育の体系を確立することを目的」に技術科学大学が長岡と豊橋に設置され、「学術研究の著しい発展と社会の複雑・高度化に伴い、大学院に対する多様な要請が増大し、学部に基礎を置かない大学院独自の教育研究組織の必要性が高まった」のを受け、学校教育法の改正により、独立大学院の設置が可能なって、4つの大学院大学が設けられるなど、国立の新構想大学が増加しました。
さらに、新構想大学の中に「新教育大学」というものがあり、「四十七年、教育職員養成審議会は、現職教員の研修・研究を目的とする大学院と初等教育教員に必要な幅広い総合的な資質を養うことなどに工夫改善を加えた、新しい構想による教員養成大学を創設すべきことなどについて建議」したのを受けて、文部省で調査・検討した結果、兵庫教育大学・上越教育大学・鳴門教育大学の3校が設置されました。ただ、制度的には新しいものの、兵庫教育大学は神戸大学から、鳴門教育大学は徳島大学から、上越教育大学は新潟大学教育学部高田分校から、それぞれ学部の教員養成課程が移管されており、それぞれがかつての師範学校の歴史を持つものですから、果たして全く戦後新制かというと、ちょっと違う感が無きにしもあらずです。ちなみに、北見工業大学と筑波技術大学は戦後の国立短期大学からの昇格なので、戦後の新設ではありますが、新構想大学ではありません。
なお、上記『学制百二十年史』からの引用にもありますとおり、新構想大学の代表格は総合大学の筑波大学ですが、当ブログでは同大を旧制東京文理科大学→新制東京教育大学の後継大学と見做して、以下では旧官立大学に含めています。
ところで、新構想大学についてはWikipediaでは「従来の大学では、大学全体の意思決定は評議会が中心となっていたものの、学部教授会の立場が強く、学長を中心とする迅速な意思決定ができなかったことと共に、学部・学科内では講座制による各講座の独立性の高さが、タコツボと批判されていたことに対する反省から構想されたもの」としており、学長への中央集権的な大学運営を目指したことが構想の中心だと指摘しています。大学紛争などを嫌がった文部官僚の動きなんでしょうね。この学長への中央集権的な方向は、現在の国立大学全体の「改革」の方向の一つとなっています。ただ、当ブログは管見にて、この新構想大学での中央集権的方向性が果たして成功だったかどうかを総括した検討結果を知りません。よもや先行した制度が大学として成功だったか失敗だったかを確認もせずに突っ走っているならば、無責任極まりないですね。どう新構想大学の評価をしたんでしょうかね? ちなみに、筑波大学は研究成果などで旧帝大を上回る存在に、まだ至っていないようにお見受け致しますが…。
以上、「旧帝国大学」「旧官立大学」「複合型地方新制国立大学」「旧制高専等からの単科大学等」「新構想大学等戦後新制単科大学」の5区分の対象大学は以下のとおりです。
【国立大学の歴史的区分】
旧帝国大学7校
東京大学、京都大学、北海道大学、東北大学、名古屋大学、大阪大学、九州大学
旧官立大学
(旧六医以外)5校
一橋大学、神戸大学、東京工業大学、筑波大学、広島大学
(旧六医)6校
千葉大学、新潟大学、金沢大学、岡山大学、長崎大学、熊本大学
複合型地方新制国立大学(いわゆる「駅弁大学」)31校
弘前大学、岩手大学、秋田大学、山形大学、福島大学、茨城大学、宇都宮大学、群馬大学、埼玉大学、横浜国立大学、富山大学、福井大学、山梨大学、信州大学、岐阜大学、静岡大学、三重大学、滋賀大学、和歌山大学、鳥取大学、島根大学、山口大学、徳島大学、香川大学、愛媛大学、高知大学、佐賀大学、大分大学、宮崎大学、鹿児島大学、琉球大学
旧制高専等からの単科大学等22校
東京医科歯科大学、東京農工大学、東京藝術大学、東京外国語大学、東京学芸大学、東京海洋大学、電気通信大学、お茶の水女子大学、奈良女子大学、北海道教育大学、室蘭工業大学、小樽商科大学、帯広畜産大学、宮城教育大学、愛知教育大学、名古屋工業大学、京都工芸繊維大学、京都教育大学、大阪教育大学、奈良教育大学、福岡教育大学、九州工業大学
新構想大学等戦後新制単科大学15校
旭川医科大学、北見工業大学、筑波技術大学、上越教育大学、長岡技術科学大学、浜松医科大学、豊橋技術科学大学、滋賀医科大学、兵庫教育大学、鳴門教育大学、鹿屋体育大学、政策研究大学院大学、総合研究大学院大学、北陸先端科学技術大学院大学、奈良先端科学技術大学院大学
さて、前置きが長くなりましたが、以上の5区分でさらに旧官立大学を旧六医とそれ以外に分けた6区分で構成比を描くと下図のとおりとなります。
結局のところ、七つの旧帝大に人も金も相対的に集まっているという実態かとみられます。これに旧官立大を加えた歴史的に古い大学群への集積が顕著であるといえるでしょう。
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