403話 新人オリエンテーション
寄宿士官学校とは、何であるか。
神王国における最高学府であり、王家も出資する国立の教育機関。それが、この学校である。
この寄宿士官学校を卒業した者の進路は、大きく分けて四つ。
一つは、王家に仕える。いわゆる宮廷貴族になる道。現代ならば、官僚コースといったところだ。
そもそもこの学校は、王家が王家の為に王家の役に立つ人材を育成しようとしたのが発端。卒業生としても、学校を出て宮廷に入り、下働きを経験しつつ下積みをし、役職を貰う、というのは最上のエリートコースと認識している。
国のトップに直接仕えるということで、名誉と栄達が約束された出世コースだ。
貴族からの推薦が有れば優秀な人間は誰でも受け入れる、という建前を掲げる寄宿士官学校では、家を継ぐことの出来ない次男坊以下で、更には家の家格も低い人間はこのエリートコースを夢見る。
縁故が大部分を占める貴族社会では、学閥というものも馬鹿に出来ないのだ。
もう一つが、在野に出て独立すること。
現代からすれば教育水準の低い世界。士官学校で高等教育を受けたとなれば、相当な知的エリートとみなされる。
読み書き計算は完璧。新しく商売を始めたり、画期的な製品を作り上げるのに、教育的な下地というものがあるということだ。
何の伝手も無く、教育も受けていない人間が、いきなり行商人から始めて成り上がる。などという奇跡をあてにするよりは、何十倍も有利なスタートラインに立って商売を始められるだろう。
例えば卒業生の中には、在学中に軍で使われる衣類の改良を思いついたことで商売を始め、成功して財を成した者も居る。学校時代の伝手という後ろ盾や人脈もあり、中々に成功して大きな商会を経営していた。
或いは、寄宿士官学校での経験を活かして傭兵となった卒業生も居る。頭も良いし貴族的なマナーも完璧で、更には用兵をしっかりと学んで腕っぷしもたつとなれば、学校時代の人脈とあわせてもそうそう失敗することも無い。傭兵を雇う方も、寄宿士官学校卒という肩書を持っている傭兵ならば何の不安も無く雇える。
剣一本で身を立てる。男というよりは“漢”の生き様であろう。
他には、実家から離れて写本業で身を立てた卒業生も居る。学校で多くの図書に触れた経験を活かし、自分で写本したものを売るということもしていた。コピー機も無い社会では、まともな本を探すだけでも大変なのだ。この卒業生はひと財産を築き、立派に所帯も持っているという話だ。
更にもう一つ、自分が貴族家の当主となる者も居る。
寄宿士官学校は貴族の為の学校であり、学生には貴族家の跡継ぎも多い。時には、在学中に継承予定者が亡くなって、お鉢が回ってくることもあるだろう。
そもそも入学するのも難しい学校ではあるものの、それだけにここで得られる人脈や知己は財産になる。
卒業後、或いは在学中に爵位を継ぎ、貴族家を率いることになる者も居るのだ。
神王国においては貴族家の当主は騎士であることが求められる。
騎士としての正当な教育を受けた士官学校卒業生となれば、貴族家の当主となるのに不足は無い。
封建的な常識が深く根付き、家も男子継承、長子継承が伝統となっている神王国であるが、より優秀な人間に継がせるケースが無いわけでもない。
例えば長男がどうしようもないぼんくらや放蕩者で、次男が寄宿士官学校卒で優秀ともなれば、余程保守的な当主でない限りは次男に爵位を譲る。伝統が有るとはいえ家を潰してしまっては元も子もなくなるわけだし、寄宿士官学校は入学できた時点で優秀だと認められたようなものだ。しっかりと卒業できたなら、同じく優秀な、この国の国政を将来動かすであろう人間ともコネが出来ているはず。どうしようもないボンクラと、寄宿士官学校卒業生なら、どう考えても後者に継がせる方がお家の繁栄に繋がる。
或いは、婿養子に迎えるというケースもある。優秀な人材を確実に取り込もうと思えば、婚姻による取り込みというのが一番確実で間違いがない。娘しかいない貴族家であれば、出来るだけ優秀な婿を取って、跡を継がせたいと思うだろう。寄宿士官学校卒という肩書は、現代で言えば東大や京大、或いはオックスフォード大学やMIT卒業といった肩書に近しい。箔を付けるというなら、これ以上の箔も中々ない。
どうせ婿を取るならと、寄宿士官学校卒業生に拘る親も少なくない。
勿論、当人が入学前から嫡子であったりするケースもある。貴族の為の学校に、幼少期から徹底して教育を受けてきた跡継ぎが入学するなど、親としても誉れである。
寄宿士官学校の卒業生が、襲爵するケースが多いというのも頷けよう。
三つの卒業後の進路。
王宮勤め、独立独歩、爵位継承。どの道を選んだとしても、学校で学んだこと、学校で培った人脈は大きな財産となる。
真面目に学業と鍛錬に励んでいた卒業生ならば、きっとどの道を選んでもそれなりに成功するはず。
しかし、先の三つは進路としても数は限られる。
王家に仕える採用枠は大抵が縁故によって決められる狭き門であるし、商売を始めるとしても簡単にいくものでもない。傭兵などはいつ死ぬかも分からないし、貴族家当主になるというのも、そもそも生まれによって最初から決められていることが殆どだ。
多くの学生は、第四の道。
即ち、貴族に仕える道を選ぶ。
寄宿士官学校を卒業できた優秀な若者。これは、貴族としても是非とも部下に欲しい存在である。特に領地貴族からすれば、代官の勤まる人材というのは喉から手が出るほど欲しいもの。村を増やすにしても、統治する人間がいなければうまく機能しないし、失敗すれば村ごと廃村になってしまう。優秀で、体系だった法知識や行政知識、或いは基礎的な農業知識を持っている人材など、引く手数多であろう。
大抵は入学の時点から特定の貴族から援助を受けて紐付きとなっているものであるが、卒業生の大半はこの道を選ぶことになるのだ。
「総員整列!!」
モルテールン領ザースデンの外れ。
だだっ広い広場のような場所に、若い女性の声が響く。
声を張り上げたのはビオレータ。愛称でビオと呼ばれる女性であり、彼女はモルテールン家の従士である。
モルテールン家が本格的に人員拡充に動き出した頃の一期生でもあり、家中では中堅どころのポジションだ。一見すれば大人しそうにも見えるが、芯の強さはペイスのお墨付き。尚、既に子持ちの人妻である。
外見に騙され、もとい運命的に一目惚れした旦那が熱心に口説いて所帯を持ったと、一時期ゴシップのネタになったものだ。
譜代従士家出身のラミトや、目下魔の森で軍を率いる幹部教育中のバッチレー、内務として絶賛ハードワーク中のジョアンなどとは同期でもある。
何故彼女が広場で声を張り上げているかと言えば、新人の教育の為。
それなりに長らくモルテールン家に仕えてきたということも有り、今年の新人教育担当の一人になったからだ。
新人たちに、基本的なことを教えるのが彼女の役目。
今年の新人も豊作で、寄宿士官学校の卒業生を含めて三十人が雇われた。ペイスが寄宿士官学校から目ぼしい人間を一本釣りしたため、上位席次の卒業生が十一人いる。新人のうち士官学校卒業生は計十八人だが、殆どが上位卒業ということだ。
これほどに大量に人材を確保するというのは大貴族でも難しいところであるが、そこはモルテールン家の麒麟児。寄宿士官学校でそれなりの地位に居ることを良いことにあの手この手で裏工作をして、優秀な人材を集めてきた。
一番“穏当な手段”だったものが、盛大に【転写】を使ってビラを作って撒いたことだというのだから、校長も頭を痛めたことだろう。
今頃はストレスで、胃炎か脱毛に悩んでいるかもしれない。
「まずは自己紹介します。ビオレータと言います。先月まで産休を頂いておりましたが、今日から皆さんの教育を担当します」
産休、という言葉を聞いて、新人たちは首を傾げた。
そんな言葉を聞いたことが無いものが殆どだったからだ。
「教官」
一人が、すっと手を挙げた
「産休とは何でしょう」
「モルテールン家の制度の一つです。当家では、子供を産み育てるにあたって長期間の休暇が貰えるのです」
ざわり、と騒めいた。
新人の中には、女性も含まれている。結婚や、或いは妊娠すれば仕事を辞めて家庭に入るのが当然とされる社会にあって、子供が出来ても働き続けられる制度というのは魅力的に思えたからだ。
「当家は、私を含めて女性の従士もおります。私が言うのも変ですけど、とても働きやすいですよ。勿論、女性だけでなく男性も働きやすいと評判です。有給休暇も貰えますし」
労働基準法も男女雇用機会均等法も無く、セクハラという概念すら存在しない神王国ではあるが、モルテールン家には現代的な価値観を持った為政者が居る。
その為、モルテールン家は他家から見れば異常と言えるほどに女性に対しても手厚い待遇を用意していた。
産休や育休の制度だけでなく、子供のいる従士の時短勤務も認められている。勿論、男女問わず制度の利用は可能だ。
一日十四時間労働で休みが年で数日、などという労働状況がザラにある世界であるから、新人たちのざわつきは止まらない。
有給休暇というものの存在を、今日初めて知ったものばかりだ。給料をもらって休めるというのはどういうことかと、質問が止まらない。
幾つか質問に答えたところで、ビオはパンパンと手を叩いた。
「それまで。細かい質問事項は、これ以降別途で聞きます。皆さんで話し合って、質問内容を取りまとめて下さい。えっと……そこの貴方、代表で取りまとめるように」
「はっ!!」
ビオが指名した青年は、実によく通る大声で返事をした。軍人向きな性質である。
指名されたことに対しても嬉しそうにしている。
嬉しそうにしているのも理由はハッキリとしていた。
新人のとりまとめということは、そのまま上手く代表ポジションを続けていけば、将来は幹部になる可能性が高い。手柄を上げるチャンスを貰った、と思えたのだ。
若者としては、張り切りもするだろう。
「では早速、オリエンテーションからいきましょう」
ビオは、新人たちを引き連れて領内の案内から始めた。
貯水池や放牧地、モロコシ畑や麦畑、町中の主要施設から、軍事施設まで。
おおよそ丸一日をかけ、ザースデンを含めて領内の目ぼしい施設は見て回る。
これから働く場所とあって、新人たちはみな興味深そうに見学していた。
一日の終わり。
日も暮れ、歩き疲れた新人たちが出始めたころ。
ようやくオリエンテーションも終わって、ビオが改めて新人を整列させた。
「以上で今日のオリエンテーションを終わります。全員、部屋に戻って自由にするように。今日の晩御飯は、皆で懇親のバーベキューですからね」
「やった!!」
若者たちが、大いに湧き上がる。
バーベキューの説明は既に受けているが、食べ盛りの若者たちの期待は大きい。
ましてや、学校では粗食に耐えてきたものも多いのだ。美味しい食事に対する欲求は半端ない。
「まあ先方の希望で、国軍の皆さんも急遽参加されますけど」
ビオレータがこっそりつぶやいた言葉を、聞き取れた新人は少なかった。